第49話 神様の好きなもの
「ねえ、古代の神」
お煎餅を差し出しながら声をかける。
遠目から見れば初めて相対した時の光景そっくりだったろうけど、その時みたいなピリピリした空気は流れていなかった。
「あなたのことが記されている石板を探していた時に、当時の魔族たちの日常を書いたものを見つけたの。そこで不思議な子供と過ごした記録も残ってた。……これはその子の好物を再現したものよ」
『……』
「その子供って、あなただったんじゃない?」
古代の神は当時の魔族の暮らしにとても近いところで生きていた。
そして魔族に混じって生活していたとも言っていたし、魔族の姿を模したとも言っていた。なら子供の姿で交流を持っていたとしてもおかしくないわ。
――そう言い連ねると古代の神は低く笑った。
『……恐らく、その記録は我が魔族に混ざって暮らすようになったのより前のことだろう』
「じゃあ」
『ああ、当時の魔族はほとんどが親類で構成されていた。身元のわからぬ子供であり、そしてその菓子を好いていたならば我のことだ』
古代の神はゆっくりと話し始める。
その頃、古代の神はサヤツミたちとは異なる神と戦いを繰り返していたらしい。相手を食って強くならなくては逆に討たれると本能的にわかっていたという。だから毎日毎日戦いに明け暮れていた。
けれど勝てないこともある。
そうして深手を負って逃げ延びた先で繁栄している種族を見つけ、その姿に化けて隠れ蓑にしようと考えた。それが魔族だったと古代の神は言う。
その時出会った魔族は古代の神を助け、一年ほど世話をした。
一年の間に魔族は決して易々と隠れ蓑になるような弱い種族ではないと理解し、しかも傷が癒えた頃に「本当は何者なんだい?」と――初めから同種族ではないとわかっていたと察せる質問をされ、古代の神は大変驚いたそうだ。
『我に同胞はいない。故に同胞でなければ狩るか狩られるかの関係になると思っていた』
「でもその時の魔族たちはあなたを受け入れたのね」
『そうだ。そうして我は正体を明かし、しかし根付くわけにはいかぬと考えその土地から離れた』
その先々で魔族を見かけ、つい初めて会った魔族たちのことを思い出して話しかけに行くこともあったらしい。それくらい衝撃的な出会いだったのね。
恐らく不思議な子供の記述はその頃のものだろう、と古代の神は言った。
『その後、我は魔族が愛おしくなり……ついに共に暮らそうと考えた。しかし人間が何度も現れて台無しにし、魔族は戦で死んだ。もちろん寿命や病の者も多かったがな』
そんな姿を見ているのが辛く、古代の神は魔族の中で暮らすのではなく傍で陰ながら守ることにしたという。
でも人間が古代の神の力を利用して大きな戦を起した。
自分の力を使って魔族を殺させたこと、それが最も許せないと古代の神は低く唸る。
『その頃は素質だけは立派な魔導師が我を操るすべを持っていてな。まあ、今の人間の国は手綱が必要だと思いもせずに我を解き放ったようだが』
「……兄には考える頭があったはずなのに、私欲で濁って馬鹿になってたのね」
『はははは! 言いよる!』
突然笑ったのでびっくりしたけれど、古代の神にとっては愉快な一言だったらしい。
そして大きな目を伏せる。
『しかし、なるほど。――記し、継がれていくとはこういうことか』
そう呟くなり古代の神の体から黒い光が発され、それが視界を覆った一瞬の間に巨体が忽然と視界から消えた。
しかし消えたのは視界からだけで、存在そのものが見えなくなったわけではない。
衣擦れの音がして視線を落とすと十歳ほどの子供が座っていた。
黒く艶やかな髪は腰ほどまであり、その間からはガゼルのような角が生えている。
性別は少年のようにも少女のようにも見えた。
瞳は赤と水色で上下に色が分かれている不思議なもので、なんとなく二色使われたオイルタイマーを彷彿とさせる。その瞳をこちらに向け、はっきりとした口調で「それを貰おう」と言う。
「も、もしかして古代の神?」
