第4話 補習そして別れ

 初夏が過ぎ、猛暑の気配が迫る七月某日。


 長雨によって十分に濃度が上がった湿気は本州を覆い、自然と人々は服装に関する意識を夏用に切り替えていた。

 それは、関東の外れにある学園も例外では無い。


 ともあれそこに通う学生達の大半は、皆どこか晴々とした表情で過ごしていた。

 無理もない。やっと期末テストが終わり、次に待ち受ける行事は年に一度の校外学習なのだから。


 南緑須学園の校外学習は他校とは違い、様々な分野の企業と提携を結んでいる。

 それ等の企業の職場は一様に学生達の興味を引くものばかり。


 学年別に分かれたクラスはそれぞれが行く場所を決める上で毎年揉めることから、学校関係者はテスト明けから校外学習までの期間を親しみを込めて喧嘩祭と呼んでいる。

 なので暑さが込み上げる季節になろうと、今の南緑須学園ではそれを越える活気に満ちていた。

 最後まで補習が残ってしまった二人を除いては。


「ったく、なんであたし等だけ補修なんだよ」

 校舎の三階、廊下の最奥にある美術室。

 そこには不満気に口を尖らせながら補修課題用のキャンバスに筆を当てるたかはしかえでと。


「授業で良い結果を残せなかったんですから、仕方ありませんよ」

 その向かい側で困ったように笑いながら同じく筆を走らせる、おとみやことの姿。


「美術ぐらい大目にみてくれたっていーじゃーん!」


「美術も立派な学問です、投げやりにならず一緒に頑張りましょう。それに補修が終わらなければ、私達は校外学習抜きなんですから」


「やだやだやだやだー! 南緑須に入って校外学習抜きとか、小豆の無いたい焼きと同じじゃないかー」

 楓は駄々っ子のように地団駄を踏むが、そんな幼馴染をよそに琴海は真剣な眼差しで目の前の課題と格闘している。

 その様子を見て楓はふと、浮かんだ疑問を投げかけてみた。

 

「っていうかさ、お前は補修なんて必要ないだろ。期末テストだって学年総合一位だったじゃん」

「それはそうなんですが、私はそのぅ……実技が……」

 気まずそうに琴海が目をそらす。


「あーいやまぁそんな事ぉ、はぁ……」

 楓は何とかフォローを入れられないかと親友のこれまでの戦跡を振り返る。

 人物像を描けば顔に手足が生えた何かになり。

 彫刻で卵をかたどれば、ズタズタに引き裂かれて苦悶の表情を浮かべる廃材になり。

 そして版画はんがに至っては白黒の荒いモザイクになる始末。

 琴海の生み出した様々な珍物を振り返った結果、楓はそれ以上考えることを止めた。


「だとしてもだ、今回の採点にあたしは物申したい!」

 つり目気味のぱっちりした二重瞼ふたえまぶたをより大きく開いて高らかに宣言する楓。

 幼馴染の特性を理解している琴海も、そんな彼女に気になっていた質問を投げかける。


「確か今学期の美術の成績は実技と筆記の総合。筆記が壊滅的でも、実技に問題が無ければ成績に影響は無かった筈ですが……」


「そうさ、しかも課題はあたしの得意な動物! だから超ハイクオリティでイケてる車を描いたってのに、何だって補修なんだよ」


「……車を?」


「しかも超絶かっこいいランボルギーニ! これで点が取れないだなんて、全米が泣いちゃうよ?!」

 琴海は困惑していた。

 いつもながら……否、いつも以上に自分の幼馴染が何を言っているのか解らない。


「あの、車は機械なのでは。課題は動物なのに高級車を描いたんですか」

 琴海の指摘に、楓は快活に笑って返す。


「琴海でも知らないことってあるんだな。自分で動く者って書いて、自動者って読むだろ」


「読み方は合ってますが、それでは人みたいになってますよ? 自動車は最後に車が付いているので、正しくは自動で動く車です」


「確かにそういう見方も出来るよね☆」


「そういう見方しか出来ません!」


「でも動物だって動く物って書くじゃん。なら車も物だけど動くんだし、あたしの好きなランボルギーニを描いたって間違ってないよね」


「──っ」

 ドヤ顔を向ける楓の姿は、どこまでも自身に満ち溢れたものであった。

 反論しようと口を開きかけた琴海が、思わず自身の得て来た価値観に疑念を抱いてしまう位には。


(た確かランボルギーニは高級車で、高級車は車で、車は自動車で、自動車は動く乗り物ですから動物で、動物は自分で動くから……あれ? あれぇ??)

