第9話 事件の後始末と謎と発生と

 同刻、研究都市の北端に位置する純白の時計塔。

 その数多の四角柱が折り重なるようにして造られた建造物の屋上に向かう、一機の軍用機に似たヘリ。


 「「「お疲れ様です!!」」」

 時計塔の屋上に広がる緊急離着陸場で、大気を掻き混ぜる重低音。

 鋼鉄製の扉を開いて降り立った影人を、両脇に立つ軍服の男達が敬礼と共に出迎える。


 「出迎えご苦労さま。後は任せるわ」


 「「「はっ」」」

 影人の号令を皮切りに、軍服の男達が次々と影人が乗って来たヘリに乗り込んで行く。

 再度飛び立った軍型機を一瞥いちべつして、影人は塔の内部へと入って行った。


 「お疲れ様でした、こちらをどうぞ」

 「あら、ありがとう」

 屋上の出入口で出迎えた軍服の少女がマスクの付いたスプレーを手渡し、影人の隣を歩み始める。


 影人は手渡されたそれを手に取り頭部と思しき部位に当て、全身を覆っていた影をスプレーの中に吸入させた。


 「進展はありましたか?」

 足元の暗い灯りが左右から照らす通路に歩を進め、軍服の少女は影の下からあらわになった人物に眼を向ける。


 ホルスターに入ったナイフを脚部に備え、ガスマスクを被り、体のラインが映えるボディスーツに身を包んだ女。

 装備をそのままに並んで歩くその女は、腰に下げた電子端末を取り出して軍服の少女に手渡す。


 「頭の痛い話だけど、見ての通りよ。ABW4352J八咫烏やたがらすの痕跡はあるものの、肝心の本体が見つからなかったわ」


「約一年越しに発覚した脱走。虚数観測衛星エンリルにおける異変の特定。ABW抹消部隊イレイザーの出動。今回の事変、全てに於いて我々は後手に回ってしまいましたね」

 電子端末に記録された情報を確認しながら、軍服の少女は悔しそうに口を歪める。


「それだけあの鳥が上手うわてだったって事よ」

 女の疲労は蓄積していた、ガスマスクの上からでも判る程に。

 無理も無い。この騒動の対応でガスマスクの女は三日三晩の間、寝ずに現場での処理に追われていたのだから。


「あの八咫烏が情報ミーム汚染効果を有するABWであると我々も認知はしていましたが、まさか現実阻害能力まで獲得していたとは」


「そうね、奴はダイモンドコーポレーション日本支部が開発し、収容していた。そういう存在を創ってしまった時点で危険性は認識できていた筈なのに、上の連中は何をしていたのかしら」


「無理もない事かと。記録や事実、過程から記憶に至るまで、全てのABW4352Jに関するありとあらゆる情報が消えていたのですから」


「そのせいで何の罪も無い多くの人々が命を落とす事になってしまった。村一つが滅ぶまでじっくりと、確実に一人づつ、まるで毒の様にじわじわとね」

 沈黙が流れる。重く、沈み込むような。

 二人の足取りは変わらず、それでいて心中は穏やかでは無い。


「では、その問題の八咫烏は一体どこへ」

 初めて、軍服の少女は顔を向けた。

 その眼に浮かぶしずくは憤怒か、悔恨か。


「落ち着きなさい。恐らく消えたのでは無く、消されたのだと私は推察しているわ」


「何か……見つけたのですね」


「ええ、その中に生首を写した画像があったと思うけれど」


「はい、こちらですね」

 軍服の少女は端末を操作し、見終えたフォルダの中から画像を引き出す。

 地面に転がる複数の頭部。皆一様に、大幅な欠損が見られる。

 

