第10話

 やけにくっきりと空に浮かぶお月様の光を頼りに、包帯を取り替える。皮膚に直接当たっていた包帯は、場所によっては浸出液でベリベリと音を立てた。井戸の水を被って清潔さを維持する。新しい綺麗な包帯はモールスがかき集めてくれた。

 全身の包帯を巻き直そうと悪戦苦闘した。こんなことならモールスに頼ればよかった。一日中農作業をしていたモールスは、帰ってくるなりすぐに寝てしまったので、起こして頼むのは気が咎めたのだ。

 井戸を離れて、物陰で包帯を巻いた。草の上にお尻を置く。明るい夜だ、動くものはすぐ見つかる。 黄色い大きな月に見惚れて少し手が止まった。お母さんのパンケーキ。しっかり火が通っているのに、焦げてなくてまんまるな。

 パンケーキ、美味しそうだったな……。なぜだろう、食べた記憶がないんだ。まだ生前のことは、はっきりと思い出せない。なんだか悲しいような気持ちになる。ここは少し寒い。

 それにしても、この村の人達は皆優しい。僕達兄妹に優しく接しようと心がけている、そんな意識を感じる。僕なんて怪物のマミーみたいな姿なのに。皆なぜそんな風に振る舞えるんだろう。他人なのに……。それならなぜそれが僕には……与えられなかったのだろう……いけない、思い出したくない。急に頭が痛い。

 妹を助けなければ……。

 僕は少しの間、包帯を巻く手が止まっていた。今自分がすべきこと。していること。してはいけないこと、しなくてはならないこと。今までにしてきたこと。

 天国……。絵本で読んだ。条件が揃えば、僕達はこの世界でちゃんと死んで、天国で暮らせるって。村人もその存在を囁いている。

 どこかから遠吠えが聞こえた。夜の冷気に肌を晒す。浸出液で汚れた包帯、ぼろぼろな肌。冷たい風が吹き抜けていく。熱を奪われた僕は、新しい包帯を手に取った。


 薪割りを教えてくれた例の兄妹から、ピクニックのお誘いが来た。アンネとモールスに伝えたところ、モールスは手を打って「行っておいで」と言い、アンネは頬を赤く染めて視線を揺らがせた。行ってみたい、でもいいのかな、という風に恥ずかしがっている。僕はアンネを安心させようと、その兄妹の話をした。そして、アンネと僕はモールスの作ったサンドイッチの入ったカゴを持って、ピクニックに出かけた。

 風が気持ちの良い、よく晴れた日だった。整備された道を通って、森の中を行く。木漏れ日がさらさらと落ちて美しい。瑞々しい緑があふれ、自然の心地よさに震えた。腕の中に抱えたアンネは、少し微睡んでいるようだ。彼女の体調はこの頃悪化していくばかり。目を閉じて蒼白な顔をしている。自分たち三人の足音がする。

「レネ達は今までどこにいたの? どうして死んだの?」

 無遠慮な物言いはメグのものだ。アンネと同じくらいか、もう少し小さいかもしれない。身長は、アンネが圧倒的に低いけど。

「僕は、森に」

「私は城の塔の中……誰かが来てくれるのを待っていたの」

「えー、すごいね! 集団でいなかったんだ! 森危ないのに。これからは村で暮らせるから、良かったね。で、死因は?」

 僕は口をつぐむ。知らない。見れば火傷だと思うけど、記憶は無い。わからないよ、とメグに答えようとして、先にアンネが口を開いた。

「馬車に轢かれたの」

 えーっと声が上がる。馬車? 自動車じゃないんだ。とつぶやくと、自動車って何? とアンネが言う。死んだ時代も違うのか。

 しかし馬車なら納得だ。車輪に半身を潰され両断されてしまったのだろう。そう言うと、アンネは「これは違う」と慌てだした。すると、大きく溜めたため息とともに「メグ」とトーマスが言う。トーマスとは、メグの兄だ。メグはびくりと肩を跳ねさせる。

「ごめんね。プライベートな話を。……メグ! いい加減にしろよ」

 いいんだ。……いいんだ。僕、「生前の記憶がないんだ」皆が僕を見た。一人一人に凝視される。

「レアタイプだね……」メグが言った。ふむ、と考えている様子のトーマスは、眉尻を下げて「辛すぎる記憶は消えることがある。防衛本能らしい」と言った。

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