 楓の常軌を逸した理論に琴海は思考の迷宮に入り込みそうになったが、ふと視界に入った人物を見て我に帰る。


「あ、先生」

 楓に気付く様子は無い。

 今暴走する幼馴染を止めなければ、間違い無く彼女にとっての地獄が待っている。


「だああああもう腹立つ! 早く帰って観たいアニメあったのにぃ」


「か楓……」


「チキショー、あの頭ピカピカピカソめ〜っ! 今度会ったら残りの毛全部むしり取ってやるぅぅ」


「楓、お落ち着いて……」


「? どうした琴海、幽霊でも見たような顔して」


「誰が頭ピカピカピカソかね?」


「だから先生、アンタが……って、せせせせ先生!!!???」

 楓の背後に佇むは、美術の担当教師。

 そのおもてに浮かぶは阿修羅の如き形相。


「そんな……知らぬ間に追い詰められていたのは、あたしの方だったってのかい」

 楓が戦慄と共に歯を噛み締め、


「ワタシには高橋が勝手に自滅していってるように見えたがね」

 美術の教師はさげすんだ視線を浴びせる。


「すみませんそういちろう先生。私からよく言っておきますので」


「気にせずとも音宮は優秀な生徒だ、今は目の前の課題に集中したまえ。さて高橋君、お喋りばかりしているようだが進捗は如何いかがかな?」

 わざとらしくキャンバスを覗き込む美加宗一郎。

 少し身を引いた楓は、その横顔に感じ入るものがあった。


「……やっぱり似てるんだよな、ピカソに」


「今なんと?」


「やべっ! 声に出てた」


「なるほど高橋、お前はそんなに成績が要らないのだね? ならお望み通りにしてやろう。校外学習も不参加だと伝えておくよ」


「スンマセン、補習倍にしてもらって構わないので、成績0だけは勘弁してもろて! このとーり! 頼んます」

 未だ口調に不満は残るものの、額を机に擦りつけて手を合わせる楓の姿に、美加宗一郎は取り敢えず楓の申し出を受け入れる事にした。


「そうか、ならお望み通りニ倍絵画の課題を出そう。今日中に終わればさっきのことは目をつむってやる」


「しまったーっ、口から出まかせで墓穴を掘ってしまったー!」


「ほぅ、出まかせねえ。ならば三倍に増やしておこう」


「グワーッ!」

こうして鬼教師による監視の下、三倍の課題をこなす事になった楓。


 その後、琴海は自分の課題を片付けた後で幼馴染の手伝いを申し出る。

 しかし美加宗一郎はそれを認めなかったので、仕方なく疲労困憊の幼馴染に手を合わせて帰路についたのだった。




 ✧ ✧ ✧




 逃げる。ただひたすらに逃げ続ける。

 あのカラスは手を抜いていた。村のみんなを甚振いたぶって遊んでただけだった。


 憎い、悔しい、悲しい。

 みんなの命を奪って、遺体になっても玩具みたいに扱って、酷いことをさせて。

 なのに私は今、こうやって手を引かれて逃げることしか出来ない……っ。


「もっと走って! 早く!」

 ああ、沢山の死体があちこちで釣り下がってる。

 みんな私達のことを視て、んでいる。

 ガラス玉みたいな無機質な眼で、屍人あっち側に誘い込むかの様に。


「ほら、家が観えたよ! あと少しだから頑張って!!」

 ごめんねママ。本当は今すぐ悲鳴を上げて泣き出したいの、私知ってるんだ。

 だから強がらなくても良いんだよ。

 こんな私を護るために、村に厄災を招き入れておいて怯えるだけの卑怯な私なんかを護るために。


「ああもう何で刺さってくれないのよこのクソ鍵」

 ガチャガチャとママが手間取ってる間も、屍人は動かない。私達を見続ける。

 こっちに向かって来る黒い鳥が、迷わずを見つけられるように。


──ガチャリ

「よし開いた。勝義かつよし君、勝義君いるの!? 無事なら返事して!」

