第14話 懺悔と後悔

 俺は平岡ミサキが家から出た直後、その後ろをついていく。


 自分の家の中ではなく、外で話すことを選んだためだ。


 ミサキはこちらに気づいておらず、ゆっくりと歩いていた。


 しばらく後をつけたが、それでもこちらに気づく様子はない。


 俺の方から話しかける他なかった。


「おい」


「……はい?」


 ミサキはこちらを見て、キョトンとした。


「何ですか?」


 俺が誰なのかわかってないようだ。


 知らないはずないが、高校生の時と見た目が変わってるから仕方ないのだろう。


「俺に見覚えあるか?」


「ええと……」


 ミサキは言葉に詰まっている。


 困惑してるかに見えた。


「もしかして……お兄ちゃんの……友達とか――」


「友達に見えるか?? あ゛???」


「ひぃっ――」


 俺の声に、顔に、怯えていた。


 まるで被害者ヅラ。


「そういえばダクトも被害者ヅラが得意だった。

 ゴリオが勝手にやったことだから、俺には関係ない、俺を巻き込むなってさ!

 自分でけしかけたくせに!」


「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」


 ミサキは突然、地面に伏した。


「あ?」


 土下座の姿勢だ。


 俺は突然の行動に困惑した。


「お、お兄ちゃんが、ご、ごめんなさい」


「おい、何を謝ってる?」


「……へ?」


「だから具体的に何を謝ってるのか聞いてんだよ」


「それは……お兄ちゃんが……あなたに迷惑をかけたから……」


「それが何か聞いてるんだよ!」


「ひ――!」


 ミサキはただただ土下座で謝るばかりだ。


 俺は女の涙なんて信じちゃいない。


 そうやって人から同情を集めて、俺のようなやつを勝手に加害者にする。


 現に、通りすがりの人たちはこちらを好奇の目で見ていた。


「ちっ、クソが」


 話す場所を変える必要がある。


「おい、土下座をやめろ」


「……はい」


「俺の顔を見ろ」


「……」


「俺の名前は恭平」


「――あ」


 今思い出した、といった様子だ。


「ようやく思い出したか?

 サチの兄の名前と顔をさ」


「……サチ……の……え……?」


 絞り出すように小さな声だった。


「兄……?」


「は?」


 何を今知ったかのように。


 何という女優っぷりだ。


 まあいいさ。


 化けの皮はすぐに剥がれる。


「ついてこい、逃げるなよ?」


 俺はミサキを立たせた。


 従順だった。


「一緒に歩け」


「……」


 華奢な肩に俺の手をのせ、服の布地を掴む。


 側から見ればどこにでも居る恋人同士。


 しかし変な真似をすれば首を絞めることだってできる状態だ。


「……」


「……」


 目的地はなく、ただただ歩く。


「俺のことは思い出せたか?」


「――はい」


 涙声だった。


「サチとお前はどんな関係だ?」


「……友達です」


「サチと友達になれってダクトに命令されたんだろ?」


「違う! ……違います。……お兄ちゃんの命令じゃありません」


「だったら面白半分でサチに近づいたんだろ?