「そうだ。食べやすいのもあるが……今までそれを食べる時は必ずこの姿だった」
だからだ、と古代の神は短く言うと私の手から古代米のお煎餅を受け取り、ぱりぱりと齧り始めた。
この姿だけ見るならお菓子をもらって黙々と食べている普通の子供だわ。
私は「おかわりもあるから好きなだけ食べてね」とお皿を置いて下がる。人間の作ったものっていうだけでも抵抗があるでしょうし、せめて私がいない方が集中して食べれるわよね。
そうして距離を取って見守っているとクランが恐る恐る声をかけてきた。
「あ、あれ、大丈夫なんでしょうか? 表情が読み取れなくて怖いんですが……」
「あら、戦っている時はあんなにも勇猛だったのに。そんなにビクビクしなくても大丈夫よ」
近くで見る機会は少なかったけれど、戦闘中のクランはまさに主人公といった面持ちで勇猛果敢という文字をそのまま人間にしたかのようだった。
しかし今は遠巻きに古代の神を見ながら身を縮こまらせている。まるで初めて会った時みたいだわ。
するとクランは眉を見事なハの字にした。
「性格の根っこはそんな簡単に変わりませんって~!」
「ふふ、これからに期待してるわね。あの時のクランって本当にカッコ良かったから」
そう褒めるとクランは目をぱちくりさせた後「そ、そうですか?」とまんざらでもない様子だった。わかりやすいわ……。
――性格の根っこはそんな簡単に変わらない。
それは古代の神でよく思い知った。
古代の神は今後も人間に向ける感情を根本からは変えないと思う。それでも私個人に向けられた目はほんの少しだけ違っていた。
根っこは変わらなくても、それ以外は変わっていくのかもしれない。
この考え方も、きっと人間と魔族が生きていく上で大切なことのはず。
忘れずに書き記していこう。そう思ったのと、古代の神がお煎餅を食べ終わったのは同時だった。
「――もう十分だ、満足した」
「古代の神……」
「我はこの地を二度と踏まぬとは思っていない。惜しむのもこの程度でいいだろう」
「そうね、……私たちが約束を破った時以外でも、戻ってくる機会があるかもしれないし」
そういう意味ではない、と古代の神は眉根を寄せたものの、それ以上は何も言わずにイスから立ち上がった。その前にアズラニカが歩み寄る。
アズラニカを足の先から頭のてっぺんまで見た古代の神は喉を鳴らすように笑った。
「我の今の姿は昔の魔族を真似たもの。違和感を与えぬ魔族の平均的な特徴よ。……混ざりもののくせによく似ておるわ、忌々しい」
「それでも私は魔王だ。これからも我が国の魔族を蔑ろにすることはないと誓おう」
「誓わずともやってみせろ」
そう言って古代の神は僅かに視線を落とす。
「まったく、似ているせいでどうにも甘くなる」
本当は殺したいくらい嫌なのかもしれない。
しかし古代の神は自嘲気味に笑ってから「早く封じろ」とアズラニカを急かす。言われるがままに片腕を上げたアズラニカの手の平が鈍く光り始めたのを見て、私はふたりの傍へと駆け寄った。
古代の神は嫌がるかもしれないけれど、最後の瞬間も人間として見ておくべきだと思ったからだ。これから遺していくものに書き記すためにも。
古代の神が二色の瞳をこちらに向ける。
「……今一度覚えておけ、我の人間への嫌悪は治らん。生理的な気味の悪さをどう拭えようか。それをゆめゆめ忘れるな」
「わかったわ」
「そして」
古代の神は声をひそめ、私にだけ聞こえるように言った。
「あの菓子。出来は悪くなかったが、塩を加えたものの方が好きだ」
それも後の世のために記しておけと言外に言われている。そうすぐに理解できたのは古代の神の表情が偉そうなものでも嫌そうなものでもなかったからだ。
私は笑顔で頷く。
それを見届けた直後――古代の神は小さな粒子になって、頭上に現れた魔法陣の中へと消えていった。
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