六十輪目
「そういえばだけど」
「っ! うん!」
「夏月さん、今日はもう仕事終わり?」
「あ……うん。元々そんなに時間、かからないのだったから」
食事を済ませて声をかければ、期待に満ちた笑みを浮かべて続きを待っていた。
それが違うと分かった途端、ものすごくガッカリしている。
そんな反応を見て、愛おしさが込み上げてきた。
夏月さんの手を取って自身に引き寄せ、胸の内に抱きしめる。
せっかくセットしてくれた髪型を崩さないよう気を付けながら頭を撫でていれば。
「ちょっ、ゆ、優君? きゅ、急にどうしたの? いや、あの、私としてはとても嬉しいからこのまま続けてくれていていいんだけど。まだ昼間で外も明るいのにせめてカーテン閉めてから……あ、でもまだ優君病み上がりなんだから激しくはダメだよ? か、軽くだからね? 一回……いや、二回までなら。あっ、外にいたから私汗臭いかも! ちょっ、匂い嗅がれたら恥ずかしい……。シャワー浴びてくるから一度離して──」
「夏月さん、可愛い」
「んきゅっ」
これまでも早口で話す夏月さんは何度かあり、その度に何処かで見た覚えがあるような気がしていた。
その既視感が何なのか分からず、ずっと喉に小骨が引っかかったままの状態でいたのだが、今回ようやく正体が分かった。
ライブで推しにファンサを向けられたオタクの状態が今の夏月さんである。
そうなったオタクはこのようになる。
いや、外見は全くと言っていいほど違うのだが、中身というか、オタクとしての本質というか。
それがそっくりなのである。
あまりよく聞き取れないが何やら暴走しはじめたような気がしたので、耳元に口を寄せて一言。
どこから出たのか分からない音と共に、夏月さんの動きが止まる。
世界観が変わる前だとこんな事出来ないが、良くも悪くも慣れてきてしまっている。
慣れてきているが、この恥ずかしい行為は後々思い返して悶える事になるのは変わりない。
「お、おお……」
再稼働を果たした夏月さんは今の状況の処理が追いついていないのか、俺の胸に頭を押し付けながら言葉になっていない声を出している。
本来、このような状況だと俺がそうなっているハズなのだ。
推しと恋仲になり、同棲までしている。
こうならないはずが無いのだが……人は自分よりも酷い状態の人を見ると、落ち着いてしまうのである。
それにこの状態の夏月さん、同棲初期に比べたら大人しいものだ。
「……本当にごめんなさい」
一通り発散し終わったのか、落ち着いた様子の夏月さん……かと思ったら、今度は落ち込みモードに入ってしまった。
まあ、さっきのに比べてこっちはすぐにどうとでもなる。
「気にしなくていいのに。夏月さん、とても可愛かったよ」
「ふぎゅっ……ん、んんっ。違うでしょ、優君」
「その髪型、凄く似合ってるね」
「んへへ……それでそれで?」
「可愛いね」
「ちがーう!」
夏月さんの可愛い反応は十分すぎるほど見て満足したので、求めているであろう言葉を紡ぐ。
だというのに違うとはこれいかに。
「カッコいいでしょ! 昨日観た映画の主人公と同じ髪型だよ!」
「見た目だけならカッコいいけれど、言動が可愛いから……あ、もしかしてギャップ狙い?」
「そんな……私じゃカッコよくなんて無理なの……?」
ショックを受けたように落ち込みはじめたのだが、何がダメだったのだろう……。
何やらカッコいいに拘っているようだが。
「見た目に拘らなくても、夏月さんのカッコいいところはよく知ってるよ?」
「ほんとっ!?」
「う、うん」
「ど、どんなとこ?」
期待するような目でジッとこちらを見てくる。
少し思い返すだけでも沢山あるけれど、それでもやっぱりダントツで一番印象に残ってるのはアレしかないだろう。
「二回目ここにお邪魔した時かな。唇を奪われた後、付き合ってからお互いを知っていこう。って言われた時が最高にカッコよかったよね」
「あ、あれは忘れて下さい……」
教えて欲しいと聞いてきたから話したのに。
───
同棲初期の夏月はもっと酷いのですが、それを入れてると話のテンポも悪くなり長くなってしまうので全部カットです。
落ち着いてる感じの主人公ですが、こちらも書いてると長くなるのでカットされてます。本来はもっと興奮から荒れてる内心になります。
作中での時間は大体三ヶ月経ちました。
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