第10話 本人無自覚

 遠目に見たときから美しい少女だとは思っていたけど、あらためてその姿をじっくり見るのはこれが初めてだ。


 年のころは、十七、八――わたしより確実に年下だろう。

 ちょうど、わたしが宮廷騎士団に入隊したころの年齢だ。


 人形のように端正な顔立ち。

 かげりのある長いまつげ。うれいを帯びた黒い瞳。


 触れただけで砕けてしまいそうなほど線が細く、真っ白な肌は僻地へきちの村娘より、深窓の令嬢を思わせる。

 かざらない素朴な衣服と、化粧っけのない顔が、かえって魅力を引き立てていた。


 宮廷騎士団に入り、王宮に出入りする貴族たちを大勢見ていた。

 孤児院出身のわたしにとっては、目のつぶれるような華やかさだった。


 騎士道ロマンス小説の中から飛び出してきた王子様や姫君のような男女も、なかにはいた。

 けれど、美しく着飾り、宝飾を散りばめて磨きあげた彼らの美と、目の前の少女の美しさは、まるで異質に思えた。


 川のほとりで髪を洗っていた彼女を初めて目にしたときのように、わたしはしばし彼女の姿に魅入られていた。


「領主様、部屋に入れていただけますか?」


 はっ。

 カレンのけげんそうな声で、我に返った。


 しまった。

 ぼーっと見とれて、彼女を玄関に立たせたままだった。


「あ、ああ。すまん。てきとうに荷物はおろしてくれ」

「失礼します」


 あわてるわたしと対照的に、彼女は冷静そのものだ。

 屋敷の中に足を踏み入れ、抱えていた荷袋を壁際に置く。

 その仕草はどこまでも淡々としている。


 それにしても、お世話係?

 ジラフ村長はわたしの言葉をどう解釈したものか。


 たしかに「ちょっと気になって……」みたいなことを言ったけど。

 どうやらその言葉を何か勘違いして、気を回したみたいだ。


 彼女自身が、いきなりの村長の任命をどう思っているのか、表情からは何も読み取れない。

 けど、少なくとも喜んでやって来たようには見えなかった。


 キッ、と遠くから睨みつけられたのが最初。

 集まる人たちの背後から、凍えるような冷たいまなざしを向けられたのが二度目。

 わたしにいい印象を持っていないことだけは、たしかだろう。


「その……あのときはすまなかった」

「あのとき?」

「君が川で水浴びをしていたとき……」

 

 カレンの頬と首すじが、ぽっと赤くなった。

 もともとおしろいをしいたように真っ白な肌だから、色づいたのがはっきりと分かる。


「忘れてください」

「しかし、ちゃんと謝罪をしなくては……」

「忘れてください」


 同じ言葉をもう一度、最初よりも強く繰り返す。

 なんだか有無を言わせない迫力があった。


 むう。これは想像以上に怒っているのかもしれない。

 忘れろ、と言われても、一流絵師が描いた挿絵画のようなあの光景を、脳内から消し去るのはむずかしい。

 ここはヘタなごまかしをするよりも、騎士らしく、堂々と申し開きをしたいところだ。

 そう思い、わたしはさらに謝罪を重ねる。


「心地良い水浴の時間をジャマしたことは本当に申し訳なかった。ただ、けっしてわたしに覗き趣味があるわけではないぞ」

「もういいですから、この話は……」

「ただ、水浴びするカレンの姿があまりに美しく……。森から迷い出た水妖精ニンフを目撃したような気がして、見とれてしまっただけだ」

「はっ?」


 できるかぎり誠実に事実を伝えようとしたが、カレンの肩がさらにこわばるのが見える。


「……バカなのですか、領主様は?」


 さきほどよりも顔を赤くして、静かに罵倒してくる。

 まずい。どうやら本格的に怒らせてしまったらしい。

 いったい何がまずかったんだろう……?


