三十三輪目
「──優くん!」
「うぇっ!? え……あ、夏月さん。お帰りなさい……? あれ、仕事はもう終わり?」
「夏月、そんなに慌ててどうしたのよ」
いきなりドアが開いたかと思えば、息を切らせた夏月さんが部屋に飛び込んできてビックリした。
帰ってくるにはだいぶ早い時間だけども、仕事は終わったのだろうか?
「あれ……優くん、平気? 何ともない?」
「うん……? 特に何もないけど……?」
「私のことは無視かしら?」
俺と樋之口さんの疑問なんかよりも、夏月さんの中で重要なことがあるらしく。
俺の顔や身体をあちこち触っては何かを確認している。
「本当の本当に?」
「よく分かりませんけど、本当の本当にです」
「こう見えてフユ、男の人に手を出すの早いから。一回も成功したことないポンコツだけど、優君がその餌食にかかったんじゃないかって思って……けど、やっぱりフユだったか」
「あんたたち、まさか裏で私のことをそう思っていたなんてね」
「あ、フユ居たんだ」
「最初から居たわよ!」
何もされていないと確認して分かったのか、夏月さんは樋之口さんと普通に話しはじめていた。
飲み物のおかわり、ということで俺はキッチンへと移動したが。
本当はあの場から離れたく、逃げてきたのである。
もし、もう十分早く夏月さんが帰ってきていたら、密着しているところを見られたかもしれないし、いらぬ誤解をされていたかもしれない。
あの時、樋之口さんからされそうになっていた不意打ちのキスは手を差し込むことで防ぐことはできた。
少し残念に思う自分がいたけども、やっぱり夏月さんを裏切ることは出来ない。
仮に防ぐのが間に合わずキスをしたとしても。
不意打ちでされたのだから不可抗力で仕方のないことなのだが、されたという事実に変わりはない。
『二人だけの秘密でも構わないわよ?』
ふと思い返してしまった魅力的な誘いだが、何を思って樋之口さんは俺を誘惑するのだろうか。
全て失敗しているようだが、以前に何人も男を誘っているようだし。
上手くいかないから、ついに人のものへ手を出し始めたのだろうか……。
「……どうしました?」
いつまでもキッチンにいるとおかしいので、考えもそこそこにおかわりを注いで戻ったはいいが。
夏月さんと樋之口さんが会話をピタッとやめ、こちらをジッと見てくる。
「ううん、何でもないよ!」
「私もこの後に仕事があるから、そろそろ帰るわ」
「あ、はい」
二人が互いの目を見て頷き、言葉を交わさずに意思疎通を取っていたのを目撃した為。
何でもないわけないのだが、それに対して俺が深く聞くことができるはずもなく、ただ頷くのみである。
「夏月も、どうせ仕事抜け出してきているんだから戻るわよ」
「ちゃんと事情説明してきたから、そんなに慌てなくても平気だよ」
「それでも限度ってものがあるでしょ」
樋之口さんの言うことも間違っていないため、それ以上夏月さんが言い返すことはなく。
離れたくないとばかりに力一杯のハグとキスを俺にして、再び仕事へ向かっていった。
樋之口さんは樋之口さんで、夏月さんが見ていないタイミングを狙ってウインクと小さな投げキッスをしてくる。
何て反応すればいいのか困っているうちにサッサと行ってしまったが。
もしかして、今後もこういった事が続くのだろうか。
そうならば夏月さんに話しておく必要があるけども……。
『メンバーの一人に寝取られかけました』
なんて話して、今後の活動に支障とか出たらどうしようと思ってしまう。
ここまで駆け抜けてきたのだから、最後まで走り抜いて欲しいという俺の願いは傲慢だろうか。
☆☆☆
夜、明日も仕事である夏月さんのために早めの寝床となったはいいが。
「…………」
「…………」
「…………」
何やら話があると夏月さんが言うので、まだ寝ていない。
しかし中々切り出しにくい内容なのか、いつも以上にギュッと引っ付いたまま話す気配は未だ無し。
今日は精神的な疲労が強く、横になっているだけでもだんだん瞼が重くなってくる。
急かしたいわけではないが、このままだと話を聞く前に寝てしまう。
すでに半分ほど寝ているような気がするし、今話を振られても明日には忘れてしまってるかもしれない。
「…………ね、優君」
「ん?」
どこか遠く、俺を呼ぶ夏月さんの声が聞こえた気がした。
反射的に返事をしたが、すでに意識は遠く彼方にいるような……。
「私ね、メンバーのみんなだったら良いよ? ……その、出来ればでいいんだけど、誰と会うとかは教えてもらえると嬉しいな」
───
タイトルの意味でも。
検索かければ一発ですが『nodding anemone』は『翁草』を英語にしただけです。
花言葉は『奉仕』『何も求めない』『清純な心』『告げられない恋』『裏切りの恋』『背徳の恋』
雑にまとめると、そういうことです。
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