第2話 宰相に負けた……

 服飾商であるザッハード家は、仕立て屋と呼ぶにはあまりに強力な豪商だった。


 もともとはしがない、町の洗濯屋稼業だったらしい。

 それがどういうツテがあったのか、カオフマン宰相に取りいって以来、一代で急速に富をきずきあげた。


 きらびやかで派手な衣装の数々は王族を含めた宮廷の貴族たちに好まれ、宮廷御用達の服飾商という地位をほぼ独占していた。

 ザッハード家当主自身も貴族のような――いや、ヘタな中流貴族より、よっぽど豪勢な暮らしぶりに成り上がった。


 けど、あまりに急成長した商人には黒い背景がつきものだ。

 いくら貴族たちにその衣服が気に入られたといっても、他の服飾商が出入りできないほど、宮廷の衣類関係をほぼ独占しているのは不自然だった。


 わたしは、宮廷の財務記録にところどころ見られる正体不明の出費が、このザッハード家に流れているとにらんだ。

 国庫の金を、ザッハード家を介して横領することで、私腹を肥やしている人間が誰かいるのではないか。


 宮廷騎士として、不正な賄賂という悪を見逃すわけにはいかなかった。

 こっそり手に入れた財務記録を手に、わたしの心は燃えたった。

 必ずこの不正、わたしの手で暴いてやる、と。


 賄賂とみられる金が動くのには、ある一定の間隔があった。

 その法則を読みとき、わたしはひそかにザッハード家の周辺を見張った。


 そして、とうとう、王宮の国庫にあるはずの金塊を手にするザッハード家の使いの者を捕えることに成功した。

 言い逃れもできない、現行犯だった。

 

 わたしが剣を突きつけると、それが正規の手続きを経たものではない裏金であると白状した。

 さらに取り調べが進み、ザッハード家の不正が芋づる式に次々と明るみに出た。


 すべてわたし一人が突き止めたことだ。

 この時のわたしは、誇らしい気持ちでいっぱいだった。


 けど、わたしがしたことは、急速に成り上がった服飾商を取りつぶすだけの結果に終わった。

 結局、宮廷の中の誰がどういう形で不正に関与していたのかまでは証拠が上がらず仕舞いだった。


 いったい誰と誰が不正に関わっていたのか。

 特に怪しいのが、ザッハード家を取り立てていたカオフマン宰相だ。


 けれど、それ以上の調査は一介の騎士であるわたしの手には余った。

 賄賂に関わった人間は、周到に自分との関わりをもみ消していた。


 この贈収賄事件を機に、裏の権力闘争がバタバタと繰り広げられたようだ。

 ヴァイスハイト騎士団長から、これ以上ヘタに動くな、とキツく言われていたから、その後の詳細はわたしにはよく分からない。


 モヤモヤとした気分のまま待機するうち、ひと月余りが過ぎた。

 そして、褒賞を授与すると言われ呼びだされてみれば、この仕打ちである。


 どうやらカオフマン宰相は贈収賄疑惑をうまいことのがれ、宮廷内の闘争に勝利を収めてしまったみたいだ。

 ザッハード家はトカゲの尻尾切りにあい、わたしの不正調査はハンパな結果に終わった。


 宰相に負けた……。

 それが、結末だった。


 今回のわたしに関する処置は、間違いなくカオフマン宰相が裏で采配したものだ。

 余計なマネをしたわたしを、はるか地方の村に飛ばす。

 褒賞のテイを取っているものの、実質、宮廷騎士団からの追放に他ならなかった。


 ぽかん、とまぬけなツラをさらし、しばしわたしはなんの反応もできなかった。

 そのあいだにも、副王殿下の下知は続いていた。

 ようやく我にかえって、あわててその言葉をさえぎる。


「お、お待ちください殿下!」

「む?」


 眉をひそめるイーマン副王殿下に対し、必死で言いつくろった。


「わたしは殿下もご存知のとおりの若輩者。わたしごときに一村の領主が務まるものとは思えません。そのような大任、つつしんで辞退させていただけますれば……」

「おやおや、何を言い出すかと思えば……」


 カオフマン宰相が横から口を挟んできた。


「騎士の本来の務めを放り、衣服屋のささいな帳簿のズレに気を向けられるほど目ざといレイリア殿だ。小さな村の経営の一つや二つなど、お手のものでしょう」


 皮肉たっぷりに言う。

 言葉のはしばしに、あざけりの笑い声が含まれていた。


 ――このクソデブハゲオヤジがあぁぁ~!!


