第11話 ヘアカット

 というわけで、世話係としてカレンが最初にしてくれたのは、髪の手入れだった。

 もちろん、シャツは自分で着なおした。……王族じゃあるまいし。


「せっかくなので、少しカットもします。椅子に座ってください」


 そう言いながら、彼女は持ってきた荷物の中から小ぶりのハサミを取り出した。

 なんて用意のいい……。


 最初からそのつもりだったのだろうか。

 彼女の口調は丁寧ながら、拒否しにくいものがあった。


「あ、ああ……。ありがとう」


 雇い主という身分ながら、不思議とこっちが圧倒される感があった。

 彼女の言葉に逆らえない。

 なんとなく、こんな関係がずっと続くのではないか、という気がする。


 わたしは言われるがままに、食堂の椅子の一つに腰かけた。

 まるで貴族の邸宅にあるような長テーブルに、合計十脚も椅子が並んでいる。


 わたし一人が暮らす分にはまったくムダな空間な気がするけど……。

 領主たるもの、賓客ひんきゃくをもてなす場面もある、ということなのだろうか?


「言っておきますが、王都の流行は分かりません。かるく整えるだけでよろしいですか?」


 カレンは実に手際よく、持参した布を小さな水壺に浸し、その布でわたしの髪を濡らしていく。

 もしや整髪が本業なのでは、と思ってしまう。


「そんなものわたしも分からん。この髪を見れば、こだわりがないのは見て取れるだろう?」


 騎士団の給金でも、街の理髪師を利用するのはそんなに大した出費ではない。

 けれど、わたしはなんとなくめんどくさくて、髪が伸びてジャマになったら自分でてきとうに切っていた。


「ええ。髪がかわいそうです。せっかくキレイな地毛をしているのに」

「うっ、すまん……」


 いつだったか、騎士団で同室のシーラにもやんわりと同じ言葉でとがめられたことがあった。

 けど、カレンの静かな声音のほうがシーラより、ずっと迫力があった。

 手にしたはさみを首筋に突きつけられるような、そら恐ろしさを感じ、思わず謝っていた。


「けど、わたしよりカレンのほうがずっと美しい髪をしているじゃないか」

「田舎娘に世辞せじは不要です」

「世辞などではない。わたしはほんとに――ぐへっ」

「髪、切りますので動かないでください」


 カレンは、先ほど髪を濡らした布をわたしの首に巻きつけた。

 強く結びつけられ、うめき声が漏れる。


 刃物を持って背後に立つ人間に、うかつなことを言うべきではなさそうだ。

 ……まあ、もし本気で殺気を感じたら、何かされる前に反撃する自信はあるけど、そういう問題じゃない気もする。


 おとなしく黙ったわたしの後ろ髪から順に、カレンははさみを入れていく。

 その手腕は実に手ぎわいい。


 ちょきちょき、と軽快で耳心地いい音に身をゆだねる。

 誰かに髪を切ってもらうのが、こんなに気分のいいものだったんだな……。

 そんな感慨が湧いてくる。


 最後に孤児院で育ての親たちに髪を切ってもらったのはいつだろう。

 ずいぶん幼い頃だった気がする。

 だから、こうして髪を切ってもらっていると、童心に帰るような心地がした。


「うまいものだな、カレン」

「……それほどでは。弟のめんどうをみていましたので」


 カレンの応答は、あいかわらずそっけない。

 けど、いまは背に触れるほど距離が近いせいだろうか。

 ほんのわずかだけ、その声音が柔らかくなったように感じた。

 

 まるで、デキの悪い姉に対する妹のように……。

 なんて考えたら、妄想が過ぎるだろうか?


 カレンの細い指が後頭部をすべり、ハサミが鳴るたびに頭が軽くなっていく。

 しばらく、その心地いい感覚に身をゆだねていた。


「領主様、一つ聞いてもいいですか?」

「……なんでも聞いてかまわないが、わたしのことはレイリア、と名前で呼んでもらえるか?」


 まだ自分が村の領主になったという自覚が薄いせいか、ひどくこそばゆい。

 世話係として、これからもっとも身近な場所で接してくれるカレンには、できれば名前で呼んでほしかった。


 わたしの髪をいじるカレンの手が、一瞬とまどうようにぴくりと震えた。

 ――マズい、ちょっと距離感を誤っただろうか?