「鈍器による破壊、それとも何かに穿かれた……?」


「信じられないだろうけど銃痕よ。それも、たっぷりと虚数を含んだ……ね」

 その発言に、軍服の少女は戦慄を憶えた。

 ガスマスクの女の知見が真実だとすれば、ダイモンドコーポレーションに属する者以外にも虚数を扱える者、即ち虚数使いが存在する事になる。

 それも想像を絶する程に、強力な。


「詳しい分析はセキュリティールームでやりましょう。不確定要素を洗い出す必要があるわ」

 ガスマスクの女は黒い革製の手袋を外すと、壁のタッチパネルにかざす。

 すると廊下の構造が虚数的理論によって崩壊し、組み変わり、再構築されていく。


「さ、コンピューターに繋ぐから返して頂戴」

 手袋を直して差し出される、ガスマスクの女の手。軍服の少女が電子端末を乗せる。

 触感で受け取った事を認識し、ガスマスクの女はハイヒールの音を響かせながら進んで行く。


 構築された空間は、特殊で異様な光景だった。

 天井、壁、床に至るまで、まるでくねる様にして張り巡らされた無数の四角柱。

 底辺、高さ共に十五センチのそれ等はそれぞれが無限にも思える長さを有し、部屋の中央で巨大な球体を構築している。


 ガスマスクの女はその球体まで歩いて行くと、電子端末を隙間に差し込んで呑み込ませた。


『霊長の特性を有する者による干渉を検知。音声認識を開始します』

 球体から全方位に発せられる電子的な声。

 ガスマスクの女が特定の言葉を発する。


「蛇、神話、星、予言、愛、獣、進化、果実」

 言い終わると同時、球体から放たれた細く平たい光が室内にいる二人をスキャニングする。


『声紋認証、遺伝子認証、存在定義、オールクリア。虚数型造形物二点の測定……登録情報と一致しました。お帰りなさいませ音宮おとみや鈴音すずね様、ようこそ翠川みどりかわ藤乃ふじの様。どうぞ善き時間をお過ごし下さい』

 電子音声が鳴り止むと、球体から浮かび上がる幾つもの画面。


 その画面を、正式には画面が表示されている空間を操作しながら、ガスマスクの女──音宮鈴音と軍服の少女──翠川藤乃の二人はは次々に表示される膨大な量の情報を処理していく。


 「鈴音さん、緊急事態です」


 「何事かしら?」


「ハッキングされた痕跡があります」


「確認するわ……ふぅ、八咫烏によるものでは無いみたいだけれど、現実世界からの介入が不可能とされているこの企業のサーバーに、どうやって?」


「例の生首に銃痕を残した存在と関係があるのでしょうか……」


「何とも言えないわね。とにかく至急上層部に連絡して、調査を開始しないと……全く八咫烏の件も終えていないと言うのに、頭の痛い話だわ」

 鈴音が非実体製キーボードを出現させて緊急事態連絡コードを打ち込もうとしたその時、けたたましくアラート音が鳴り響く。


 非実体製キーボードを叩いて鈴音が受信状態にすると、乱雑していた画面が全て消失し、入れ替わるようにして現れる特大の画面。


「今度は何!」


『……申し訳、ありません……っ、収容していた、ABW6969、通称、籠目匣かごめばこが……奪われました……』

 画面に映し出されたのは、白衣を着た血塗れの研究員。

 彼の周囲はその全てが急速に劣化し、無秩序に噴出する収容ガスが赤色灯を反射して、空間をあかく染め上げている。


「今すぐ向かうわ! それまでその部屋からは──」


『だめ、です……裏切り、者、が』

 そこまで言うと、研究員は糸が切れたように画面外へ落下し、同時に通信が途絶。

 どれだけ鈴音が呼び掛けても、画面は何も映さない。


「鈴音さん! 来客用ドームに異変が!!」

 別のモニターを出現させて操作していた藤乃が画面を空間に滑らせる。


「エントランスに、穴!? それに何故部外者の若者達が映っているの」


「お忘れですか鈴音さん。今日は七月十四日、南緑須なみす学園の方々が見学に訪れる日です!」


「──っ、今すぐ向かうわよ! 他の隊員は出払っていて、今対応出来るのは私達しかいない」


「了解です。もうこれ以上、誰も犠牲者は出させません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る