 兄妹揃って嫌がらせが大好きなんだろ?」


「……」


「あ? 何だよ? なにか言えよ?」


「恭平さん。……本当にごめんなさい」


「また謝罪のフリか?」


 ミサキは静かに首を横に振った。


「……ずっと、謝りたかった……

 わたし、ずっと後悔してて……

 あなたにあんな酷いことを言ったのに、でも……今まで顔すら思い出せなかった……

 本当にごめんなさい……」


「……」


「全部、話します……話させてください……」


「——ああ」


「中学校の頃、クラス替えの時に、さっちんと同じクラスになりました

 それより前は関わりがありませんでした」


「……」


「その時わたしはひどく荒れてて……不良のフリして同級生も先生も、誰とも親しくしないようにしてました」


「なぜそんなことを?」


「……家族との関係に、我慢してたから。

 お兄ちゃんはね、何かでイライラするとわたしを殴るの」


「な——」


「わたしの両親は、お兄ちゃんには優しかった。だからどんなわがままも叶えたし、どんなに悪いことをしても決して怒らなかった」


「……」


「お兄ちゃんは、イライラしてなかったらわたしに優しいんです。

 だから家ではずっと、お兄ちゃんの機嫌を損なわないように頑張って……学校ではなんだか疲れてだんだん笑えなくなって……」


「……それから?」


「……教室で一人だったわたしに、さっちんは声をかけてくれたんです。

 わたしは最初は無視して、拒絶して遠ざけました。

 でもさっちんのさ、よくわかんないメルヘンチックな話を聞くうちに、仲良くなったんです。

 そして友達になりました」


「——それは真実か?」


「真実です……」


「……」


「……さっちんと友達になった時、わたしは恭平さんのことは知っていました。

 けど、さっちんと恭平さんとの関係は知りませんでした。

 だから……さっちんを利用して恭平さんに嫌がらせするつもりなんて、全くなかったんです」


「そんな……わけないだろ……クソが」


「もしわたしが知ってたら! ——もっと早く、あなたに懺悔しました。

 もしくは……」


 そこでミサキは黙り込んだ。


「——何が懺悔しました、だ?」


「……」


「俺がそれで満足すると思っていたのか?

 お前のクソ兄にどれだけのことをされたと思う?

 俺の苦しみがお前に分かるのか?」


「……ごめんなさい」


「さっきの、『もしくは』の続き、なんていうつもりだったんだ?」


「……それは……その」


「『てめーのクソ兄に喜んでもらう為に、サチを売りました』……違うか?」


「……そうです」


「俺は、ダクトのクソ野郎にどれだけ頭を下げさせられたと思う?

 毎週、俺は自分のお金をアイツに渡して……俺のことATMだとか金ヅルだとか周りに言いふらして……

 でもアイツに逆らえば、妹に何されるか分からなかった……! 怖かった……いつかまた、いじめが始まるんじゃないかって!

 およそ1年と半年……殺されるかもしれない、大切な妹たちを奪われるかもしれない、びくびく怯えたまま俺はアイツに頭を下げた! 下げ続けた!」


「……」


「お前の与太話を信じたとして、ダクトのクソは今どうしてる?

 もしまたあいつが俺の前に現れたら……」


「お兄ちゃんは……死にました」


「——は?」


「今年の初夏前に自殺したんです」


「自殺!? あのダクトが??」


 ミサキはこくりとうなずいた。


「大学生になったお兄ちゃんは、危険な薬物に手を出したみたいなんです。

 大学の悪い先輩たちにそそのかされたと聞いています」


「……最後はどうなった」


「……ある日、薬物仲間だった先輩を車でひき殺したそうです。

 そして持ってた薬物を全部奪って……数日かけて遠くの県の山奥まで逃げた後、ナイフで自分の首を刺して死んだそうです。

 全くなんでこんなバカなことしたんだか……」


「ああ、まったくその通りだ……く、くくくはははははは!」


「……」


「……笑ってすまん」


「いいんです。慣れてます。

 お兄ちゃんはたくさんの人から恨みを買ってますから、笑われたり……怒鳴られたり……」


「……だから最初に土下座したのか? 兄妹のお前が」


「……はい」


「…………」


「…………」


 俺は歩くのを止めた。


 遅れてミサキも立ち止まる。


「アイツが死んだからって、なんだっていうんだよ」


 ミサキの両肩を、両腕で掴んだ


「ッ――……」


「過去が変わるか?

 アイツが俺にしたことが無くなるのか?

 お前の言った言葉が無くなるのかよ?」


「……ごめんなさい」


「お前の言葉、今でも覚えてるぜ。

 『イジメられて可哀想なゴミムシに見える』ってさ」


「……本当に……ごめんなさい……」


 ミサキは涙を流す。


 それが俺をさらに苛立たせた。


「女の涙なぞ信じるものか! お前のあの態度と言葉が、俺を女性不信にさせたんだ! クソが!」


「……わたしが……悪かったです……そんなこと言って……ごめんなさい……」


「だったら俺に教えてくれよ! なんであんなこと言ったんだ!

