第11話

 小川のせせらぎがもう近くまで聞こえてきた。明るい道に怪物の気配はない。唐突に木々が開けて、切り株がいくつかある広間に出た。切り株は切られてから年季が入っており、なるほど座るのに適しているようだ。僕達は各々腰かけて、アンネは僕が抱え、持ってきたサンドイッチを食べた。モールスは四人分作ってくれていたみたいだ。チーズとよく合う塩胡椒が効いて美味い。新鮮な葉野菜も挟まって、食感が楽しい。モールスの作る食事は村でも特に美味しいんだ、とトーマスが言っていた。

「いつか神様が来てこう言うわ。良く頑張ったね、もうお眠りなさいって。そして休んだら、また生まれ変わるの」

 メグが言う。何も知らない僕は、メグとトーマスを質問攻めにした。どうして神様は僕達をこんな世界に住まわせるのか。それは罪を犯したからだという。

「親より先に死んだ罪」

 トーマスが小声で「産んでくれなんて頼んでないのに、勝手な生き物だよ。親なんて」と吐き捨てていた。

 子供ばかりの危険な世界。地獄というよりは生易しいが、決して天国ではない。言うなればそう、煉獄、というのが妥当だろう。

 色々な家庭があって、その数だけ事情もあって……親に愛されない子供も多いのに。それでも皆等しく、罰を受ける。親を恨むな。憎むな。感謝しろ。子供はいつも、自分の力だけでは物事を変えられない。

「トーマス兄ちゃん、そんなこと言ってると神様が来てくれないよ……愛されたから育ったの、大人になれなかった私達のことで母さんも父さんも傷付いてるはず」

「レネ、釣りをしようか。釣竿持ってきたんだ。今夜のおかずを獲って帰ろう」

 トーマスは歪んだ顔で笑いかけてきた。僕は表情筋が動かないので、怯えた顔にならなくてよかった。釣竿を受け取り、丁重にアンネをメグの横に立てかける。二人は目を合わせて、少し睨み合ってクスクスと笑い始めた。あの年頃の女の子は、よく、わからない。

 釣りは初めてだったけど、トーマスが丁寧に教えてくれたから、名前のわからない魚を何匹も釣れた。トーマスは折り畳みの携帯ナイフで魚の内臓を抉り出していた。切れ込みを入れたかと思いきや、ナイフの刃はそのまま少し奥へと進み、抉るように彼が手首を捻る。そのまま体外にナイフを引き出すと、引っかかった内臓が塊で取れた。生臭い匂いがする。

「モールスのところに持っていきなよ」

「うん、わかった」

 トーマスと隣同士並んで座る。ぽつりぽつりと、トーマスが言葉を落としていく。僕はうまく拾ってあげられない。

「妹は神様を信じてるんだ」

「君は、トーマスは信じてないの」

「神様はいるよ。だけど妹が思っているような存在じゃない」

 妹が思っている存在、と実際の神様の違いがわからなくて、僕は首を捻っていた。

「誰もが平等に愛されて育つなんてことは無いのに。罰だけが、平等に与えられるなんて、そんなのってないよ」

 トーマスが釣り竿を引っ張って、立ち上がり魚を引き寄せ始めた。大きな獲物がかかったようで、釣り竿がいかにも重そうだ。トーマスの腰をとっさに持つ。トーマスはぎょっとしたように僕の方へ振り向いて、「お願い、触らないで」と言った。離す。水辺ギリギリまで彼は引きずられる。自力ではやはり獲物を持ち上げることができず、トーマスは釣り糸を切られて尻餅をついた。

「僕に触れたくない?」

 僕はそう言った。火傷の痕がぐずぐずだから。トーマスは、眉尻を下げて首を振り、曖昧な笑顔で僕の問いに答えた。ごめんね、と。

「ねえ釣れた?」

 不意に声をかけられた。メグだった。

「今ちょうど逃げられたところ」

 トーマスは言う。メグの後ろに、遊び終わった人形のように投げ出されたアンネがいる。弱々しく手を振ってくる。口元に作り物じみた笑みを浮かべて。そっとアンネに歩み寄る。


「あやとりって知ってる?」

 アンネがモールスに問いかける。もうだいぶ砕けた様子の、懐いた気安い声色だった。

 メグから教わったのだと、そっと手に紐をかけてモールスに微笑みかける。顔色が酷く悪い。椅子の背もたれにくったりと身を預けている。

 もう、ダメなんじゃないかと思った。彼女の笑顔を見るたびに胸が痛む。五体満足な村人達と接する内に、徐々に高まる……不快感。自分がどんどん汚れていく。モールスだってそうだ。アンネは気を許しているようだが、すらりと伸びたその四肢に、何の傷も無い。……その点、アンネと過ごす時は楽だった。

(僕にはアンネが必要だ)

 アンネは静かに死のうとしている。


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