第8話 悪夢の先は研究都市

 嫌な予感がした。


 自覚したくないのに突き付けられてる様で、忘れたいのに思い出さなきゃいけないみたいな。

 そういった、形の無い不吉な予感。


 走っても、はしっても、疾走はしっても、振り切れはしない。

 叫んでも、泣いても、足掻いても、どうにもならない。


 大事な何かが壊れてしまって、積み上げてきた常識が崩れそうで、かけがえのない誰かをうしなってしまいそうな。

 そんな振り切ることの出来ない、圧倒的なまでの嫌な予感。


 助けを求めて手を伸ばす。

 だけど誰に? 何から? どうやって?

 無駄にまみれたその行為が滑稽こっけいで、希望の無いまま手を下げる…そんな時。

 失望を含んだこえが聴こえた。


『無様ね。アタシを漂白しておいて』




 ✧ ✧ ✧




「──っ!」

 山道を走る旅行バスの窓辺で、不吉を告げる夢は唐突に終わっていた。

 呼吸を整えて、おとみやことは辺りを見渡す。

 動悸どうきが早い。あおいフリルスリーブシャツのワンピースに、汗が滲んでいる。


 新幹線の内部を想わせる車内の中、早朝に乗り込んだためかクラスメイト達の大半は仮眠を取るか、携帯をいじる等して静かに過ごしていた。

 隣でよだれを垂らして眠りこける幼馴染み、たかはしかえでも同様に。


(今の声、誰かに似ていたような……)

 醒めた夢の残滓ざんしを追うも、全てはおぼろげ。

 恐怖に満ちていた感覚が残っているものの、それが何だったのかまでは思い出せない。


「大丈夫音宮さん? 随分とうなされてたけど」

 琴海の正面、向かい合わさった座席に座るおさげの少女、こんあきが心配そうに覗き込んで水の入ったボトルを差し出す。

 琴海は礼を言って受け取ると一口だけ喉に通し、蓋を締めて膝に置いた。


「少し嫌な夢を見ていた気がしますが、もう大丈夫です。心配して下さりありがとうございます」


「でもまだ顔青いよ? アタイで良ければ話聞くけど」

 丸眼鏡の奥から見つめる物憂げな眼差し。

 その瞳に映る自分の顔が目に入った時、琴海を奇妙な感覚が襲う。

 まるで、そう。その顔が自分のものでは無いような──


「お前らそろそろ起きろー、もうすぐ着くからな〜」

 パンパン、と引率の数学を担当している教師が手を叩いて号令を掛け、生徒達を微睡まどろみから解放させていく。


「ふあ〜ぁ。痛てて、寝違えちまったよ」


「あ、高橋さんおはよー」


「ぐっすりでしたね、楓」


「う〜ん、あとどれ位で着きそー?」


「もう観えてますよ」

 とんとん、と琴海が窓をつつく。

 楓はそんな琴海の肩越しから覗き込むと、思わず感嘆の声を発した。


「うおースッゲー!」

 既にバスは山道を抜けていた。

 目の前に拡がるのは、森に囲まれた広大で純白な街並み。

 その全ての建物は各業界の研究所、あるいはその支部であり、有事の際には各界の連携が取りやすいようになっている。


 そして、その中央に座すドーム状の建物。

 国際競技場を想わせつつも、更にその五倍もの大きさを誇る極大施設。

 これこそがこの科学の街を運営するための中心地であり、様々な分野の研究成果を記録し、管理している研究成果保管用ドームだ。


 もちろんこの街は各界の機密事項を多く内包するため、そのドームは唯一見学や来訪が許されている場でもある。


「お水、ありがとうございました。気分が落ち着きましたので、私はもう大丈夫です」


「そっか、助けになれたのなら良かったよ」

 丁寧に手渡された水筒を受け取って、安堵の笑みを浮かべる秋穂。

 そんな二人の様子を見て、楓は口を尖らせていた。


「なんだよ二人とも〜、アタシが寝てる間に良い感じじゃーん」


「なぁあっ!? そそそんなわけないじゃんアタイが二人の間に入るなんておこがましいし隣は高橋さんのポジションというかなんというか寧ろアタイは遠くからそれを眺めていたいというか──」


「人の善意をからかうのは良くないですよ、楓。紺野さんは乗り物に酔った私を気遣ってくれただけです」


「そっかそっかぁ、邪魔して悪かったな☆」


「いいいいやいやいや気にしないで気にしてないから……ってあれ? そういう話だったっけ」

 動揺から一変、秋穂は正気を取り戻すと不思議そうな目で琴海を見る。


「睡眠に適切な環境ではありませんでしたし、つまりそういう事ではないのかと」


「え、音宮さんって車弱いの!? 今の時代、どんな家庭でも政府から車支給されるから誰でも慣れるものなのに」


「そういやお前ん家、昔に車棄てちゃってたしな」

 言い終えて、楓はしまったとでも言うように貌を強張らせる。

 平静を装っているのか琴海の様子に大きな変化は無いものの、少しだけその瞳には暗い影が。


「そうなんだ。まぁ今の時代、車は無くても不便しないしね〜」


「ええ、まぁ」

 二人の空気に気付いていないのか、秋穂の緩んだ態度はそのままだ。

 琴海は幼馴染みに視線を送って、自身が平気である事を知らせる。


「よーし、お前ら荷物忘れんなよ〜。修学旅行じゃなく校外学習なんだってこと、肝に銘じて行動するように!」

 バスが停車したのが幸いしてか、三人の雑談はそこで終わりを告げた。

 ぞろぞろと通路に出て、車内から降りていく生徒達。


「さあ、私達も行きましょう」


「いやっほう! 着いた着いた〜♪」

 立ち上がって、琴海と楓は下車する生徒の列に混ざる。だが浮足立つ楓に、まだ通路に出ていなかった秋穂は慌てて声をかけた。


「高橋さん! リュック荷物置きに置いたままだよ」


「やばっ、コンちゃんサンキュ」


「先に降りて待ってますね」

 後続の生徒を掻き分けながら戻る楓を横目に、琴海は先頭にあるバスの階段を降りる。

 白く淀んだ空には、軍用機によく似たヘリが飛んでいた。

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