第31話 この夢のつづきを

 日が暮れるのが早い季節だけあって、気づくと空はうっすらとした、紺色に染まっていた。

 東の空には、一番星がまたたいている。

 まさにえんもたけなわというころだ。


「さあ、領主様、こっち、こっちです。王様パイが焼きあがりましたよ~」


 村の若い娘たちが、きゃあきゃあはしゃぎながら、わたしのところへやってきた。

 あっという間にわたしは取り囲まれた。


「なんだなんだ?」


 王様パイ?

 ワケが分からなかったけど、勢いを得た女子の集団の力というのは恐ろしいもので、とても抵抗なんてできなかった。

 されるがままに、再び一席に座る。


 そのまま少女たちも、輪になって席についた。

 カレンも同じように連行されていた。


 そして、輪の中心のテーブルに、大きなパイが運ばれてきた。

 表面の生地に月桂樹の葉を思わせる模様が刻まれ、こんがりとおいしそうな焼き色がついている。

 ただよってくる香りは、バターとアーモンドミルク、それにブランデーも少し混ざっているだろうか?


 まさに、収穫祭の締めにふさわしい豪華なパイだけれど、それを見つめる少女たちの目は真剣そのものだ。


「ではでは、はじめて参加される領主様に簡単にルールをご説明しま~す」


 パイを運んできた少女が、張り切って声をあげる。

 たしか、村でただ一つの酒場のあるじ、ステファン夫婦の一人娘でクレアという子だ。

 親を手伝って酒場を切り盛りしているだけあって、よくとおる、元気のいい声だ。


 彼女の説明を要約すると、こういうことだ。

 この王様パイのゲームは、十五歳以上、二十歳以下の少女たちだけでおこなわれる。

 それを聞いたわたしは、とっくに二十歳を過ぎているんだから辞退しようかと思ったけど、特例だからと無理やり席に押しとどめられた。


 あんまり自分の歳をふだん気にしてなかったけど、やっぱりこの若い少女たちの中にいると、ひとり年増に見えるだろうか……。

 ちょっとだけ、切ない……。


 それはともかく。

 パイは十切れに切り分けられ、王様と召使いの人形が各ひとつずつだけ、生地の中に混ぜられている。 

 そして、王様の一切れを当てた者が、召使いの一切れを持ったものになんでも命令できるというゲームだった。


 今日だけは、年齢も立場も関係ない。

 王様の人形を当てたものの命令がゼッタイらしい。


 それがなんで少女たちだけで行われるようになったのかは、説明してくれなかった。

 男たちや、もっと年配の女性たちは楽しげに、わたしたちの様子を見守っている。

 覚えていたら、今度ジラフ村長に聞いてみようか。


 ルールを確認したところで、わたしたちは順にパイの一切れを選んでいった。

 もちろん、見た目からじゃ、どれが王様パイなのか見当もつかない。


「さあさあ、行き渡りましたね。ではでは、みなさん、お食べください!」


 まるで競技のスタートを告げるように、酒場の娘のクレアが声を上げた。


 待ってましたとばかりに、わたしはパイにかじりつく。

 香りから想像はできていたけど、とても甘くておいしかった。


 一口かじると、卵黄の甘さとバターの風味、それにハチミツとブランデーの香りが口の中に広がり、サクサクとした生地の食感が舌を楽しませる。


「んん~!」


 みなの前だということも一瞬忘れ、黄色い声を上げてしまった。


 と、口の中にコリッと、固い何かの感触があった。

 吐きだすと、小さなロウ製の人形だった。


 当たりか、と一瞬思ったけど、王様の人形にしてはなんだかみすぼらしい。

 ってことは、これは……。


「おお、領主様が召使いだぞ」

「こいつはケッサクだな」


 周りのみながはやしたてる。

 わたしはそっと苦笑した。

 いまだけは、鋼鉄戦姫こうてつせんきとして築きあげてきた自分を捨てて、村人の命令を聞くとしようか。

 と、思っていたけれど……。


「あ、わたしが王様ですね」

「おお~っとこれは~! 領主レイリア様が召使い、カレンが王様役だ~!!」


 大げさなくらいの大音量で、クレアが叫ぶ。


「そんな偶然あるか!?」


 わたしは思わず声を荒げてしまった。


「きゃあぁ~、カレンが領主様に命令!?」