「いきなり何を言い出すかと思えば……。王都ではそれがふつうなのですか?」

「いや、わたしはただ謝りたくて……」

「分かりました分かりました。これ以上領主様に謝っていただくなんておそれ多いです。この話はもうこれでおしまいにしてください」


 物静かなのに迫力を込めてまくしたてる、という器用な芸当を見せられ、わたしは押し黙るしかなかった。

 と、カレンは何かに気づいたかのようにハッと顔をあげ、部屋の隅まで後ずさりはじめた。


「まさか、わたしを世話係に所望したのはそういう……!」


 そういう、というのがどういうことなのかよく分からないけど、怯えと嫌悪の入り混じったようなカレンのまなざしを見れば、何かヒドい誤解をしていることはたしかだ。


「……よく分からないが、わたしは君を世話係に望んだわけではない」

「えっ?」

「ジラフ村長のかんちがいだ。たまたま村はずれで君を見かけたのを話題にしたら、妙な気を回されたんだ」


 ほんとは、水浴よりも、徴税吏追放のときに冷めたまなざしを投げかけられたことのほうが気になっていたけど、とりあえずそれは黙っておく。


 私の言葉に一瞬、カレンの目がかげって見えた。


「……わたしは不要だ、と言うことでしょうか」

「そうは言わないが、君にも家の仕事があるんじゃないか?」

「……いえ」


 カレンは小さく首を横に振った。

 表情は変わらないのに、彼女の瞳のかげりが、さらに濃くなった気がした。


「家には兄弟が上にも下にもいます。そのなかで、わたしは身体も弱く大した役にも立てておりません」


 淡々として見えて、どこかはかなげでもあった。


「それでもご不要だというのであれば、そのように村長様には伝えますが……」

「あ、いや……」


 わたしは口ごもる。

 カレンのどこか悲しげな反応は予想外だった。


「君自身はどうなんだ? 君はわたしのことを嫌っているのではないか?」


 聞くのは怖かったけど、はずみで口にしてしまった。

 カレンはただ、不審げに眉をひそめるだけだった。


「嫌う? わたしが領主様をですか?」

「ち、ちがうのか?」

「まだあなた様のことは何も知らないのに、好くも嫌うもないかと思いますが……」

「そ、そうか」


 嫌われているわけではない、と言われて妙にほっとしてしまう。

 騎士団内で鋼鉄戦姫と呼ばれ、うとまれていても、たいして気にかけたりはしなかったというのに……。


「ただ……」

「ただ?」

「もし領主様にお許しいただけるのでしたら、おそばで働き、お給金をいただけたらありがたいです」


 そのストレートな物言いが、かえって好感が持てた。

 宮廷社会では、金のために働くと口にするのは卑しいこと、みたいな建前が存在する。

 けど、この村にそんな奇妙な風習は存在しないのだろう。

 目的は、はっきり言ってもらったほうが分かりやすい。


 ――昔は明るい子だったが、身体が弱く、家の役に立てないことを気にかけている。

 ジラフ村長の言っていたことを思い出す。


 ちょうどわたしが孤児院を這い出て、宮廷騎士団で奮闘していたように……。

 もし、カレンが家の中でいたたまれない思いの日々を過ごして、わたしのもとに居場所を求めてやってきたのなら……。

 

 それを無下むげに断るのは、しのびなかった。


「そうか。わたしとしても、慣れぬことが多いからな。身の回りのことをしてくれる者がいるのは助かる」

「じゃあ……」


 正直、昨日はかまどの火の起こしかたも分からず、苦労した。

 この広すぎる家はわたし一人の手には余る。

 何かにつけてズボラなわたしは、騎士団にいるときも同室のシーラに、世話になりっぱなしだった。

 領主の仕事に専念するためにも、侍女の役を担ってくれる人が身近にいてくれるなら、とても助かる。


「給金のことはあとで詳しく決めよう。君の働きぶりを見させてもらってからでもいいかな?」

「はい、ありがとうございます。せいいっぱい、勤めさせていただきます」


 カレンがはじめて、安堵したような微笑みを、ほんの一瞬浮かべた気がした。

 すぐに深々と頭を下げて、よくたしかめられなかったのが残念だ。

 顔を上げた彼女は、もう無表情に戻っていた。


「では、お世話係としてさっそくひとつ、ご指摘してよろしいですか?」

「な、なんだ?」


 徴税吏を追い出したことを、さっそく何か言われるのか。

 あの氷のまなざしを向けられるのか。

 そう思って、わたしは身がまえた。

 けど……。


「シャツの前後ろ、逆です」


 赤面するのは、今度はわたしの番だった。

 カレンはさらに追い打ちをかけてくる。


「あと寝ぐせ、ひどいです。いつもそうなんですか?」


 すかさずの追撃に、わたしは撃沈するよりほかなかった。

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