秋の章 魔物退治と収穫祭
第23話 忍び寄る暗雲
秋の風が木々の色を塗り替えるころ。
わたしの屋敷に、一人の村人が急ぎ足でやってきた。
息をととのえる間も惜しみ、彼は報告する。
わたしは、その知らせをすぐには信じられなかった。
脳が理解をこばんでいた。
ちょうど、謁見の間でカナリオ村の領主に任命されたときと同じように、しばらくのあいだ、なんの反応も返せなかった。
呆然と立ちすくんでしまう。
「レイリア様」
カレンの呼びかけに、やっと我に返る。
知らせをもたらした若い村人も、震えていた。
「それはたしかなことなのか?」
「はい。いまも畑に……」
「くっ……」
奥歯を強く噛みしめる。
とにかく、現場を見なければ、と気がはやった。
「カレン、出かけてくる」
「はい。……どうか、お気をつけて」
いつも淡々としているカレンの声も、さすがに震えを帯びていた。
顔色もよくない。
「ああ。くれぐれも戸締りをしっかりしてくれ。君はひと休みしたら、ジラフ村長にもこのことを伝えて、村人みなに警戒してもらうよう言ってくれるか?」
カレンと若者、それぞれに呼びかけ、屋敷を出る。
言われた場所へと、駆け足で直行した。
「あっ、領主様、こっちです」
そこにはすでに、十人ばかりの人が集まっていた。
開拓中の新耕地だ。
ならされたばかりの土が、自然の草木とせめぎ合うように地面の色を変えている。
そして、そんな畑になりかけている土地の真ん中に……。
彼の姿はあった。
カナリオ村の、のどかな景色とはあまりに不釣り合いな光景だった。
豊かな自然に囲まれた、この平和な眺めにも、ようやくなじんできたというのに……。
一瞬のうちに、どこか異界に連れ去られてしまったような錯覚を抱く。
寒くもないのに、全身が震え、腕に鳥肌が立った。
周囲の
一人の男の遺体が横になっていた。
四肢の折れ曲がった、不自然に過ぎるその格好は、村の者が発見するだいぶ前から絶命していたことを告げていた。
変わり果てた姿だが、その背格好には、よく見覚えがあった。
わたしが新耕地開拓の責任者に任命した農夫――エリンズだ。
新耕地開拓のリーダーになって以来、彼は誰よりも村のためによく働いてくれた。
きっと今朝も、日の出前から、ほかの者が起き出すよりも早く、ひとり開拓中の畑にやってきたのだろう。
それを思うと、胸がズキズキと痛んだ。
死体を見るのは、これが初めてではない。
王都で起きた殺人事件を、宮廷騎士として調査したこともある。
けど……。
この光景はこたえた。
我知らず涙がにじみ、
尋常の殺され方ではなかった。
頭部が首根っこから無理やりねじ切られ、失われている。
失われた首からほとばしったのだろう、大量の血の跡が大地を黒く染めていた。
野の獣がこんなマネはしない。
魔物のしわざに違いなかった。
「領主様……」
気づくと、集まった人たちの不安げな視線が、わたしに集まっていた。
体の震えは止まないが、動揺してばかりもいられない。
領主として、みなを不安にさせないよう、いまこそ毅然と振る舞わなければ……。
寒気のする腕に爪をたて、心のうちでナターシャ様に呼びかける。
膝を強く叩いて、震えをこらえた。
なんとか勇気を奮い立たせ、声を出せた。
「エリンズを墓地に運ぼう。そのあとは、みな自宅に戻ってくれ。今日の畑仕事はすべて中断だ。次にわたしから指示があるまで、家を出ないでくれ」
みなに指示をくだしてから、誰にも聞こえないように口の中でつぶやく。
「……許せない」
復讐に、心が暗く燃えたつのを感じる。
頭に血が昇って目がくらみ、
愛する領民の一人を失った悲しみは、その命を理不尽に奪いとった魔物への怒
りに塗り変わっていく。
――必ずこの手で討伐してみせる。
そう胸に誓った。
◇◆◇
ジラフ村長に確認した。
エリンズの死骸の周りには、揉み合ったような形跡と、大きな足跡が残っていた。
あれだけ巨大な足跡を残す魔物は、
村の南に、魔の森と呼ばれ、みなから恐れられている魔物のすみかがある。
トロールはそこからやってきたに違いない。
けれど、魔物が村までやってきて人を襲うことなんて、ジラフ村長の記憶にある限り、なかったという。
魔の森に踏み込みさえしなければ、安全なはずだった。
魔物は邪悪だが、
ヘタに人を襲って、逆に討伐されないよう、むやみに人里に姿をあらわさない。
自ら定めた境界を越えて襲ってくるのは、異常事態だった。
「わたしがやみくもに新耕地を広げすぎたせいか?」
「……おそらく関係ないでしょうな。エリンズは魔の森の方面を避けて畑を作っておりました。それが魔物どもを刺激する、とは考えにくいですな」
ジラフ村長の言葉も、あまりなぐさめにはならなかった。
村から遠からぬ場所に魔物のすみかがありながら、放置していたのは領主であるわたしの責任だ。
こちらから何もしなければ、向こうも襲ってくることはないはずだ、とタカをくくっていた。
魔物の思考など、分かるはずもないのに……。
エリンズの死はわたしのせいだ、と自責の念が心をむしばむ。
「……エリンズ、すぐにカタキはとってやる」
久方ぶりに、自分の中で燃えたつ、騎士道ロマンス小説のヒーローたちの力を感じる。
それは、わたしに勇気と誇りを与えてくれる。
騎士として、領民をおびやかす邪悪は、必ず
◇◆◇
わたしは屋敷に戻って、あわただしく準備をととのえた。
戦支度をするわたしを見つめる、カレンの目に気づいた。
「魔物退治に行ってくる」
「レイリア様お一人で、ですか?」
「ああ。留守をよろしく頼む」
カレンの瞳は、冷めて見えた。
わたしの身を案じているのかと思ったけれど……。
「……けっきょく、あなたは何一つ学んでいなかったのですね」
心底残念そうにつぶやいただけだった。
いつもなら、カレンの言葉に込められた意味を学ぼうとする余裕があった。
けど、気のたかぶっていたわたしは、強く言い返していた。
「わたしが魔物退治に行くのが不服か?」
「……いえ、そうは言いませんが」
カレンは、本気で怒ったさまを見せるわたしに、少したじろいだ様子だった。
「領民を守るのが領主の、騎士の第一の務めだ。ここで戦いに行かなければ、わたしは二度と領主を名乗れなくなる」
「わたしたちは領主様に手取り足取り守ってもらわなければいけないほど、か弱くはありません」
「なら、エリンズはなぜ死んだ!?」
自身の叫び声が、耳をろうする。
カレンと睨みあうなんて、初めてのことだった。
心がじくじくと痛むのを感じる。
けど、頭にのぼった血は冷めるどころか、ますます煮え立っていくようだった。
今度ばかりは、カレンの言葉にまったく納得いかなかった。
「……出過ぎたことを申し上げました。お許しください」
先に折れたのはカレンのほうだった。
といっても、あいかわらずの無表情だけど、もう目つきに睨みつけるような鋭さはない。
わたしの頭も、少し冷静さを取り戻した。
「いや、こちらこそ怒鳴ったりしてすまなかった」
カレンは不安げな顔ながら、わたしの支度を手伝ってくれた。
「どうかご無理なさらないで。生きて……帰ってきてください、レイリア様」
「ああ。約束する」
わたしは力強くうなずき、屋敷をあとにした。
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