おわりの章 季節はめぐり

第39話 現状維持で

「やあッ!」


 気合い一閃。

 銀の刃が空中にきらめき、対象物を真っ二つにした。

 これで終わりじゃない。

 息つくひまもない連続の剣撃で、次々と大小様々な相手を平等に切り刻む。


「ふっ」


 刃を置き、軽く息をついた。


 ニンジン、タマネギ、カブにマッシュルーム。

 まな板に並ぶ、わたしの手で切り揃えられた食材たちを眺め、ひとりほくそ笑む。

 我ながら、カンペキな包丁さばきだ。


 断面は鋭くもなめらかで、ふぞろいの野菜をほぼ同じサイズに切り揃えている。

 これで鍋に入れても、均一に火が通るだろう。

 芸術的と言ってもいいかもしれない。


「……レイリア様。食材を切るのにえつにひたってないで、そろそろ味付けと火加減も覚えてください」


 わたしの背後から、淡々とした――だけど同時に、心底あきれかえっているような声がした。


「カレン!?」


 わたしは驚きとともに、振り返る。


「もう起きて平気なのか!?」


 その姿に、わたしはうろたえてしまった。

 包丁を放り出して、いますぐカレンをベッドに寝かしつけたい衝動に駆られる。

 けど、彼女はそれを制するように、素早く答えた。


「はい。あの人からも、少しずつ身体を動かしたほうがいいと言われています。いいかげん、寝てばかりの生活も飽きましたし」

「そうか……」


 シスター・イライザがそう言ったのなら間違いはないんだろう。

 ちょっと心配ではあるけど……。


 あいかわらず、外には寒気がはびこっている。

 けど、日はずいぶん長くなった。

 カラリと気持ちよく晴れた日が続き、吹く風にはどこかやわらかな暖かみも感じられる。


 春一番というものだろうか。

 農夫たちはもう、春撒きの種を畑に植えはじめている。


 火喰い鳥の尾羽根。

 月影樹の地底根。

 白魔雪の銀花。

 黒南風の結晶。


 すべての素材をそろえると、シスター・イライザは約束どおり、霊薬アルカヘストの調合を完成させた。

 そう一口にまとめてしまうと申し訳ないくらい、実際の調合は大変な作業だったようだけど、門外漢のわたしにはその様子を詳しくひとに伝えられる知識がない。


 霊薬の効能は抜群で、飲み薬であるそれを飲んだあと、カレンの様子は目に見えて回復した。

 少しずつ、食事の量も増え、ひとりで起き上がれるようにもなっていた。

 シスターも、もう大丈夫と確信したようで、数日前に教区教会に帰っていた。


 いまこうしてカレンの姿を見ていても、もう心配することはなさそうに思える。

 顔色は、倒れるまえよりもずっといいくらいだ。

 けど、やっぱり病み上がりだと思うと不安になる。


「そういうわけですので、ここからはわたしが代わります」

「ほんとに大丈夫なんだな? また急に倒れたりしないな?」

「平気だと申し上げました」


 カレンはうっとうしげに手を振る。

 けど、わたしはその場を離れなかった。


「……レイリア様? 仕事にもどられては?」

「味付けを覚えろと言ったのはカレンだぞ。今日はここで見学させてもらう」

「はぁ……。ちょっとやりにくいんですけど……。まあ、分かりました」


 あきらめたようにつぶやき、カレンはわたしに代わって炊事場に立った。

 わたしはその光景をじっと眺めていた。


 カレンがまた元気に動いている。

 その姿は、なんだか奇跡を見ているようだった。

 うっすらと涙がにじんでしまう。


「そんな目で見られると、ホンキでやりにくいのですが……」

「す、すまん」

「はぁ……。最近、レイリア様、涙もろすぎじゃないですか? わたしの知るレイリア様は、もっと強いお方だった気がしますが」

「いや、わたしは強くなんてない」


 我知らず、ポロリとそう返していた。


「いままでずっと、強い自分を演じようとしてきた。それで、騎士団の中で付いたあだ名が、鋼鉄戦姫だ」

「こうてつせんき……ですか?」

「ああ。はがねのように、融通が利かなくて冷たい女だ、くらいの意味で付けられたんだろう」


 別に隠していたわけじゃないけど、カレンに自分のことをこんなふうに話すのは、初めてのことだった。


 カレンはわたしの話を聞きながら、ニンニクや塩、卵黄、アーモンドミルク、それに何種類かのハーブを混ぜ、スープのもとを作っていた。

 手際が良すぎて、魔法を見ているようだ。

 分量も計ることなく、目分量で手早く決めている。


 一回や二回、見たところでマネできる気がしなかった。

 早々に料理を学ぶのをあきらめて、カレンと話をする。

 さいわい、カレンも手を動かしながら、わたしの話に付き合ってくれた。


 孤児院で騎士道ロマンス小説を読んで、騎士に憧れを持ったこと。

 宮廷騎士団に入って、騎士道小説のヒロインをマネて振る舞ったこと。

 そうしているあいだに、騎士団の中でどんどん孤立していってしまったこと。

 その結果が、カオフマン宰相との対立、カナリオ村への異動命令だったこと。


 ここまで自分のことを誰かに打ち明けたのは、カレンが初めてだ。

 けど、いざ話してみると、ずっと背負ってきた肩の荷が降りたような心地がした。


「この口調だってもともと、小説の主人公をマネしたんだ。そうやってわたしは、ずっと強がってきた」


 カレンがかまどに火を入れ、わたしはその上に鍋を置く。

 あとは煮えるのを待つだけだ。


「……いいんじゃないですか?」

「えっ?」


 調理がひと段落して、カレンはわたしに向き合った。


