第33話 霊薬アルカヘスト

 村の医者にうながされ、ハンスとジラフ村長はカレンの眠る部屋に戻っていった。

 万一、容態が急変したときにすぐに気づけるように……。


 わたしもカレンのそばにいたい気持ちは強くあったけど、それをこらえてシスター・イライザとともに、食堂の席につく。

 シスターには悪いけど、悠長に飲み物を用意する気にはなれなかった。

 一刻も早く、話を聞かせてほしい。


「さっきも言ったけど、カレンの身体を苦しめている原因は分からないわ。一般的な意味での病ともたぶん、違うものでしょう」

「……カレンの母親もそうだったのか?」

「ええ。何もかもが、まったくいっしょだわ。あの人もふだんから身体が弱くて、ある日突然……」


 イライザは言葉を途切れさせ、痛々しい沈黙が部屋に流れる。

 超然として見える彼女の表情に、ほんの一瞬だけ後悔の念がよぎった気がした。

 それでも、わたしは先をうながす。


「病でないとしたら、いったいなんなんだ?」

「……断言はできないけど、わたしは、人の身体の中にある精霊力のバランスをつかさどる機能が、ほかの人より弱いんじゃないかと考えているわ」

「精霊力……?」


 それから、シスター・イライザは、自身の推測を述べた。

 正直、門外漢のわたしには、半分以上も理解できなかった。


 かろうじてわかった範囲でイライザの話をまとめると、こういうことらしい。

 人に限らず、あらゆる生物は地・水・火・風の精霊力を身体の中に保持して、生きている。

 それが生命活動の根源ともなる。

 精霊力のバランスの按分あんぶんは、生き物によって、いや、個々人によってすら異なる。

 その割合が、性格や体質にも影響するらしい。


 健康的な人なら、そのバランスは、常に一定に保たれている。

 だが、カレンやその母親のように、生まれつき、この精霊力のバランスを保持できず、乱れている者もまれにいる。

 そして、その乱れがいちじるしくなったとき−―死に至る。


 精霊力の乱れが悪化する原因は分からず、何がきっかけになるかも分からないという。

 だから、シスターとしては、カレンにはできるかぎり安静にしているように、と言うことしかできなかった。


 その仮説が当たっているのか、わたしには分からない。

 ただ、原因が定かではないというのは本当だろう。


 カレンは昨日までは、いつもと変わらず過ごしていた。

 倒れる兆候ちょうこうなんて、どこにもなかったのに……。


 いつもと同じように、朝、昼の食事をともにして。

 冬のあいだに領主としてやるべきことを話し合って。

 たわいない会話や、ほんのちょっと言い合いもして。

 そんな、いつもと同じように繰り返してきた日常が、ひどく遠い記憶のように感じられた。


「もともと、私がここの教区教会のシスターとなったのも、先代の教会長が、精霊力の研究の第一人者だったからよ」

「そう、なのか……?」


 てっきりイライザは、はじめから神の使徒として働いていたのだと思っていた。

 わたしが突如、カナリオ村の領主になったように、人には他人の知らないそれぞれの事情というものがあるのだろう。


 こんな王都からも離れた地方に、不治の病の研究者がいたなんて……。

 世界の広さを思わされる。


 けど……。

 教会に勤めるということは、世俗の営みをすべてなげうつ覚悟がなければできないはずだ。

 彼女をそこまで突き動かすものは、いったいなんなんだろう。


「先代の教会長は、生命の根源は精霊力のバランスにあると考えていたわ。そして、そのバランスを整える力が生まれつき弱い人のために、万能の治療薬を創り出そうとしていた。それが、霊薬アルカヘストよ」

「霊薬……アルカヘスト。それがあればカレンは治るのか!?」

「理論上はね」


 わたしは、たまらずに椅子から立ち上がり、イライザに詰め寄った。


「そこまで分かっているなら、もったいつけずにそれを用意してくれ。いったい何が問題なんだ!?」

「原材料よ」


 イライザは、声音で斬りつけるように返してきた。


「先代の教会長から研究を受け継いで、ようやく調合方法を突き止めるところまでメドが立ったわ。けど、霊薬というだけあって、その材料は入手困難なものばかりだわ。もし、カレンが王族でもあれば、そろえることができたかもしれないけれど……」

「そんなこと言ってもはじまらないだろう。どうして、シスターどのはそんな平気な顔をしているんだ!?」

「平気じゃないわ」


 強く言い返されて、一瞬、気圧されてしまった。

 イライザは、苛立たしげに爪を噛んでいた。


「私が取り乱したからといって、あの子が元気になるわけじゃないでしょう? せめて、あと十年、いえ、五年あれば、材料を集められたかもしれないのに……」


 イライザの言葉には、一朝一夕のものではない重みがあることに気づいた。

 まるで、ずっと以前からその問題と向き合っていたかのように。


「もしかして、イライザどのはカレンのために教会に入り、その霊薬の研究をしていたのか?」


 イライザは表情を変えないまま、小さく首を縦に振った。


「……カレンのお母さんとは良き友人だったわ。大親友だったと言ってもいいかもね」


 イライザのまなざしが、どこか遠くを見つめるように宙をさまよった。

 その先にあるのは、わたしがこの村にやってくる、はるか以前に起こった物語の光景だろう。

 外見の華やかさと裏腹に、そのまなざしはどこか老成した、人生の先達せんだつのようだった。


「身体の弱さなんて感じさせない、いつも陽気な人だったわ。……もっとも、ハンスさんのことをめぐっていろいろあった時期もあるけど……。いまとなったら、それも懐かしいわ」