 ……と、声に出して叫べればどれほど楽だろう。

 玉座に向けて片膝をつきながら、わたしはひそかに拳を固く握りしめた。

 想像のなかで、宰相のでっぷりと太った顔を百万回くらい殴りつける。


 イーマン副王殿下は、そんなやり取りなどなかったかのように、固い声で淡々と言う。


「これは国王陛下の勅命である。辞退は許されぬ。どうしても固辞するというなら、騎士の地位をはく奪するより他ない」

「そんなッ!?」


 とうとう、宰相はこらえきれないとばかりにくつくつと笑いはじめた。

 わたしも、もう露骨にその顔をキッと睨む。


 ヴァイスハイト騎士団長が、そんなわたしに無言で「よせ」と目で諭した。

 謁見の間に、殺伐とした空気が張りつめる。


 副王殿下までが、わたしをおとしめて内心ほくそ笑んでる、とは考えたくない。

 この人は、宰相ほどの俗物じゃないはずだ。


 けど、国王陛下が病気でいるあいだ、できるかぎり余計な問題を起こさないようにする、事なかれ主義な印象の人だった。

 多少の賄賂程度なら目をつむり、大過が起きないよう取りつくろう。

 きっとそれが、イーマン副王殿下のやり方なのだ。


 一騎士に過ぎないわたしが地方に飛ばされる程度で、一連のゴタゴタが片付いてくれるならそれに越したことはない、とでも思っているんじゃなかろうか。


「いやはや、そのお若さで一国一城のあるじとはうらやましいことですな。聞けばカナリオ村は相当のドいな……閑静で自然豊かな村とのこと。療養がてら、わしもそのような地に赴任したいものですな」


 カオフマン宰相の嫌味がつづく。

 ド田舎って言いかけたぞ、このクソハゲデブ。


「ならば宰相殿にこの役目、お譲りしようか。宮廷の華美に過ぎる食事が、宰相殿の健康をむしばんでいるよう見受けられる」


 マズい。黙れ、わたしの口。

 そう思ったときにはすでに遅く、はっきりとその場にいる全員に自分の声が届いていた。


 売り言葉に買い言葉とはいえ、つい強気な発言をしてしまう。

 今回のことも、もとを正せば、わたしの中に染みついてしまったこの癖のせいでもあった。

 だって、こんなとき、わたしの憧れのヒーロー、白薔薇の騎士ナターシャ様なら、何も言い返さないはずはないのだから。


 実際のところ、宰相以外の面々は、さほどわたしの物言いに気を悪くしている様子ではなかった。

 むしろ、痛快に感じている気配すらあった。


 副王殿下の御前ではあるけど、先にケンカを売ってきたのは宰相のほうだ。

 これくらいの物言いは許されると思いたい。


「あいにく、わし抜きでは成り立たぬ激務に追われてましてな。まあ、レイリア殿はゆるりとされるがよろしいでしょう」


 田舎で頭を冷やしてこい。

 二度とわたしに歯向かうな。

 その目は間違いなくそう言っていた。


「ならば過食による病で激務とやらに支障をきたされないよう、陰ながらご健勝をお祈りしよう」


 よせばいいのに、と自分でも思うが、どうしても皮肉を返してしまう。

 脂ぎった宰相の顔を見ると、せめてこれくらいの意趣返しはしなければ、腹が収まらなかった。

 宰相はにやにや笑いを引っ込め、「ふん」と機嫌悪げに鼻を鳴らした。


 いつかその顔面に拳をめりこませてやりたい。

 湧きあがるそんな思いをグッとこらえ、副王に向け深々とこうべを垂れるより、わたしには他になかった。


「国王陛下より賜りし、大切なる領地。必ずやお守りいたします」

「うむ、大義である。任期など詳しい沙汰は追って騎士隊長より知らせる。下がってよいぞ」


 副王殿下の「これで騒動もひとまず片付いた」と、胸をなでおろす音が聞こえてくるような気がした。


 こうしてわたしの、褒賞という名の、騎士団追放&ド田舎左遷のお達しは幕を下ろした。


 ……こんにゃろう。

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