「いったいどんなイケないことを……」

「想像しただけでわたし……はぅっ」

「しっかりして! 気を失うにはまだ早いわ」

「そ、そうね。この目で見届け、脳に焼きつけるまで……わたしは……まだ、倒れるわけにはいかないッ!」


 ほかの娘たちは、自分はハズレだったというのに、やけに嬉しそうに、きゃあきゃあはしゃいでいた。


 何かこう、不正とか仕掛けとかあったんじゃないかと疑ってしまう。

 いまとなっては、たしかめようもないけど……。


「さて、レイリア様に何を命令しましょうか」

「か、カレン。お手柔らかに頼む」


 カレンはわたしのほうを見て、思案気しあんげに首をかしげている。

 こういうとき、無表情なカレンの顔は怖い。

 内心ビクビクと命令を待つ。


「そうですね……。では、歌でも歌っていただきましょうか」

「うたぁ!?」


 すっとんきょうな声を上げてしまう。

 ひと前で歌ったことなんてないぞ!?


「はい。できれば子守唄がいいです。生前、よく母が歌ってくれましたので……」

「こ、断るわけには……」


 聞かずもがなだった。

 周りの娘たちの盛りあがりようは、いまや最高潮だ。


 この空気の中、拒否するなんてとても許されそうにない。

 領主から追放されかねない。


「う、うぅ……」


 歌に自信なんてまったくない。

 けどまさか、カレンからそんなかわいいお願いが飛び出すとは思わなかった。

 聞かないわけにはいかないか。

 いまのわたしは、召使いだし……。


「では、お願いします」


 カレンはすまし顔だ。

 わたしは覚悟を決めて、すぅっと息を吸い込む。


「ちょっと待った~!!」


 けど、司会進行役のクレアがそれをさえぎった。


「カレン、子守唄を歌ってもらうのよね?」

「……そうですが、それが何か?」

「その姿勢が、ほんとに子守唄を聞くのにふさわしい態勢なの!?」


 クレアの問いかけに、周りの少女たちも何かに気づいたようだった。


「た、たしかに……!」

「クレア、天才か!?」


 そんなふうに言いつつ、カレンを取り囲む。

 じわじわと逃げられないように包囲の輪をちぢめるその様子は、なんだか獲物を追い込む狩人のようだった。


「えっ、ちょ、ちょっと……」


 カレンは少女たちに自分の席から立たされ、背を押され、腕をつかまれ、わたしのすぐとなりに座らされていた。

 さらに、その頭をわたしの膝に乗せることを、どうも少女たちはご所望のようだ。


「わたし、王様なのに、なんでこんな目に……」


 そうカレンはしぶるけど、勢いをえた年頃の娘の集団には誰もかなわない。

 あきらめ気味に、ため息をついた。


「では、レイリア様。失礼します」

「ど、どうぞ」


 カレンは上体を横たわらせ、わたしの膝に頭を乗せた。

 お、おう、これは……!

 

 わたしの膝のうえに、カレンの小さな頭が乗っている。

 さながら、無垢むくな小鳥が枝に羽根を休めるように。

 ゾクゾクっと、なんだかよく分からない庇護欲ひごよくのようなものが背筋をかけた。


 髪とか撫でたら、怒るだろうか?

 ……怒るんだろうなぁ。


 ひと前であることを思い出し、伸ばしかけた手を寸前で止めた。

 ついでに、いままさに罰ゲームの最中であることも思い出した。


「では、いくぞ」


 我ながら、まるで騎馬試合の前台詞のような声が出た。

 覚悟を決めて、喉をふるわせる。


 孤児院時代に、おとなたちがよく子守唄を歌っていた。

 そのときの記憶をたぐりよせ、ゆっくりと歌った。


 母親が、幼い子どもの安らかな眠りを願い、夢の中でも子どもを守って、楽しい夢を見せてあげたい。

 そんな願いを込めた、シンプルな調べの子守唄だ。


 あれだけ騒いでいた村のみなが、シンと静まっていた。

 みんながわたしの歌を聞き入っているのを感じる。


 自分の膝元にある、カレンの耳にそっとささやきかけるつもりで、できるかぎり優しい声で歌ったつもりだ。

 かなり緊張したけど、なんとか最後まで歌いきれた。


「おしまいだ。さあ、もういいだろう、カレン。……カレン?」


 返事の代わりに、膝の上から、すやすやと寝息が聞こえてきた。

 こ、これは……!?


