冬の章 奇跡の霊薬と一致団結

第32話 冬ごもりのころに

 雪の降る山道を、一歩、一歩、厚く積もった雪を踏みしだくようにして歩く。

 曲がりくねった細道が足を取ろうとするが、歩みは止めない。


 険しい道だった。

 曲がりくねった急勾配きゅうこうばいの地面に、岩肌と雪道がたちふさがる。


 さすがにスペルディアでは、この荒れた山道は登れない。

 山のふもとで、待ってもらっていた。


 彼は寒さに強い。きっと大丈夫なはずだ。

 いまは、愛馬よりも自分のことだ。


 一歩進むごとに、体力が奪われるのを感じる。

 空気を求めてあえぐ口の中に、容赦なく雪が吹きつける。


 峻厳しゅんげんな自然が巨大な力になって襲い掛かってくるみたいだ。

 ちっぽけな人間なんて、あっという間に踏みつぶされてしまいそうだ。


「……くっ」


 雪をはらんだ風が強まった。

 凍てつく雪のつぶてが、顔にぶつかり体温を奪う。

 腕で顔をかばい、腰をかがめながらも、雪道を踏みしめる。


 こんなところで倒れるわけにはいかなかった。

 道を間違え、遭難するわけにもいかない。

 少しでも気がゆるむと、方向感覚が狂ってしまいそうだ。


 どんなに吹雪がひどくても、目を見開き続けた。

 凍えそうになる手足をしかり、気力を奮い立たせる。

 奥歯がガタガタと鳴るほど寒いのに、胸の内は熱い。


 彼女の苦しみは、こんなもんじゃないはずだ。

 それを思えば、雪の山道くらい、いくらでも乗り越えられる気がした。


 この先に、必ずある。

 そう信じて進むしかない。

 村のみなが託してくれた想いを、ムダになんてしない。

 絶対に助けてみせる。


 ――だから待っていてくれ、カレン。


 叩きつける雪に薄目を開け、わたしは、立ちはだかる山道の先を睨みつけた。


 ◇◆◇


 季節は過ぎ、凍てつく北風が吹きつける季節がやってきた。

 カナリオ村の農繁期は過ぎ、家の中で内職にいそしむものがほとんどだった。


「ん? カレン、暖炉に火が入っていないぞ。薪はまだ残っていたと思うが……」


 朝、食堂に降りてみると、人の気配がなかった。

 かじかむ手をこすり合わせながら、まわりを見回す。


「カレン、まだ寝ているのか?」


 少しいぶかしく思いながら、声を張りあげる。

 返事はない。


 いつもわたしより早起きなのに、珍しい。

 部屋に行ってみようか、と思ったそのとき――。


 どさり、と重い音がした。

 炊事場すいじばのほうからだ。


「カレン!?」


 意識するより早く、駆けだしていた。

 目にした光景に、寒風が屋敷の中にまで吹き込んできたように、全身が震えた。

 カップとトレイが床に散乱し、飲み物がこぼれていた。


 頭が真っ白になった。

 現実の光景として受け止められなかった。

 床に倒れるカレンの姿を。


「カレン!? カレン!!」


 肩を抱きあげても、返事はなかった。

 自分の声ばかりが、ひどく遠くから聞こえてくる。


 荒く、苦しげな吐息が、かすかに返ってきた。

 まるで熱した炭のように、その顔が熱かった。

 苦しみを訴えかけるように、その口が小さくわなないている。

 ……でも、声にはならなかった。


 なんとかしなくちゃ。

 気は焦るのに、思考が混乱し、まとまらない。


 ◇◆◇


 そこから先のことは、あまりよく覚えていない。

 カレンを彼女の部屋のベッドに寝かし、村の医者を呼び、さらに彼の言いつけで教区教会のシスターを呼びにいった。


 スペルディアを飛ばし、引っさらうように、シスター・イライザを後ろに乗せて連れてくる。

 すべて自分でやったことのはずなのに、ほとんど記憶になかった。


 気づくとわたしは、屋敷に集まった者たちとともに、ベッドに眠るカレンの姿を見下ろしていた。

 カレンは苦しげな息を吐きながら、目を覚まさなかった。

 荒い吐息は、悪夢にうなされているかのようだ。


 部屋にいるのは、眠るカレン以外に五人。

 わたしと村の医者、シスター・イライザ、ジラフ村長、そしてカレンの父親のハンスだ。

 カレンの兄弟たちもやってきたけど、「病人に大勢で押しかけるものじゃない」とハンスがいったん、外にやっていた。

 けど、そのときカレンの様子を見た兄弟の誰かの言葉が、ずっとわたしの耳朶じだに残っていた。


「母さんのときとおなじだ……」


 彼はたしかに、そうつぶやいていた。