 やっと家に入れた。目に入る汗がみて痛い。

 ママは一階でパパを探してるから、私は先にニ階を探してよう。


 お婆ちゃんの部屋には居なかった。トイレにも、パパとママの寝室にもいない。

 私の部屋にも姿が見当たらなかったから、残ったのは廊下の突き当たりにある物置部屋だけ。


「キャア───────ァア!!」

 ママの悲鳴、もしかしてあの鳥が?


──ダダダダダダダダダ

「下降りちゃ駄目!!」

 ママが必死の形相で階段を駆け上がって来た。私を抱きかかえて、一番奥の物置部屋に隠れる。


「──っ、ふっ……クっ……ぅぅ」

 恐怖で見開かれたママの眼から溢れる、とめどない涙。

 何を見たのか分からないけど、必死に声を押し殺してるから、何か危ないモノがこの家にいるんだ。


──パタ、パタパタパタ、パタ

 よく知ってる。爪が木張りの床を擦るような、この足音を。

 よく憶えてる。三本足で階段を登って来るこの音を。


──クーチャンダヨー

 絶対に忘れるもんか、みんなを殺したこの声を。


 「美雪みゆき。あなたは私達の自慢の娘よ」

 ……なんで?

 どうして今そんな事言うの? ママ。

 いまも震えるくらい怖いはずなのに、どうしてそんなに優しい顔をしているの?


「こんな事になってしまったけど、ママもパパもあなたがとっても優しい子だってこと、分かってるから。だから美雪は、なんにも間違ってないからね」

 やめてよママ。それじゃまるで、お別れみたいじゃん。


「日が沈んだら、暗闇に隠れて逃げなさい。必ず生き延びて、遠くまで逃げ切って、あなたに相応しい人を見つけて、幸せになるのよ」

 やだ……行かないで。

 幸せになんてなれなくていい、結婚もしないから……だからそんな事言わないでよ。

 

──アーソビーマショ

「もう行かなきゃ、皆が呼んでいる。ママは美雪のこと、ずっと愛しているからね」

 ちがう……違うよ。アレはカラスの、クーちゃんのこえだよ!?

 だからしっかりして! 騙されないで!!


「ワタシはここだぁ! 娘に手は出させんぞぉお!!」




⏳ ⏳ ⌛




 ママ、行っちゃった。

 私の手を振り払って、部屋を飛び出して……。


 どうして、どうして私の言葉が届かなかったのかな。

 どうして、いつも死にに行く誰かを止められないのかな。


 もう日が暮れる。窓の外も、ドアの向こうも、とても静か。今の内に外に出よう。


 変な臭いが一階から漂って来る。

 ママは、パパを見つけられたのかな?

 確かめに行こう、それだけを。


 応接室、いない。

 リビング、いない。

 台所、いない。

 トイレ、いない。

 洗面所、ちがう。

 お風呂場、いた。


 パパがいた。ママといた。

 二人とも真っ赤で、お風呂も真っ赤で、冷たくて、動かなくて、アイシアッテテ。


 あはは あはははは

 何でかな。こんなに苦しくて、悲しくて、信じたくなくて、涙が止まらないのに。


 笑うのを止められない。

 あははははは

 あはははははは

 アハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ


 あっそうだ、逃げないと。

 ママの言い付け、守らないと。

 ここじゃない何処かへ、記憶思い出の無い明日へ。


 さよならさよならさよなら。

 みーんな、バイバイ!






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

続きを書くモチベになりますので、面白かったら評価して下さい(○ `人´ ○) タノンマス!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る