第4話 美しい世界

「このマフラーってなぁに?」

「これはショールさ、涼しいよ」

「ふぅん、ひらひらしてるね」

「お父さんの形見なんだ······汚れてるけどね」

「ううん、綺麗な色だと思う」

「そう?ありがとう」


「どうしてネーロはここに来たの?」

「吟遊詩人だからね、僕もそれでここに来たんだよ、これでも評判なんだ」

「ぎんゆうしじん······?ってなに」

「うーん、色んな国や街を巡って、詩を歌う仕事······かな?」

「へえ、簡単そう」

「そ、そう?結構大変なんだけどなぁ······」

「どんな詩を歌うの?」

「うーん、冒険とか、英雄譚とか、あと恋の詩······最近は悲恋ものが人気なんだよ」

「へー、それ面白いの?」

「うーん······どうだろねぇ、人気はあるよ?」


「黒いパンと白いパンの何が違うの?」

「何で作ったかの違いだよ、僕は白パンが好きだなぁ」

「おれ、黒いのしか食べたことないよ」

「たくさん頑張ってお金を稼いだら、きっと食べられるさ」

「無理だよ、だっておれ、黒いもん······」

「平気さ、盲目の僕だって、吟遊詩人になれた」

「どうしてネーロは吟遊詩人になったの?」

「僕の名前はね、お母さんが自分の国にやってきた吟遊詩人と恋に落ちて、僕が生まれた時、父の歌ってくれた詩の中の言葉だよ、『メロディ』って書いてあったらしいんだけどね、うちの国では『旋律』とか読むんだけど、翻訳家のお母さんが『音色』って訳したから、音色になったんだよ」

「ふーん······お母さんとお父さんの思い出が詰まってるんだね」

「ふふ、そうだよ······故郷に帰ったら、美味しいご飯を沢山食べて······温泉にも入りたいなぁ」

「オンセン?」

「地下から湧く、あったかいお風呂······大きくて、たくさんの人が一緒に入れるんだ」

「······おれは入れなさそう」

「どうして?」

「黒いから」

「誰も気にしないよ、そうだ、君も一緒に行けばいい!」

「······無理だよ、そもそも、名前だって教えられないのに······」

「······そう言えば、名前はなんて言うんだい?」

「······ないんだ、だから、名無し······ナナシって呼ばれてる」

「······そっか······よし、わかった、僕に任せて」


***


ネーロと過ごす時間は好ましい。

ナナシは毎日のようにその路地に入り浸り、足を悪くしたネーロのために食料を運んだ。


「ネーロ、今日はお肉を手に入れたんだ!はい!」

「わ、ありがとう······冷めてるけど美味しそうだね」

「ふふん、でしょー?食べていいよ」


ナナシはすっかりネーロに心開いていた。

持ってきた肉串が、ナナシが捕まりそうになりながらも必死に取ってきた盗品で、ひとつしかないものであると悟られないように。

腫れた顔に気付かれないように、必死にいつも通りを取り繕うように。

食事を抜いた上に走り回って空腹であることを気付かれないように。

ナナシはネーロを信じていた。

そしてネーロも、ナナシを大切に思っていた。


***


「あのね、足が良くなったんだ」


少し嬉しそうに、ネーロはそう言った。

ネーロが言うには、一ヶ月に一回限定の異能である『全再生』で、感覚すらなかった両足を元に戻したのだという。

その日出会ったネーロは確かに地面を足に着けて立ち上がっていて、やっぱりゆったり穏やかな立ち姿で、思ったよりも高かった背でナナシのいるところを見下ろした。

ナナシはその時、治ってしまったネーロを足を本気で壊してしまいたいと思った。

でもそんな危険な思いは、すぐに霧散することになる。


「ねぇ、君が良かったらなんだけど······僕の養子にならないかい?」

「え」


ナナシを救い上げてくれた、光を教えてくれた、そんな神様みたいな人が、少し照れたようにナナシのいる場所に顔を向ける。


「もし、僕の養子として······一緒に故郷に来てくれるなら、明日、ここにおいで······君の名前を持って、待っているから」


それは正しく、天の祝福の如く。


ナナシは夢見心地で寝床に戻り、朝一番にネーロのところに向かった。

早すぎたのかネーロの居ないいつもの路地裏で、ナナシはソワソワと待ち続けた。

ご飯は食べる気になれなかった。

少しもお腹がすいていない、むしろ幸せでおなかいっぱいと言えるだろう。

ナナシは待ち続けた。

昼になった。

それでも待ち続けた。

未来の父が、家族が、ナナシを迎えに来るのを。

ナナシのために考えられた祝福名前を、ナナシに授けてくれるのを、ずっと待っていた。

夜になっても、ナナシは待ち続けた。

そうして、朝日が昇る頃。


ついぞ現れなかった養父に絶望し、同時に隅に転がっていた、見覚えのある筆跡の書かれた紙切れを見つけて。

それを抱き締めて、ナナシは慟哭した。

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