 カレンの母親は、若くして亡くなったと聞いている。

 それと同じ病気に、彼女も冒されているというのだろうか。

 不吉な予感に、震えが止まらない。


 イライザと医者がせわしなく立ち働く。

 脈を計り、薬を煎じ、イライザが指示を飛ばす。

 わたしたちもそれを手伝い、冷たく濡らした布を何度も取り替え、カレンの額から流れる汗を拭い、着替えさせる。


 けど、素人に手伝えることなんてたかがしれている。

 次第に手持ち無沙汰になってしまったわたしたちは、呆然と見守る以外のことができなくなっていた。

 それでも、誰一人その場を離れようとはせず、一言も口を聞けなかった。


 やがて、イライザが「ふぅ」と息をついた。

 依然、カレンの苦しげな様子は変わりなかったが、やれることはやりつくしてしまったという感だった。


「みなさん、一度こちらへ」


 イライザは、静かな口調でわたしたちみなを、部屋の外にうながした。

 その冷静過ぎる表情が、かえって怖かった。

 村の医師も、沈痛な面持ちでそれに続く。


「……いまは少し、症状が落ち着いているわ」

「シスターどの、カレンは治るんだな!?」

 

 わたしは襟首をつかまんばかりの勢いで、彼女に詰め寄っていた。

 そんなわたしの目を射抜くように、イライザはまっすぐ見返してくる。


「領主様。いまわたしができるのは、少しでもあの子が苦しまないように処置することだけよ。この先、どれだけ彼女の命が持つかは、天のあるじ御心みこころしだいね」

「な、何を言ってるんだ、シスターどの!?」


 ぐらり、と目の前が揺れ、たたらを踏んでしまう。

 わたしの肩を支えてくれたのは、カレンの父、ハンスだった。


 肉親である彼のほうが、ずっと辛い思いをしているはずだ。

 わたしがしっかりしなければ……。


 そう思うのに、手足にまったく力が入らなかった。

 イライザは腕を組み、まっすぐわたしを見つめたままだった。


「このうえなく分かりやすく伝えたつもりだけど?」

「わたしには分からない!」


 我ながら、まるでおさない子どもみたいな返事だ。

 けど、叫ばずにはいられなかった。

 イライザは冷徹に、そんなわたしの目を見据えていた。


「症状から推しはかって、カレンがこの冬を越せる見込みは限りなく低いわ。天の御国の迎えが、いつ来てもおかしくない」

「ば、バカを言うな!? カレンが……カレンが……そんなはずがあるか!?」

「病人がとなりの部屋で寝ているのよ。大きな声を出さないで」


 彼女の冷静さがいまいましかった。

 シスターに当たったところでしょうがない。

 そう頭では分かっているけど、冷静になんて、とてもならない。


 彼女の言うことが、信じられなかった。

 信じていいはずがない。

 だって、だってカレンは……。


 毎日わたしのそばにいて、あきれながらわたしの話を聞いて、頭が良くて、わたしに欠けているものをたくさん教えてくれて、それで、それで……。


 そんな日がずっと続く……そのはずだったのに……。


 ハンスが感情を押し殺したような低い声で聞く。


「あれのときと同じなのか?」

「ええ。対処療法をほどこす以外に、いまのところ打つ手がないわ」

「そうか……」


 二人が話しているのは、カレンの母親のことなのだろうか。

 冷静なようでいて、ハンスもひどく憔悴している。

 イライザが、動揺するわたしたちのために、あえて気丈に振る舞っているのも、頭では理解していた。

 それでも、わたしは現実を受けとめきれなかった。


「絶対に治療は不可能なのか?」

「…………」


 イライザは複雑な表情で押し黙っていた。

 その顔は、肯定とも否定ともつかない。


「何か……。何かあるんだな!?」

「ハンパな希望はかえって深い絶望をもたらすわ。楽観的なことは言いたくないの」

「いいから教えてくれ!」


 イライザは逡巡していた。

 けど、そのとき、ずっと黙っていたジラフ村長がわたしのとなりに立ち、わたしといっしょに彼女に向き合ってくれた。


「わしらの領主、レイリア様は、何かをやる前から諦めることは絶対にしませんでした。かすかでも希望があるなら、教えていただけませんかな、シスターどの」


 イライザは、長い息をついた。

 頬に手を当て、ゆっくりと口を開く。


「……いいわ。レイリアさん、あなたとだけ話をしましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る