第38話 小さな奇跡

 ――……リア様。レイリア様。


 朦朧もうろうとした意識のなか、わたしの名を呼ぶ声が聞こえる。

 よく耳になじんだようでもあり、なつかしいようにも感じる声だった。

 澄んだ小川のような、きれいな声。


「カレン……なのか?」


 わたしの呼びかけに応じるように、目の前に人影が生まれた。


 たしかにカレンの姿だ。

 でも、その全身が青白く、蜃気楼しんきろうのように揺らいでいた。


 その足は、宙を漂うにふわふわと浮いている。

 あれは、魂の姿だろうか。


「……そうか。わたしは間に合わなかったのか」


 ガックリと肩を落とす。 

 カレンの魂は、天の御国に旅立つ前に、わたしのもとに立ち寄ってくれたのだろうか。


 ――ちょっと。勝手に人のこと、殺さないでもらえますか?


 カレンは腰に手を当てて、あきれたようなため息をついた。


 ――レイリア様が心配で見にきただけです。


「そうか。それは、わざわざすまない」


 我ながら、マヌケな答えだ。

 カレンのあきれが、さらに深まった気がした。


 ――まったくです。さあ、早いところ起きてください。そんなとこでいつまでも寝ていると、風邪引きますよ。


 そんなとこ、ってここはどこだ?

 問い返したかったけど、カレンの姿は現れたときと同じくらいの唐突さで、かき消えてしまった。


 ひとりあとに残され、ちょっと呆然としてしまう。 

 ほんとに、なんて勝手なヤツだ。


 カレンの物言いに、なんだか腹が立ってきた。


 もう、思い残すことはないとばかりに、ひとりでこうとするカレン。

 わたしは置いてけぼりだ。


 わたしには、ひとに頼れとか、みなに相談しろと散々言っておきながら……。

 自分のことはひとりで抱え込んで、ひとりで納得して。

 何も相談してくれなかった。


 ――レイリア様と過ごした日をけっして後悔しません。


 なんだ、それは?

 あとに残されたものの想いはどうなる?

 わたしは後悔だらけだ。

 

 父親のハンスだって、兄弟たちだって、やりきれない想いでいるはずだ。

 心配するのが親の仕事なら、甘えるのが子の仕事じゃないのか?

 

 カレンが目を覚ましたら、言ってやりたいことが山ほどあった。

 だから、絶対に死なせたりするもんか。


 ◇◆◇


「うっ……」


 自分のあげたうめき声に呼び覚まされるように、わたしは目を開けた。

 壁にもたれかかるような格好で、意識を失っていた。


 手足が、腰が、背中が……全身のあらゆる箇所に痛みを感じる。

 頭が揺れ、吐き気もした。


「んぐっ……」


 気力を振りしぼって、どうにか立ち上がる。

 痛みはひどかったけど、さいわい、骨が折れている感じはしない。


 手も足もちゃんと動く。

 なんとか歩けそうだ。


 どうやら背負った食糧やらの荷が、クッションになってくれたらしい。

 無意識に受け身を取れていたのかもしれない。

 体じゅう、泣きたいくらい痛かったけど、これくらいこらえないと、ヴァイスハイト騎士団長にしかられてしまいそうだ。

 

「それにしても、ここ……どこだろう?」


 四方を壁に囲まれている。

 見上げると、空が遠かった。


 崖の下まで落下してしまったのだろうか。

 頭上からは、パラパラと雪が降り注いでいる。

 わたしが気絶しているあいだに、風雪はさらに弱まって、かすかな粉雪ていどになったらしい。


 ……やってしまった。


 一命を取りとめただけさいわいではあった。

 けど、自分のうかつさを呪いたくなる。


 今日じゅうにもう一度、あの丘まで戻って白魔雪の銀花の探索をするのは無理がある。

 日が暮れるまえに山を降りないと……。

 けど、ここが山脈のどの辺りに位置するのか、はっきりとしない。


 それ以前に、この谷底から脱出できるのだろうか。

 崖をよじ登るのは、まず不可能だ。

 垂直に切り立った崖を登る装備は持ってきていないし、壁面は凍っている。


 なんとか、日があるうちに少しでも動かないと……。

 もし、一夜を明かすことになったら、どこか降雪をしのげるところを探したい。

 絶望感に打ちひしがれそうになりながらも、なんとか足だけは動かす。


 ――何をやってるんだ、わたしは。


 いくらも行かないうちに、自己嫌悪の念が湧いてくる。

 フィクションの中の描写に飛びついて、こんなとこまでやってきて……。

 あげく、崖の下でさまよっている。


 カレンの命がかかっているというのに……。

 それだけじゃない。


 月影樹の地底根の購入を承諾してくれたカナリオ村のみんな。

 きっといまごろ、火喰鳥の尾羽根をなんとか入手しようとしてくれているはずのヴァイスハイト団長とシーラ。

 わたしを支えてくれる、すべての人たちに申し訳が立たない。


 もっとよく調べて、いろんな人に話を聞いてからやってくるべきだった。

 カレンと出会って、カナリオ村の領地経営を経験して、ちょっとはマシになったと思っていたのに……。


 またまた、わたしは間違ってしまった……。

 ほんとに、いつになったら学ぶんだろう?


