第39話 それだけは捨てずに
ゲームでは『主人公の名付け』は一番初めに行なわれることだ。
むしろ本編が始まる前に起こる出来事で、勇者本人には自分の名前がその瞬間に決まった自覚すらない。
しかし今この瞬間、そんな勇者本人から新しい名前を授けてほしいという申し出があったことに私は目を瞬かせてしまう。
ナクロヴィアの国民としての名前。
べつに別の国から移り住んだ者が以前の名前を捨てなきゃならない文化はない。私やベレクがそのままのように。
その上でこうして頼むということは――これはきっと、恐怖と過去を捨て、母国を敵に回してでもナクロヴィアの人間として動きたいというクレイスの覚悟の表れだ。
そのままでいいのよ、と言うことはできなかった。
「わかったわ、由来がどんなものでも大丈夫?」
「はい! 羽虫でも開運ササヤキマイマイでも受け入れます!」
「それは極端ね!?」
羽虫はともかく開運ササヤキマイマイは敵の幸運度をグーンと上げて見逃してもらうという変な生態のカタツムリモンスターだ。せめてもう少しマシな生き物を挙げましょうよ、クレイス……!
でもおかげで人らしい名前なら本当に何でも受け入れてくれそうなことはわかった。
……実際には思いついたのは人の名前ではないのだけれど、それでも私にとっては愛着のあるものなので、今の彼に貰ってもらおう。
「クラン。それがあなたの新しい名前よ」
「……!」
「初めに白状しておくと、これは私が昔飼っていた犬の名前なの。もし嫌なら別のものを考え――」
「犬! ゼシカ様の犬ですか!? 滅相もありません、大歓迎です!」
拒絶どころか思った以上の食いつきだわ!
そんな性格だったっけ? と思わず二度見したけれど、さすがに保護されてすぐに好感度の高い反応をするはずないわよね。それだけナクロヴィアに慣れてくれたってことなら嬉しい。
そう伝えると困ったような笑みが返ってきた。
「ゼシカ様とアズラニカ陛下の恩情はそうするだけの価値があります、ゼシカ様はもう少しご自身の懐の深さを自覚すべきですよ」
……今も現代日本人感覚のままで平和慣れしてて甘いだけだと思うのだけれど、アズラニカは優しい賢君なので半分は確実に合っている。なので反論はしないでおきましょう。
わかったわ、と微笑んで再び彼を見る。
「――ただ、私からもひとつお願いしたいの。『クレイス』はあなたの親が付けた名前よ。新たな名になった後も、あなたが大切にしたいなら……それだけは捨てずに大切に覚えておいてくれる?」
勇者の生い立ちがゲーム内で語られる機会はほとんどなかったものの、両親と不仲だという情報はなかった。
そんな両親からの最初の贈り物を完全に上書きしてしまいたくない、というのが私の本心だ。
……私にも前世の名前があったけれど、この世界では『ゼシカ』なのでその名前を呼んでくれる人はもういない。
ここで生きていくからには他の誰にも教える気はないものの、それでも大切に心の中にしまってある。だからこそ彼にも過去の名前を大切にしまっておくか、完全に捨て去るか自分の意思で選択してほしかった。
「……はい、わかりました。クレイスの名は僕の中で大切に覚えておきます」
「よかった。それじゃあ……これからも宜しくね、クラン」
「はいっ! このクラン、今回の計画だけでなく永久にゼシカ様たちのお役に立てるよう誠心誠意頑張ります!」
そう宣言したクレイス――クランは、太陽のような満面の笑みを浮かべた。
***
程なくして待機場所へ舞い戻ったアズラニカに連れられ、私たちは全員で数多のドラゴンに跨りファルマの王都へと向かった。
一般の国民から見れば魔族が攻めてきたと思うだろう。しばらく前に撤退する軍を目撃していたなら尚更だ。でもゼナキスの企みが着々と進行しているなら今はそこまで気にしている余裕はない。
眼下に見える怯えた国民たちをそれ以上刺激しないよう、一直線に王都へと飛ぶ。
サヤツミひとりならともかく、この人数と大荷物でドラゴンによる移動ともなると少し時間がかかった。アズラニカに攫われた時とは異なり、このまま一晩過ごすことになったのも初めての体験だ。
――そう、ドラゴンに乗ったまま眠ったのよね。
アズラニカがしっかりと支えてくれてたけれど、寝相が悪くて目覚めたら落ちてましたってことにならないかヒヤヒヤしたわ。
当のアズラニカは慣れているのか全体に指示を出してドラゴンにその場で羽ばたいたまま待機させ、その間に見張りと交互に少しだけ仮眠していた。
いくら魔族とはいえ、この間からちゃんと眠れる機会がなさそうだからすべてが終わったらぐっすりと眠ってほしいわね。
ドラゴンは不眠不休で一ヵ月は活動できるそうなので問題はないらしい。
ファンタジー生物恐るべし……って感じだけれど、たまに魔石を食べないと生命活動に支障が出ると聞いてドラゴンはドラゴンで大変なのだと知った。
ドラゴンと財宝が結びつけられやすいのも、じつはこういう生態があるからだったりするのかしら……?
こうしてファルマの中を進み、ついに王都の目と鼻の先にまで辿り着いた私たちの視界いっぱいに映ったのは、騎士団員の報告にあった巨大な魔法陣だった。
ただ報告にあったよりも大分大きい。
アズラニカが風になびく髪を押さえながら言う。
「生贄の儀式も佳境なのかもしれぬ。一体どれだけの命を奪ったのか……」
「……まだ復活していないなら、残りの生贄を救い出すことで阻止することはできない?」
私の問いにアズラニカは首を横に振った。
思わず訊ねてしまったけれど、私にもわかる。その展開は想定済みだし、ここで何もしないということは出来ることは何もないということだ。
アズラニカもサヤツミに訊ねたらしいが、答えは予想通りだったという。
「この状態になってしまってはどうしようもない。物理的に描かれた魔法陣なら崩すことで効力を消すことが可能だが、あれは魔法的な力で描く方法だ。嵐が来ようが雷で引き裂こうが消えることはないだろう」
「そう……」
「だが王都から逃げてくる者がいれば保護しよう」
封印の儀式のことを考えると下手には動けない。
けれどそんな状況でも出来る限りのことをしようとしてくれるアズラニカがとてもありがたかった。
そんな時、吹いてくる風にざわめきが混ざった。
城門から沢山の人々が現れる。それは避難してきた人間――ではなく、武装した人間たちだった。
ぼろぼろの鎧を纏っているのは撤退した軍の人間かしら。他にも武器を構えて立っているのはごくごく普通の国民たちだ。
みんな怯えているけれど鬼気迫った表情をしているのが遠くからでもわかる。
「……! あれは……」
思わず身を乗り出して視線を向けた先。
人々の先頭で馬に乗った人物が剣の切っ先をこちらに向けているのが見えた。
鋭く光る刃より切れ長の目は金色で、短い髪は銀色をしている。
「――ゼナキス、兄様……」
それは久しぶりに目にした兄、そして今回の元凶であるファルマの王太子ゼナキスだった。
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