第一章 金文使い四 彷徨える影の流民

 青年は名を睨鬼げいきといった。

 尋炉ほどではないが長身で、硬い筋肉のついた逞しい体格には似合わない童顔、髭も薄い。ただ、笑うと愛らしくなるほど無邪気な目鼻立ちの、浅黒い左頬から顎にかけては、深くえぐられたような傷痕が火花のように走り周囲の皮膚を引き攣らせている。


 尋炉は四人の弟子を引き連れ、張県令とともに睨鬼のもとへ行き丁重に礼を言った。睨鬼はフードを脱ぎ、巻き毛をかきあげながらはにかんだ笑顔を見せた。肩よりも幾分長い深闇色の髪は後ろで緩く一つにまとめてある。

 茶色い瞳は野心的な自信に満ち、たった今成し遂げた大きな仕事のために息は荒く、首筋は汗で濡れて光っている。


「別に人助けをした覚えはないぜ。俺は褒賞金のためにやったんだ。これで亜獣あじゅう退治稼業は引退、あとは田舎に庵でも建てて一生のんびり過ごせる。黄金五千銭、確かにもらえるんだろうな」

 睨鬼が鋭い目線を投げかけたので、張県令は頷いた。

「浮王は約束は守るお方。ここから宮殿までお連れしましょう。私が証人になります」

「証人なら」尋炉が言った。「私もなりますよ」

「あなたは命の恩人ですから」

 四季弟子と呼ばれ常に尋炉のお供をする義兄弟、子春、子夏、子秋、子冬が、おやと顔を見合わせたが、異論はないというように黙って微笑んだ。尋炉の面は先程とは異なり、張り詰めた真剣さが消え茫洋と和らいでいる。


 腸国の国境から宮殿までは丸二日かかった。途中まで徒歩で行き、街道に出てからは駅で待機していた県令の馬車に乗って移動した。

 腸国は山岳の国だ。山間を縫って走る道路はその名の通り、動物の小腸のように右に左にうねっている。土地は豊からしく、青々とした丘陵の斜面にはいたるところに段々畑が開かれ、作物ごとに色合いの異なる葉や穂先を広々と連ねていた。


 少し、奇妙だった。

 瑞々しく牧歌的な、飢餓や絶望とは無縁そうな風景の中に、時折痩せ細って茫然とした瞳をした、あきらかに他の民人とは異質な人間が混じっているのだ。

 彼らは服装も周りの者と違う。汚れて擦り切れているというだけでなく、衿の幅や色合い、装身具がどことなくこの辺りのものと異なる。

 魂の抜けたような表情と足取りで、一人きりの者もいるが、大抵は数人まとまって道端に蹲ったり、どこへともなくのろのろと歩いたりしている。

 大人の男もいれば、赤ん坊を抱いた女や、あどけない少女の姿もある。


 郷の人間は彼らを半ば無視しつつ、請われれば食べ物を与える場面もちらほら見え、子供には話しかけないよう注意するものの、家の前にいても冷たく追い払ったりなどはしていない様子だ。

 ゆっくりと動く彼らは実体のある生きた人間というよりはまるで影のようだった。


「流民か……」

 尋炉が横目で見やりながら、ひそと言った。彼らは馬車が視野に入っても顔を向けずまったく興味を示さない。

「これはさる筋からの確かな情報ですが」

 張県令が言った。

「最近肺国の一部地域で消滅が起きたようです」

「消滅……」

 尋炉は端整な眉根を顰め小声で繰り返したが、それ以上詳しく尋ねようとはしなかった。

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