六十一輪目

 逆の立場で考えてみよう。

 男性アイドルがファンの女性に対してキスをし、そのようなことを口にすれば。


 あー…………うん。

 例えが悪かったなこれは。


 兎にも角にも、あの出来事は夏月さんの中でトップの黒歴史に入っているらしい。


 もし仮にこの世界の男性が夏月さんのファンだとして、あのようなことをしても許されないのだとか。

 俺じゃなかったら即お縄らしい。


「だからね、優君にはもっと色んなことに対して注意して欲しいんだ」

「いつの間にか話がすり替わってるね」

「うっ……まあ、あの、はい」


 何も言い訳できず小さくなる夏月さんが可愛かったので、取り敢えず頭を撫でておく。


 でも、夏月さんの言うことも分からなくはない。

 未だに何が地雷なのか分からないことが多々あるため、もしかしたら現時点で既に時限爆弾がセットされている可能性すらあるのだ。


 仮にセットされていたとしてもそれの確認しようもないし、なんならいつ爆破するかも分からない。


 個人的に一番怖いのが秋凛さん。

 次点でよく分からない樋ノ口さん。

 高瀬さんとは……いい友達の関係を築けていけていると思っている。

 ライブ前に見た夢からだいぶ意識しているけれど。


「……あまり自惚れない様にしないと」

「ん? 優君、何か言った?」

「いんや、何も。午後フリーなら、何処か出かける?」

「うーん……それは嬉しいけど、もう一日くらいは優君にゆっくりして欲しいな」

「それなら映画でもみようか。おやつの用意するから、何観るか決めてて」


 俺が情報を追えていないだけだったのか、ゾンビ映画は全六作ですでに完結していた様で。

 午後全てを使い、残りを全て観たのであった。






 週末の金曜日。

 何故か俺は今、前に見学へ訪れたことのあるアフレコスタジオに来ていた。


 前回と違うところを挙げるとするならば、俺の目の前にマイクがある。といったところだろうか。


「あのー……」

『大丈夫だから、物は試しと思って』


 ガラスの向こう側にいる上司へ救いを求めて目を向けるが、そもそもここに連れてきたのはその上司な訳で。


 何故この様な事になったのか。

 ことの発端というか、物事の始まりは火曜の午後に来たメールからである。


 内容的には今後、自分に割り振るカットの枚数を減らすといったこと。

 給料もその分減るということ。

 そして背景を描く以外の仕事を受けてもらえるのならその分の手当てを出すということ。


 一応、会社勤めではあるものの給料が減らされる事について。

 男性うんたらかんたらってタイトルと、長々しい説明の書かれたURLが送られてきていたが、流し読みしてそういうものだと受け入れる事にした。


 そして早速とばかりに背景以外の仕事の連絡がきたわけで、今に至るのだが。

 何事も諦めが肝心だと割り切り、声の収録をする事に。


「おひゃっ、あー……すみません」


 一発目、声が裏返った上に噛むという。

 鏡を見なくても自分の顔が真っ赤だと分かる。


『大丈夫だよ桜くん。変にキャラの声とか意識しないで、自然に話す感じで十分だから』


 なんだかホッコリとした空気を感じる。

 いっそのこと笑ってくれた方が笑い話にも出来たのに。


 元々やるはずだった知らない男性声優へ恨みを送りながら、その後は自分の素で無事収録を終えたのだった。






───

この世界にも"結婚"というものはあるが、実際にされることはほぼ無い。

パートナーという曖昧な関係のままでいる。

それは男性が縛られるのを嫌うからという噂もあるが、真相は定かではない。

結婚を題材にしたドラマ、アニメは深夜しか放送できない。

憧れを抱いている女性は多い。


話の中で一夫多妻とありますが、結婚しているわけではありません。

一人の男性に複数のパートナーがいる場合を指してます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る