絶望編

第10話 この現実<ぜつぼう>が夢だったら

「はい、足を動かしますよ」


 訪問看護師の人が、わたしの足を動かしました。


 こうして定期的に動かさないと体がなまるらしいのです。


 しかし、わたしの体は、自分じゃ動かせないので、誰かに動かしてもらわないと動きません。


 排泄だって自分じゃできないから、やってもらうしかありません。


 今はほとんどベッドの上で過ごし、時々散歩の為に車いすで押してもらう。


 そんな暮らしを続けるしかないのだそうです。


「今日はとってもいい天気だったの」


「……」——そうなんだ


「暑すぎなくて、風が気持ちいい日でね」


「……」——わぁ気持ちよさそうだねぇ


「ちょうど秋が来たみたい。散歩にはちょうど良かったよ」


「……」——もう秋だったんだ


 わたしは無言で答えました。


 いいえ、無言で答えたのではなく、それでしか答えられないのです。


 事故による脳への障害で、言葉が話せなくなったのです。


 体が動かず、言葉も話せない。


 それが今のわたしでした。


 そしてこれからもずっと、このままの障害を負って生き続けるのです。


「それじゃあサチちゃん。またねー」


——さようなら


 訪問看護師さんと別れました。


 わたしにとっての幸運が一つあるならば、家に帰れたことです。


 容体は安定していた為、自宅療養で問題ないのだそうです。


 病院にいるよりも、ずっと気持ちが楽なように感じます。


 最初に家に帰った時は、ちょっと安心したなぁ……


 でも、これからどうなるのか——


 まだ先の見えない不安に、どう対処していいのか分からないままです。


***


「おねえ、今日のご飯はハンバーグだよ」


 ハンバーグがとっても美味しそうです。


 見た目は焦げてないし、ソースの香ばしさと肉のにおいで、食欲がそそられます。


 エミちゃんは、お皿のハンバーグをフォークで切って、わたしの口に運びました。


「はい、あーん」


「……(もぐもぐ)」


「おいしい?」


——おいしいよ


「おいしそうだね」


 そして次々とわたしの口にハンバーグを運びました。


「あはは、なんだか面白い! おかわりいる? あたしの分もあげるよ?」


——ちょっとだけ欲しいかも


「……いつものおねえだったらおなかいっぱいだよね……次もなんかおいしいの持ってくるからさ。

 楽しみにしてて、おねえ」


 そしてわたしの食事が終わると、エミちゃんは食器を持って部屋から出ていくのでした。


***


「おい、サチ」


 続いてドアから入ってきたのはお兄様です。


 大好きなお兄様。


 表情はなんだか固い様子です。


「……アニメ、見るか? ……なんか流行ってるやつ」


 わたしは驚きました。


 お兄様がこんなふうに遊びに誘ってくれたのは、エロゲ―(?)をプレイした時以来だからです。


「……」——見たい! お兄様とアニメ!


「……勝手につけるぞ」


 そしてお兄様は、わたしの目の前にタブレットの画面を置きました。


 お兄様はわたしの部屋の椅子に座って、ベッドの横隣に来ました。


 わたしの体はもう、お兄様にくっつくこともできなければ、体温を感じることもできません。


 けれども、やっぱり隣同士はうれしいなと思いました。


「……ははっ……」


「……」


 内容は子供向けのような作品で、冒険ものでした。


 コメディちっくだけど、後半シリアスで、最後はちょっぴり泣きました。


「……まぁまぁ面白かったな」


——とってもいい話だったね! お兄様!


「明日、似たようなやつ見るか」


——やった! うれしいな!


「……じゃあな」


 そしてお兄様は部屋を出ていきました。


***


 エミちゃんとお母さんが、わたしの体を濡れタオルで拭いてくれました。


 そして電気を消しておやすみなさいしました。


 真っ暗なお部屋の中で、わたしは思いました。


 ああ、なんだかいい一日だったな。


 みんなが優しかった。


 みんなが暖かかった。


 なんだか、いつもの日常よりも上手くいってたような気がします。


 後は、わたしの体さえ動けば……


***


~妄想~


 朝起きたら、いつも通り


「んんー!」


 快適な朝、手を伸ばして、ストレッチ。


 箸を持って、ご飯を食べます。


 制服には自分で着替えます。


「いってきます」


 そういって、出かけます。


 学校について、教室に入って、


「おはよう」


 と友達に話しかけます。


 勉強が終わったら、友達とちょっとお話しして、おうちに帰ります。


「ただいま! お兄様!」


「……ああ」


 そしてお兄様とラブラブして、そのあとエミちゃんが帰ってきて、


「ただいま!」


 するとお兄様は


「エミ―、ゲームしろよ」


 と言って、それをエミちゃんが嫌がりつつも一緒に遊び始めて


「サチは下手だから入るな」


「がーん!」


 そしてわたしは取り残されて憂鬱な気持ちになりつつも、なんだかんだそれを受け入れて、一日が終わるのです。


 そして寝る前に、「おやすみなさいお父さん、お母さん」「おやすみなさい、エミちゃん」「おやすみなさい、お兄様」


 最後に、いい一日だったな、と思いながら寝るのです。


***


~現実~


 別に朝起きても、体は動きませんでした。


 言葉も何一つ言えません。


 誰かといる時以外は、ずっと、ずーっと、妄想して過ごしました。


***


~妄想~


 わたしとお兄様とエミちゃんで、プールに来ました!


「お兄様、どうかな? わたしの水着」


「んあ、ふつー。おい、エミ―!」


「なにさ? おにい」


「めっちゃ水着可愛いじゃないか」


「は、キモ」


「がーん、エミちゃんに負けた……」


***


~妄想~


 みんなで花火大会!


「お兄様! 花火、きれいですね」


「なぁに、花火よりもお前の方が綺麗だぞ」


「お兄様……♡」


「冗談だ」


「がーん!」


「エミー、とってもかわいいぞ」


「おにい、うそでしょ」


「いや、これはマジ」


「ががーん!!」


***


~現実~


 なんだか報われない、ラブコメの負けヒロインのような人生。


 でもそれがわたしにとって、もう帰ってこない日々で、いとおしい。


 これが夢だったら——


 この現実が夢だったらなと、強く願うのでした。





―――――

(注意)

作中では頸椎損傷を題材にしていますが、あくまでフィクションです。

なので実際の症状や治療法なんかは大きく異なる場合があることをご了承ください

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