第24話 トロール退治
スペルディアの背に乗り、魔の森に分け入っていく。
周囲には、うっすらと
カナリオ村の領主に就任してから、この森の中に入るのははじめてだ。
ここが魔物のすみかで、みだりに足を踏み入れるべきではないということは、初日にジラフ村長から聞いていた。
魔の森の中は木々が痩せこけているのに、不思議と昼でも薄暗く、植生すらほかの森にくらべて、いびつに感じる。
紅葉の気配はなくて、木の枝も葉もすすけたような、鈍い黒色をしていた。
スペルディアの全身に緊張が走っていた。
息づかいからも警戒心がにじむ。
けど、あるじの意図を尊重して、森の奥へと進んでくれる。
「頼りにしてるぞ、スペルディア」
わたしは、その首すじをぽんぽんとかるく叩いてねぎらった。
ひくい、いななきが返ってくる。
トロールのすみかは、スペルディアが探しあててくれるはずだ。
彼はいま、エリンズの死骸に残ったヤツの匂いをたどっていた。
木々の生い茂る暗い森の中でも、足取りに迷いはない。
まるで猟犬のようだ。
屋敷を出た直後から、ぽつりぽつりと小雨が降っていた。
けど、スペルディアの鼻をおびやかすほどのものではなかった。
それだけ、トロールの匂いが強烈だ、ということかもしれない。
彼なら間違いなく、わたしを憎き魔物のところへ導いてくれる。
そう信じていた。
内なるナターシャ様も、直感を込めて告げている。
この先に、邪悪な者が潜んでいる、と。
――いた。
魔の森にあってすら、トロールの姿は異様だった。
苔むした岩のような巨大な全身。
丸く大きな耳と鼻。
目はガラス玉をはめ込んだような、知性を感じさせない水色。
節くれだった手足の
体毛は薄く、剥き出しの性器が醜悪に映る。
全身がまだら模様のように黒ずんでいるのは、エリンズの返り血を浴びたせいだろうか。
向こうも、敵意を持って近づくこちらの足音に気づいている様子だった。
威嚇するように吠え、丸太のような腕を振り回してくる。
「スペルディア、下がっていろ!」
彼の背から飛び降りると同時に、剣を鞘から抜き放つ。
思えば、宮廷騎士団から追放されて以来、久しぶりに剣を振るう。
けど、全身に気力が満ち、怖じ気はまったく湧かなかった。
「覚悟しろ!」
両手に剣をかまえ、高らかに叫ぶ。
身の丈を超える魔物との戦いなら、騎士道ロマンス小説をもとに、さんざん
トロールはやたらに腕を振り回し、わたしを捕捉しようと近づいてくる。
戦略も技もない戦い方だが、その怪力は十分に脅威だ。
けど、そのずんぐりとした見た目のとおり、動きは鈍い。
わたしはトロールの間合いをはかり、相手が丸太のような腕を空振りした次の瞬間、ひと息に突進する。
「はあッ!」
素早く、相手の胴を払った。手応えはあったが、浅い。
無理な追撃はせず、すかさず間合いの外へ。
森の木々を盾のように利用して、トロールの側面に回り込む。
相手は苛立って、雑な攻撃を仕掛けてきた。
「しッ!」
これも難なくかわし、鋭く息を吐きながら、脚に斬りつける。
致命打にはほど遠いが、あせりは禁物だった。
アクストの鍛えあげた剣はさすがだ。
いくら相手を斬っても切れ味が鈍くなるどころか、かえって魔物の血肉を吸い、切れ味を増していくようだった。
わたしの剣技は、基本的に対人同士の試合を想定した騎士団の剣術とはかけ離れた、我流のものだ。
こういう状況でこそ、活きてくる。
しかし、トロールの生命力は人間のそれをはるかに上回る。
何事もなかったかのように、腕を降り、脚を鳴らして、よだれを垂らしながら反撃してくる。
その一つでも直撃すれば、簡単に吹き飛ばされてしまいそうだ。
相手のタフさに、じれる気持ちはあるけど、巨体のふところに飛びこむのは危険だ。
胸には怒りの炎を燃え立たせながらも、あくまで冷静に一撃離脱を繰り返す。
トロールのダメージが蓄積するのが先か、こちらの疲労がつのるのが先か、という戦いだと言えた。
勝算は十分にある、と感じる。
まだまだ、疲労にとらわれるには早い。
腕に、脚に斬りつけ、傷を増やしていく。
少しずつ、トロールの動きが鈍くなった。
――そろそろとどめだ!
例によって雑な腕の一振りをかわし、渾身の刺突を放とうとした。
けど、今度のトロールの動きはただの殴打ではなかった。
いつの間にその手に握り込んでいたのか、腕を振り下ろすと同時、石のつぶてを投げつけてきた。
――油断!?
飛来した石は、カウンターを仕掛けようとしていたわたしのおでこに直撃した。
「うっ……」
それ自体は、痛いで済む程度のダメージだ。
出血も気にするほどじゃない。
けど、態勢が大きく崩れた。
そこにトロールが突っ込んできた。
肩から激突され、わたしの身体は後方に吹き飛ばされた。
「きゃあぁッ!」
技も何もあったものじゃない一撃だが、トロールの巨体だ。
四頭立ての馬車にでも跳ね飛ばされたような衝撃だった。
地面に激突する寸前、宮廷騎士団でさんざん繰り返した受け身をどうにか取れた。
それでも、肺がつまり、息ができない。
痛みを感じるよりも先に、意識が飛びそうになる。
なんとかこらえ、よろめきながらも、立ち上がる。
けれど、わたしの目の前にトロールの巨体が迫っていた。
気づいたときには、腕を振りかぶっている。
――かわしきれない……!
思わず目を閉じかけたそのとき――。
白い影がトロールの横からせまり、前脚で蹴り上げた。
耳になじんだ、いななきも聞こえる。
「すまない、スペルディアっ!」
わたしの愛馬の不意打ちを受け、今度はトロールのほうが態勢を崩していた。
いまさらながら、全身に痛みを感じるが、そんなものにかまってはいられない。
わたしは大上段に両手で剣をかまえ、渾身の力を込めて振り下ろす。
「覚悟ッ!」
肉を切り裂いた刀身が、魔物の内蔵まで届く感触が、たしかに手に伝わる。
どう、と重い音を立ててトロールは地面に倒れた。
起き上がってくる気配はない。
念のため、胸に剣を突き立て、とどめを刺す。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
さすがに、肩で荒く息をつく。
楽な相手だったとは、けっして言えない。
けれど、体力は消耗したけれど、大きな傷は負っていない。
全身のすり傷は痛んだけど、体当たりで受けた衝撃も、骨にまでは達していなそうだ。
スペルディアも無事だ。
――どうだ、カレン。
流れる汗をぬぐいながら、胸の内で呼びかける。
彼女はただ、一人で魔物に挑もうとするわたしを心配してくれていたのかもしれない。
けど、その心配は無用だった。
これで領民たちも、安心して日々の暮らしに戻れるはずだ。
戦いに集中していて気づかなかったけれど、いつの間にか雨は本降りになっていた。
魔の森の痩せた木々は、あまり傘の役割を果たしてくれない。
トロールに吹き飛ばされたとき濡れた地面を転がったせいで、全身泥だらけだった。
早く、水浴びでもしたかった。
「でも、傷に染みるだろうなぁ……」
その痛みを想像すると、ちょっと泣きそうになる。
エリンズのかたきは討ち果たした。
これで、魔物の脅威も去ったはずだ。
わたしはそう信じていたが、それが間違いであったと思い知らされるのは、村に帰ってすぐのことだった。
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