 あわてて前言を撤回したくなる。


 けど、カレンはすぐにもう一度口を開いた。


「……ではレイリア様」


 レイリア様。

 これは、いい……。

 澄んだ小川のせせらぎのような彼女の声音で名前を呼ばれると、やけに心がはずむ。


「ああ、そのほうがしっくりくる」


 内なるナターシャ様を呼びおこし、なんとか威厳をそこなわない返事ができた。


 なんなら様付けもやめてほしいくらいだけれど、お互いの立場というものもある。

 貴族の出自ながら見習い騎士の身分であるシーラも、かたくなに“様”付けで呼ぶのを止めなかった。

 親しき中にも節度はある、と思っておこう。


「レイリア様は王都の宮廷騎士だったと聞いています。それがなぜ、わたしたちの村の領主になられたのですか?」

「それは……」


 わたしは答えに詰まった。

 宮廷での陰謀劇なんて、この村の人たちは知らないはずだ。

 かといって、まったくのウソを並べ立てても、この理知的な少女には、すぐに見抜かれてしまう気がした。


「自分で望んだわけではないんだ。国王陛下の代理を務められている副王殿下のご命令でやってきた」


 ウソにならないていどに、経緯をぼかして伝える。


「そうなんですね」


 カレンの応答の声からは、どう感じたのかまったく伝わらなかった。

 それがかえって、わたしをあせらせ、気づくと、言いわけをまくしたてていた。


「しかし、騎士にとって領地と領民を与えられるのは名誉なことだ。この村への赴任は、副王殿下より、わたしの勲功をたたえて贈られた恩賞なのだ」


 一国の宰相に逆らった罰として、宮廷騎士団を追放されてやってきました、なんてとても言えなかった。

 つまらない意地かもしれないけど、わたしにだって騎士としてのプライドがある。

 それにカレンだって、自分の村が罰ゲームのように扱われていると知ったら、ひどく傷つくかもしれない。


「そうですか。わたしはてっきり、嫌々領主になったものかと……」

「うくっ」


 けど、そんなわたしの言い訳は、即座に一刀両断される。

 カレンは、わたしの想像の数段上をいく、鋭い感性の持ち主だった。


「それが当然かと思います。こんな何もない辺鄙へんぴな場所に王都から好きこのんでやって来られる方など、いるはずがありません」

「そ、そんなことはないぞ!」


 わたしはムキになって言い返した。


「たしかに、正直、最初は乗り気だったとは言えないかもしれない。だが、カナリオ村に実際に来て……」


 しゃべりながらも、頭をフル回転させる。


 ――こんなとき、ナターシャ様ならなんと答えるだろう。


 何十回、何百回と繰り返した自問だった。

 けど、いい返事がパッと思い浮かばない。


 たしかに自然は豊かで、のんびりした空気は居心地がいい。

 畑地は頭の中で想像していた以上に豊かだった。


 けど、そんな通りいっぺんの褒め言葉は、すぐにお世辞だとカレンに見抜かれてしまう予感があった。

 何か、この村にきて良かったこと、良かったこと、良かったこと……。


「そう、カレン! 君に出会えたじゃないか」

「なっ……!」


 カラン、とかたい音がした。

 なぜか、カレンが手元を狂わせ、ハサミを床に落としていた。

 それを拾い直しながら、少し声を荒げる。


「刃物を手にしているときに、ヘンなことを言わないでください。危ないです」

「わ、わたしのせいなのか?」


 まだ出会ったばかりだが、カレンが聡明な頭の持ち主であることは確信できる。

 生まれ育った王都から遠い田舎の村。

 突然、その村の領主になり、右も左も分からない。


 そんなわたしの世話係として、彼女がやってきてくれた。

 きっとこれからのわたしの仕事も、助けてもらえるだろう。


 わたしにとって、いまのところ、一番の幸運と言っていい。

 そう伝えたかっただけなんだけど……。


「レイリア様。王都ではどうだったのか知りませんが、ここではそのような歯の浮く戯言ざれごとで人をたぶらかすのは止めていただけますか」


 カレンは心底呆れかえったように言う。

 思いっきり心外だった。


「戯言なんかではない。わたしは本心から思ったとおりのことを言ったまでだ」


 たしかに、宮廷では息をするように甘い言葉を貴婦人にささやきかける、軽薄な貴族たちもいた。

 けど、わたしはそんな艶やかな世界とは無縁だった。


 なにせ、鋼鉄戦姫こうてつせんきと呼ばれ、あるいはうとまれ、あるいは恐れられていたくらいなんだから……。

 色恋沙汰はもちろん、カレンの言う歯の浮くような場面とはむなしいほどに無縁だった。


「そういう返事をすぐにするところです」


 けど、やっぱりカレンの受け答えはにべもない。


「では、レイリア様」

「ん?」

「たとえどんな髪型になろうと、わたしに出会えてよかったなどと、まだ言い張れるか試してみましょうか? たとえば、蛇女ゴーゴンスタイルなどはいかがですか?」

「や、止めてくれ!」


 わたしは自分の頭をおさえ、思わず悲鳴を上げていた。

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