第12話

「欲しいものを言ってごらん」

 アンネが眠るゆりかごを覗き込む。アンネは目をまんまるにして僕を見る。一度、何も要らない、と言った。だけどそれは嘘偽りだと僕にはわかる。

「悔しくはないの」

 僕が問いかけると、アンネは視線を彷徨わせた。流石僕の妹は、僕の気持ちも自分の気持ちもよくわかっているらしい。考えないはずがないんだ。何不自由無いこの生活で。僕達にだけわかる、酷く暗いもの。

「私は……」

 アンネの頬は血の気がなくて真っ白だ。だからか、人形のように見える。僕はアンネの肩に手を置く。アンネは押さえつけられるとでも思ったのか、びくりとその身を跳ねさせた。アンネの白い手が僕の手に重なる。

「僕が、味方だ」

 不安そうなアンネは、僕の言葉を聞いて、僕の瞳と瞳を合わせた。硝子玉のようでいて、ある種の空洞にも見えるその眼は、もう迷いも救いもなかった。

「……私も足が欲しいわ」

 アンネは微笑んでいた。僕も声を上げて笑いたくなった。


 よく晴れていた。いつもより村が騒々しい。薪でも割ろうか、いや割る薪を調達するか、と家の外に出た僕は突然の既視感を覚えた。あの背中を知っている。村の者の動きやすさを重視した服とは違う、上等な外套を身に付けた人がいる。

 あの城での出来事は、掴もうとすると消える煙のように、頭に残っていた。存在するのに見えない少女。人形のように美しい少年。片腕の欠けた軍人少女に、神秘的な雰囲気を纏った神官。村の方角を教えてくれたのは彼だった。普段は森から怪物が城に入らないように門番をしているのではなかっただろうか? 

 近付いてみると、彼は村の人達と言い争っていた。声はそれほど大きくないが、毅然と言い返している。

「以前までと値が違いすぎる。その量じゃ薬品も作り損だ」

「ロルフ、子供の人数は増えるんだ。食物も薬品もじゃんじゃん使う、お前たち城の連中は何人いる? せいぜい片手の指で収まる程度だろう。お前を入れて、な」

 村人はざわめいて彼らを囲った。ロルフと呼ばれた神官は不快そうに顔を歪める。

 ロルフの手には小瓶が紐で連なったものや、軟膏の入っている容器があった。両手で収まる量ではなく、パンパンに詰められた鞄にも、おそらく同じように薬品が詰められているのだろう。

 対してロルフに向き合っている村人は、鳥や獣の肉、果物、パンと、見慣れたこの村の食料品を持っている。それは少なくない量ではあったけど、複数人数で生活するなら明らかに足りない量だった。村人はひそひそと話し合っている。どうやら聞いている感じ、ロルフは村人に嫌われているようだ。ロルフというか、「城の連中は、」という頭文字から発言が始まることが多かったので、城の四人が嫌われているらしい。

 このところの収穫や狩りの様子だと、物々交換でもっと多く渡してもいいはずだと僕は思った。なんでそんな意地悪をするんだ。村の人間は誰も飢えてはいない。その上、ロルフが持ってきた薬品類は、おそらく村の人間では作れない物だ……僕の火傷で爛れた皮膚に、塗る軟膏は少しじゃない。

「ねえ、もう少し……」

 僕は、もう少しわけてあげなよ、と発言しようとした。だけど朝一番の発声だったせいか、酷い濁声で、全然伝わらない。そもそも意味のあるように繋げて喋れない。ただその場にいた人たちがぎょっと肩を跳ねさせて、道が空いた。ロルフが僕を見る。

「…………」

 その場の誰もが喋らなくなった。僕のせいだ。注目を浴びてしまった僕は、恥ずかしくなって、後ずさって人の背中に隠れた。僕の身長は村の平均より低かったから、すぐに隠れることができた。

「じゃあ今回は、貰える分だけ貰うことにする。それでいいね」

 静寂を割いて発言したのは苛立ったロルフだった。村人は下卑た笑いを浮かべて、高らかに「成立!」と叫んだ。

 周囲の村人も手伝って、ロルフの傍にあった荷車に食料や加工品を積んでいく。質の悪い干し肉が放り投げられるように載せられていた。今にも落ちそうなバランスで物が揺れるのをロルフは文句も言わずに直している。

 そしてロルフの薬品類を村人が受け取ろうとした時、ロルフの手にあったいくつもの瓶は重力に従って地に落ちる。ヒビの入った瓶を、村人が唖然としているうちに、ロルフは思い切り踵を落として砕き割った。かなりの数のガラスが割れた音がした。中の薬品が溢れていく。甘い匂いがする。

 猿のように怒り声をあげる村人に背を向け、さっさとロルフは帰ろうとする。全ての薬品がダメになったのではない、きちんと鞄にあった分はそのまま置いていった。対峙していた村人は他の男達に押さえつけられている。嫌っているとはいえ、今回は露骨すぎた、とひそひそ話が僕に告げる。

「なんで俺達が、こんな世界にいなきゃいけないんだ」

 ふいにロルフが振り向いた。

「罪を犯したから。親より先に死ぬという」

 生んでくれなんて頼んでねえよ、と、男は絞り出すような声で言った。

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