「マネでも強がりでも、レイリア様はそうやって、人一倍がんばってこられたんですよね」

「そ、そうかもしれないけど……」

「そんなレイリア様にわたしは命を救われました。わたしにとっては、小説の中の主人公なんかより、レイリア様のほうがよっぽどホンモノのナイトだと思えます」

「カレン……」


 カレンは自分の言葉が恥ずかしくなったみたいに、そっぽを向いた。

 その顔は、ほんのりと赤く染まっている。


「ま、まあ、わたしといるときは、もう少し気を張らずにいてもいいんじゃないですか?」

「そういうカレンこそ、昔は感情豊かで明るい子だったと聞いているぞ」


 なんだかこっちまで恥ずかしくなってきて、ついそう言い返してしまった。


「……誰からですか?」


 カレンのまなざしに、ちょっと不穏な気配を感じる。

 まだ、本気で怒ってはいないけど、その三歩手前という感じだ。


「えっと、それは……誰からでもいいじゃないか」


 わたしにそう教えてくれたのはジラフ村長だ。

 けど、なんとなく告げ口しないほうがいい気がする。

 さいわい、カレンもそれ以上問いただそうとはしなかった。


「まあ、否定はできませんが……。たしかに昔はよく、仕事をする父に付いて行って、木登りをしたり、父の道具を勝手にいじったり、森の中を駆けまわって、怒られていた記憶があります」

「カレンがか!? まったく想像が付かないな」

「男ばかりの兄弟の中で育ちましたから……。そんなものです」


 カレンは他人事のように言う。

 やっぱり、そんなワンパクなカレンの姿は想像がつかなかった。


「けど、母が亡くなったころからでしょうか。わたしもどうせ早く死ぬものと思っていたので……。あまり人と深く関わらないようにするうちに、こんな冷めた性格になってしまったのだと思います」


 その顔は淡々としているようで、どこか自嘲しているようでもあった。


 ひとり小説の中の主人公をマネて、ひとりよがりに生きてきたわたし。

 ひとと深く関わらないよう、淡々とした自分を演じてきたカレン。

 はじめから、わたしたちは似たもの同士だったのかもしれない。


「わたしはいまのカレンも好きだぞ?」

「……っ! あ〜、はいはい。ありがとうございます」


 カレンの顔が、また少し赤くなった。

 マズい、何か怒らせることを言ってしまっただろうか?


 あいかわらず、どこに地雷が潜んでいるのか分からず、カレンとの会話はひやひやする。

 でも、カレンが元気になって、こんなふうにまた話ができるのが嬉しかった。

 たとえ怒られるとてしても、もっと話がしたい。


「けど、もう病は治ったんだから、誰かと深く付き合っても平気だということだな?」

「さあ、それは……。そういうレイリア様こそ、もう宮廷騎士ではないのですから、男言葉で肩意地張る必要はないのでは?」

「むう、そう言われてみると……」


 なんだか話が思わぬ方向に行っている気がする。

 けど、カレン相手なら、ありのままの自分でいるのもいいかもしれない。


「なら、カレン。ふたりだけでいるときは、お互いに身に付けた仮面は外して、素のままの自分でいるとしようか」

「まあ、レイリア様がそうしたいのでしたら……」

「敬語禁止、様もなしだ」

「はぁ……」


 ちょうどそのとき、スープがいい具合に煮えた。

 わたしが鍋から椀にスープをよそい、カレンが食器を用意してくれた。


 久しぶりにカレンが作ってくれた料理だ。

 香りからして、わたしがてきとうにつくるものとは違う気がする。

 ふたりでそろって食堂に向かうのも久しぶりだ。


「うん、やっぱりカレンが作ってくれる料理はうまいな」

「レイリア様、口調」

「あっ! ……そういうカレンだって、様が抜けてないぞ」

「む……」


 素の自分、と口で言っても、意識してみると難しいものがあった。

 しばらくのあいだ、ふたりとも無言でスープをすする。


 ぎこちない沈黙と、互いに探り合うようなまなざし。

 ここは言い出しっぺのわたしが、何か話題を作るべきだろう。


「あ〜、カレン。そういえば、酒場のクレアが、元気になったら一度来てほしいって」

「え、あ〜。……でも、わたし、お酒あんまり飲めないし。レイリアひとりで行ってくれば?」

「お酒だけじゃなくて、料理も新しく色々開発したんだって。元気になったお祝いにごちそうしたいって言ってたよ」

「ふ〜ん。じゃあ、せっかくだから行ってみようかな」

「うん。わたしもカレンと外で食事するの楽しみ」

「いいけど、あんまりお酒飲みすぎないでよ?」


 そこで、会話が途切れ、わたしとカレンは顔を見合わせる。


『違和感!』


 異口同音に叫んだ。

 まるで水中で息を止めていたかのように、ふたりで大きく息を吐き出す。

 新鮮な空気を求めてぜいぜいと肩で息をつく。


「……よしましょう。素直になるというのはまあいいですけど、無理に言葉づかいまで変える必要はありません」


 まったく同感だ。


「だな。背中に虫が這ってるみたいで、ムズムズして仕方なかった」


 ありのままどころか、まったくの他人がしゃべっているような心地だった。


「では、当面はこのままということで。よろしくお願いします、レイリア様」

「ああ。こちらこそ、よろしく。カレン」


 もう一度ふたりで顔を見合わせ、同時に笑う。

 カレンの表情に、少しだけ、無邪気だったという昔の姿が見えた気がした。

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