 あの時のお前から何が変わった?? 本当に心を入れ替えて反省したのか??」


 あんなに酷いことを言う女が、今になって懺悔するはずがない。


 人の本性は変わらない。


 だから嘘。


 その涙は全部、嘘、嘘、嘘なんだ!!


「証明をしろよ!!

 答えろ!!」


 証明なんてできるはずない。


 答えることなんてできるはずない。


 お前なんかに、できるはずないだろう――!


「……。

 ——わたしは……あの時のわたしは……お兄ちゃんに殴られたりして、辛かった……苦しかった……怖かった……

 ——だけど、それでもね——」


「……」


「それでもわたしは! お兄ちゃんと——仲良くしたかったの!!」


「——」


 その瞬間、ミサキの姿がサチに重なって見えた――


「あんなお兄ちゃんでも、わたしは仲良くなりたかった!!

 大好きになりたかった!!

 普通の兄妹になりたかった!!

 分かってるよ! お兄ちゃんに限っては、絶対あり得ないことなくらい!!

 でもね、あの時のわたしは、それでもお兄ちゃんと仲良くなりたかった!!

 だから、あなたに酷い悪口を言った!

 こうすれば、お兄ちゃんが喜んでくれるって思ったの——

 仲良く、普通の兄妹でいられるって思ったの——」


「——」


 まるでサチが俺に訴えかけているようだった――


 あいつはずっと、俺と遊びたいって言ってた――


「わたしって、バカだよね!

 自分のことしか考えてない!

 最初からお兄ちゃんのこと、諦めたら良かったのに!!

 そうしたら、あなたに——さっちんに——こんな酷い仕打ちをしなかったのに!!

 うぁああああああん!」 


 バカなのは誰だ――


 俺だ――


 俺は一体――


 今まで何をしてきたんだ――??


「…………」


「ひっく、うううううう……」


 ミサキは地面に縮こまって、ただただ泣きじゃくる。


 俺の内側から、もう怒りは微塵も湧いてこない。


「すまなかった」


「……っひっく、え……」


 小さな頭を優しく撫でた。


 サチが小さかった時、大泣きしたサチを俺が慰めた時のように。


「で……でも……ひっく……わたし……! あなたに酷いこと……」


「もういい。許す。

 サチとは、これからも仲良くしてくれ」


「……い……いいんですか……?」


「もちろ……いや、そもそも俺が決めることじゃないよな。

 好きにしろ」


「——」


「じゃあな」


 そして俺はミサキの元から速足で離れた。


***


 俺は走っていた。


 思わず熱い雫が頬を伝っていた。


 俺は今までサチに何をしてきた?


 何で一緒にゲームしてやらなかったんだ?


 何で一緒に食事しなかったんだ?


 何で俺は大切な妹を憎んでしまったんだ??


 何であれだけ慕ってきた優しくて可愛い妹を、勘違いで拒絶したのか?


 俺は真のクソ野郎だ。


 妹の大事故に、天罰が下ったと大喜びしたクソ兄。


 何もしてない無実の妹に降った災難を、無邪気にも喜んだクソ兄。


 最低最悪のクズ。


「はぁ――はぁ――はぁ――はぁ」


 まっすぐ家にいるサチの元へ向かう。


 これまでの過ちの全てを謝罪したい。


――許してもらえるはずがない。誰からも、自分からも


 0から関係をやり直したい。俺に出来ることは何でも全てするつもりだった。


――過去が変わるわけがない。未来永劫


 心を入れ替えて、妹を守れる兄になりたい。サチとエミーに恥じない兄でありたい。


――別人にでもなるつもりか? 死ぬまでずっとお前はクソのまま


「ああああああああああああ!!」


 思わず叫ぶ。


 罪悪感で潰されそうな心を、奮い立たせる。


 そんなネガティブなことは全部分かってる。


 それでも俺は、サチに謝らなくちゃいけなんだ。


 今更無意味だとしても、これだけは投げ出せない。


 ミサキの涙を思い出す。


――それでもわたしは! お兄ちゃんと——仲良くしたかったの!!


 あれはサチの涙と同じだ。


 もう妹をこれ以上、泣かせたくない。


 だから俺は兄として、サチの為に、何だってやると決意した。


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