 沈む気持ちは足取りも重くさせる。

 痛みと寒さが気力を萎えさせる。


 いっそこのまま、雪に埋もれて眠ってしまいたい気さえしてきた。

 一度眠気を意識すると、まぶたが重くなってくる。

 また気絶してしまいそうだ。


「……いや、寝てどうする。せめて、夜営のできる場所を探さないと!」


 自分を叱りつけるように、あえて大きな声を出す。

 全身の痛みが、眠気をまぎらわせてくれた。

 辺りを探りながら、一歩、一歩、前へ進む。


 それにしても明るい。

 ひらひらと舞い散る雪が、行く手を照らしてくれているようだった。

 雪明かりって、こんなに明るいものだっけ……?


「ほんとに雪なのか……?」


 わたしは、降り注ぎ続けるそれを凝視した。

 不思議なものを見ている気がする。

 雪というより、これはまるで……。


「白い薔薇……?」


 そう、バラの花弁そっくりだ。

 身に降り積もるそれは冷たくもないし、ほのかな芳香を放っていた。


 気づいた瞬間、上から降り注ぐばかりだった薔薇の花が風もないのに逆巻いた。

 まるで小さな竜巻のように、垂直に花びらが舞い乱れる。


 ひと所に集まった薔薇の花びらが、どんどん密度を増していく。

 そして、小さな爆発を起こしたようなはじけた。


「なっ……」


 まるで薔薇の花弁の中から生まれたように、ひとりの人がわたしの前に立っていた。

 新鮮なようで、とてもなつかしいその姿……。

 ひと目で、思い当たる。


「白薔薇の騎士、ナターシャ様……?」


 薄桃色の艶やかな髪。

 あご先は男の人のように尖っているのに、瞳は優しく、細身なのに、たくましい全身。


 力強くも気品に溢れたいでたち。

 勇ましくも気品ある、高貴なその姿。


 わたしがずっと憧れ、そうなりたいと思っていた姿。

 それが、目の前にあった。


「わたしはまだ、夢の続きを見ているのか……?」


 崖から落ちて、強く頭を打ってしまったのかもしれない。

 幻覚を見ているのかもしれない。

 いまだ、眠りこけているのかもしれない。


「夢なんかじゃないさ」


 わたしの声真似なんかより、ずっと凛々しい声で、ナターシャ様は呼びかけた。


「わたしはずっと君のそばにいた。そうだろう、我が友レイリア?」


 言われてハッとする。

 そうだった。


 剣術大会で優勝したあのときからずっと、わたしはナターシャ様に支えられて生きてきた。

 あのときだって、そばでささやきかけてくれるナターシャ様の声に導かれて、優勝を果たしたのだ。

 いまさら驚くほうが、どうかしているのかもしれない。


「勇気を出したまえ、我が友よ。君はもう、わたしがいなくても大丈夫だ」

「わたしは……」


 もう、ナターシャ様がいなくても大丈夫……。

 そう言われ、寂しさが湧いてくる。

 でも同時に、なぜか嬉しくもあった。


 ナターシャ様は力強くうなずくと、青いマントを華麗にひるがえした。


「だが、このわたしをずっと慕い続けてくれたのだ。最後に、その礼を返すべきだろう」

「礼だなんて。わたしのほうこそ……」

「遠慮するな。受けた恩は倍にして返すのが騎士の務めというものだ」 


 凛々りりしく笑い、ナターシャ様は腰の剣を引き抜いた。

 そして、見えざる敵を切り裂くように、一閃させる。


 すると、その剣閃が真っ白な光となり、先を照らした。

 ナターシャ様はまっすぐに続く、その光の道を指さした。


「さあ、己を信じて進むんだ、我が友よ。この先に、山脈からの脱出口も、君が求めるものもある」


 わたしは驚きすぎて、言葉が出なかった。

 ただ、うなずき返すのが精一杯だった。


 ナターシャ様の言葉を信じ、光の道を進む。

 まばゆくも暖かな光に包まれ、ケガも疲労も、寒ささえもどこかへ行ってしまったみたいだった。


 光の中を進むと、前方に洞穴の入り口が見えた。

 人がとおるのに、十分なほど大きな入り口だった。


「ナターシャ様、ここが……?」


 うしろを振り返ると、そこには誰もいなかった。

 光の道筋もなく、降り積もるのも、白い雪だけだ。

 ただ微かに、白薔薇の残り香が、鼻の奥をくすぐった気がした。


 不思議と、寂しいとは感じなかった。

 ナターシャ様は消えてしまったわけじゃない。

 いまも、わたしの胸の中にたしかに息づいている。

 そう、感じる。


「さあ、行こう」


 自分に向かって呼びかける。 


 洞穴の中は薄暗いが、真っ暗ではなかった。

 向こう側がほんのりと光って見える。


 わたしは、さらに先へと進んだ。

 奥へ行くほどに、天井は高く、道は広くなる。


「これは……」


 わたしは、目の前にあらわれた光景に息を呑んだ。

 洞穴の中。

 一面に咲き乱れる可憐な白い花たち。


 明らかに、花それ自体が白い輝きを宿していた。

 そこはまるで、天然の花屋敷だった。


「これが、白魔雪の銀花……」


 わたしは身をかがめ、咲き乱れる花びらを見つめる。

 くきが高く、洞穴に吹くささやかな風に揺れている。


 純白でしなやかに咲きほこる、大輪の花びら。

 可憐でつつましやかなのに、雪の冷たさにも負けない、強い生命力を感じる。 

 花弁からは甘く、かぐわしい香りがした。


 百合の花に、よく似ていた。

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