 どうやら、子守唄でほんとにカレンが眠ってしまったらしい。

 わたしの膝のうえで眠る姿は、なんだか猫のようだ。

 周りの娘たちは、起こさないようささやき声で「きゃ~」と歓声をあげる、という器用なことをしていた。


「ど、どうすればいいんだ、これ?」


 わたしは動くこともできず、困惑してしまった。

 少女たちは「領主様、どうかそのままで」「なんて尊い光景でしょう」「ああ、ここに絵師がいたら、最高の一枚ができたのに」などと、好き勝手言っている。


 けど、案じるまでもなく、カレンはすぐに目を覚ました。


「ん……?」


 膝のうえから顔を起こし、一瞬、混乱したように左右を見る。


 寝起きのカレンの顔はなんだかヤケに無防備で、そのまま抱きしめたいような衝動が一瞬、湧いた。

 実行した瞬間、一週間ご飯抜きが確定するだろう。

 がんばって、こらえる。


「まさか、ほんとに眠ってしまうなんて。……不覚でした」

「おはよう、カレン」

「おはようございます。どうやら、なれないお酒に酔ってしまったようです」


 カレンは冷静なようだけど、その顔は夜でもはっきり分かるほど赤い。


「想像していたよりずっとキレイな歌声でした。意外な才能ですね」

「褒めるときはもう少し素直に褒めてくれ」


 いつものやり取りのようでいて、何か照れくさい感じがする。

 カレンも微妙に目をそらしていた。


「日ごろの疲れも出たんだろう。そろそろ帰るとしようか、カレン」

「いえ。わたしはひとりでもだいじょうぶですので、レイリア様はまだ残られては?」

「いや、カレンといっしょに帰りたい。行こう」


 もし逆の立場だったら、わたしひとりで屋敷に帰って、カレンを待っていたら寂しくなってきそうだ。


「……はい。では」


 珍しく、カレンは素直にうなずいてくれた。


「わたしは屋敷に戻るが、みなは楽しんでくれ」


 周りのみなに、声をかけた。

 ほがらかな返事が返ってくる。


 収穫祭は夜どおしつづく。

 けど、開催も閉会も合図なんてない。

 わたしたちのほかにも、腹が満ちて、酔っぱらった村人たちは、ぽつぽつと家に帰っていた。


 わたしは、まだほんの少しぼ~っとしているカレンとともに、家路に着いた。


 ◇◆◇


 自分の屋敷に戻ってくると、ほっと息をつける。

 賑やかなのもいいけど、カレンと二人だけの空間になると、心が落ち着くのも事実だった。

 祭りのあとだけに、家の中の静けさがいつもより際立って感じられる。


「やっといつもどおりになった気がするな」

「そうですね。本日はお疲れさまでした。もうおやすみになりますか?」

「う~ん、そうだな……」


 いま、ベッドにもぐりこんだら、あっという間に眠りにつけるだろう。

 酔っているし、眠くもある。

 けど、もう少しカレンとおしゃべりしていたい気持ちもあった。


「……ずっとこんな日が続けばいい、と思う一日だったな」

「毎日お祭りでは、食べるものがすぐなくなってしまいます」

「それはそうだ」


 カレンはほんの少し、声に熱を込めて続けた。


「永遠に続くものなんてありません。だから、今日のことは胸によく刻んでおこうと思います」

「ああ、わたしもだ」

「……この先何があっても、わたしはレイリア様と過ごした日をけっして後悔しません。それだけ、よく覚えておいてください」


 酔ったわたしの頭は、カレンの言葉の意味をよく認識できなかった。

 いや、たとえシラフでも分かっていたかどうか怪しい。

 ただ、なんとなく嬉しい言葉を投げかけてもらったと、幸せな気分になっていた。


 きっと……。

 カレンは自分の身に何が待っているのか、予感していたのだろう。

 あいかわらず、わたしがそう気づけたのは、そのときが訪れたあとだった。

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