第40話 私、今までで一番……

 ゼナキスはまるで王のような振る舞いでこちらを見ている。

 跨った白馬は凛々しく、そんな馬にすら施された豪奢な装飾が更にその印象を強めていた。

 ――もしかするとこの機に乗じて本当に父から王位を奪ったのかもしれないけれど、私たちの王と比べものにならないくらい愚かなことだけはよくわかるわ。


(そうだ、クランは……)


 思わずクランの様子を窺うと、彼はドラゴンに乗ったまま身を強張らせつつもしっかりとゼナキスを見据えていた。それでも冷や汗が頬を伝い、それが手の甲に垂れてようやく気がついたのか袖で拭っている。

 傍目からでもトラウマに耐えているのがよくわかった。

 捕まって生贄にされかけた時のことを思い出して、怖い気持ちが蘇ったのに、私に誓ってくれた言葉を守るために逃げないでいてくれている。


 ……私も、実際に兄を目にしたからって狼狽えるわけにはいかないわ。

 そう心を奮い立たせているところにゼナキスの声が大きく響いた。


「王都は見るも無残に爛れた。この澱みはあっという間にファルマ全体を覆うだろう! これもすべては魔王――そして魔族によるものだ!」


 騎士団から地を震わすような同意の声が発され、やや遅れて国民たちが決起を示す声を上げる。

 風に乗って耳に届いたその声に私は思わず目を瞬かせてしまった。

 つまりゼナキスは古代の神の召喚に必要な犠牲の原因をこちら側になすりつけたのだ。

 その上で国民に武器を持たせ、私たちにけしかけようとしている。


 国は国民が居てこそ成り立つもの。

 こんな使い方は間違っているとゼナキスも理解はしているはず。

 だって仮にゼナキスが望む権力を手にしたとして、そこに国民が残っていなければ意味がないもの。

 それなのに実行したのはそれだけ攻撃に回せる戦力がなくなったのか、それとも……古代の神さえ召喚してしまえばすべては上手くいくと思っているのか。


 ゼナキスにそんな知識を与えたのは一体何なの?


 再び浮上した疑問を今はそれどころではないと押さえつけていると、アズラニカがよく通る声で言った。


「我々は断じてそのような汚い真似はしていない! ファルマの地を踏んだのも、その魔法陣から這い出ようとしている古代の神を抑えるためだ!」

「戯言を……」

「ファルマの王太子、ゼナキスよ! お前は古代の神を正しく理解した上でこの凶行に及んだのか? 古代の神は人間に味方をすることはない! 滅ぼされるぞ!」


 アズラニカの言葉を聞いたゼナキスはそれを鼻で笑う。

 私がファルマにいた頃もよく目にした笑い方だわ。


「愚かな魔王め。我が国から姫……妹、ゼシカを攫ったお前が何を言おうが信じる者はいない。それがわからないのか?」

「――兄様!」


 ドラゴンから身を乗り出すとゼナキスを睨んでいたアズラニカが途端に表情を崩して「ゼ、ゼシカ、落ちるぞ!」と慌てて体を支えてくれた。

 私はドラゴンの鱗にしっかりと手をついて声を張り上げる。


「アズラニカが私を攫ったのはこの国が腐敗の道を歩んでいたからこそ! そして私も自らの意思で彼との婚姻を望みました。たしかに正しい手順は踏んでいませんが、その一点のみで彼の言葉を一蹴するのはおやめください!」

「ゼシカ……? 生きていたのか、……」

「私がここへ戻ってきたのも古代の神が危険だからこそです、こんな不毛なことはやめてください!」


 ゼナキスは黙っていた。

 しかしそれは戸惑いの沈黙でも苦悩の沈黙でもなく――低く笑って顔を上げた兄の表情は、完全にこちらを見下したものだった。


「見よ、国民たちよ! 姫をも洗脳した魔族のやり口を!」

「……!」

「家族を、大切な存在を失った者は武器を持ち、一匹でも多く魔族を討て! そうすれば生贄にされた者も浮かばれる! お前たちの手で仇を取れ!」


 ――駄目だわ、こちらの言葉を完全に邪魔をしたいだけだと思ってる。

 ゼナキスには昔から野心が人一倍あったけれど、そこに火がついてはもう誰にも止められない。

 下唇を噛んでいるとアズラニカが心配げにこちらの顔を覗き込んだ。


「ゼシカ、辛いだろう。ここは私たちが何とかするから、後ろへ下……」

「アズラニカ、私、今までで一番兄様を張り倒したいわ」

「張り倒したい!?」


 落ち込んでると思っていた私から物騒な単語が出たから驚いたのかしら?

 自分の家族があんな有り様なのは辛いけれど、落ち込んでメソメソする気はない。

 むしろやる気が出てきたわ、ちょっと傷めるかもしれないけど自分の手で一発お見舞いしてやる!


 そう握った拳を手のひらに当ててみせると、アズラニカはほっとした様子で力んだ私の手を握った。


「ならば今はこちらに任せよ。――皆の者! 森と同じだ、心してかかれ!!」


 境界の森でアズラニカはファルマ軍の人間を可能な限り殺さないように立ち回っていた。つまりそういうことだ。

 彼の頼もしい言葉に安堵したものの、そんな気持ちとは反対に地上の空気はピンと張り詰めている。そして国民たちが矢を番えてこちらへと向けた。

 見たところ戦闘用の弓矢ではないけれど、狩猟用の弓でも飛距離はかなりある。特にファルマの弓は改良されているのでかなりのものだ。


 古代の神をどうにかする前にとんでもない壁が立ちはだかった。

 そう感じさせる光景に唾を飲み込んだと同時に、数多の矢が空気を切り裂く音が響いた。

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