 何やら述懐のなかに、生々しい過去を感じる。

 そのあたりの詳細はかなり気になったけど、そんな話をしている場合じゃない。

 詳しく聞くのは怖い気もするし……。


「あの人を救えなかった後悔から、カレンだけは助けてあげたいと思っていた。けれど……」


 出会ったことのない、カレンの母親のことを想像する。

 カレンの聡明な美しさは母親譲りだろうか。


「……けど、あの子は自分の運命をとうに受け入れていたわ。長く生きるよりも、自分に残された時間を精いっぱい過ごすことを望んでいた。北西の街道で、わたしに会ったときのことは覚えているでしょう?」

「……ああ」

「あのとき、自分の身体のことは、あなたにはけっして言わないでくれ、とカレンから強く言われたわ。もし、いつ倒れるかも分からない身体だと知ったら、あなたはいまよりずっと、あの子に遠慮したでしょう?」

「……それは否定できない」

「それにきっと、カレンに何かあったとき、あなたは自分のせいだと背負いこむ。それがあの子には耐えられなかったの」

「わたしは……」


 つくづく、自分のマヌケさが嫌になる。

 気づけるヒントはいくらでもあったはずなのに……。


「いま思えば、私もあの子が倒れるのを怖がって、ずいぶん窮屈な思いをさせてしまったわ。あの子自身、たとえ安静にしていたところで、いつ精霊力の乱れが発症するかは分からない、と気づいていたのかもしれないわね。死の陰に怯えるくらいなら、後悔しないよう生きることを、あの子は選んだ」

「…………」

「カレンが母親と同じ身体に生まれついたのは、天の主の御意志なのかもしれないわ。あの子を治すのではなく、残された時間を悔いなく生きられるように見守って、苦しみを癒やすことがシスターとしての私の使命なのかもしれない。村から離れた街道まで懸命にあなたについていったあの子を見て、私はそう思いはじめたの」

「……わたしは、シスターどののようには達観できない」


 シスターの言うことは理解できた。

 カレンが何を思って、今日まで黙っていたのかも、一番間近にいたから分かる。


 けれど……。

 たとえ、それがカレンの望みだったとしても受け入れる気になんてなれない。

 もっと、もっと生きていて欲しい。


 精いっぱい生きた、なんて満足しないで欲しかった。

 これからもずっとそばにいてほしい。

 そう願う気持ちは、押しとどめられなかった。 


「教えてくれ、シスターどの! 霊薬アルカヘストの原材料として何が必要なんだ」


 もしここで、王都で流行の芝居みたいに、悪魔がわたしの元にやってきて「最愛のものを救うためにはその魂が必要だ」と言われたなら、喜んで差し出しただろう。


 イライザは仕方ない、とばかりにため息をつき答えた。


「霊薬の調合に必要なのは四大精霊の力を宿した、それぞれ最上位のアイテムよ」


 そして、イライザはアルカヘストのもととなる、四つの品の名を、ゆっくりと告げる。


 火喰い鳥の尾羽根。

 月影樹の地底根。

 白魔雪の銀花。

 黒南風くろはえの結晶。


 いずれも、神話やおとぎ話に出てくるような代物だった。

 実在するのか? と思わず言いかける。


 けど、イライザは無茶なのを承知で告げてくれたのだ。

 ここで、尻込みするわけにはいかなかった。


「その四つの材料をそろえればいいんだな?」


 わたしはあえてなんでもないことのように言った。

 シスターには、虚勢を見抜かれていたかもしれない。


「三つよ。一つだけ、黒南風の結晶だけはわたしが手に入れている」

 

 そっけなく、イライザは言う。

 けれど、その一つを手に入れるため、どれだけの労苦をついやしたのか、その表情の陰から分かるような気がした。


 やっぱり、超然として見えて、彼女もカレンのため、アルカヘストをなんとか創り出そうと尽力していたのだとわかる。

 残る材料は三つ……。


「よく分かった。シスターどのの意志はわたしが継ぐ。必ず材料を集めてみせると、ここに誓う」

「……それをカレンが望んでいなかったとしても?」

「だとしてもだ。勝手に満足して勝手にいこうとするなんて、領主として、わたしがゆるさない」


 イライザはわたしの目を、試すように見ていた。

 わたしは視線をそらさなかった。

 希望が見えた。

 イライザの言うとおり、そのかすかな希望は、かえって深い絶望を生むのかもしれない。


 けど、かまうものか。

 やれることがある限り、全力でやってみせる。

 後悔するかどうかなんて、いまは考えるヒマはない。


「……いいわ。もし、あなたが材料をそろえられたなら、わたしも必ず霊薬アルカヘストを創り出すと誓ってあげるわ」

「……ありがとう、シスターどの」

「礼を言うのは早すぎるわよ。誓いを立てたからには、わたしの前に材料を並べて見せなさい」


 そうだ。

 騎士は自分の誓いは絶対に破らない。

 騎士道ロマンス小説は数あれど、それだけはどんな英雄騎士にも共通だった。


 いまこそわたしも、本物のヒーローになるときだ。

 胸の内でも強く、誓いをあらたにする。


 そのとき、ジラフ村長がわたしたちの元にやってきて、告げた。


「領主殿、シスター殿、カレンが目を覚ましました」

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