第10話 キルソードカリブー

 隣でモゾモゾと寝返りをうつ音がする。背中に当たる柔らかい感触と、寝袋越しにほのかに感じる体温が、真っ暗闇の中でもわかるほどはっきりと、そこにエスメラルダがいるのだと主張していた。


「……」


 どうやらまだ彼女は起きているらしい。流石にこれだけ寒い雪山で上官と二人っきりともなれば、安眠は難しいのだろう。かくいう俺も眠気こそあれ、入眠には至っていなかった。

 目が冴えわたるというほどではないが、寝入っているわけでもない。うつらうつら、という感じがちょうどいい表現だろう。


「中尉殿、まだ起きていらっしゃいますか?」


 寝ていたら悪いと思ったのか、小声で話しかけてくるエスメラルダ。互いに背を向けた状態なので、顔を窺い見ることもできない。


「起きてるよ」


 ようやく眠くなってきたかどうかといった感じではあるが、少なくともまだ意識ははっきりしている。少しばかり彼女の話に付き合ってやるのも悪くない。


「……早ければ明日にはもう戦いになるわけですよね」

「そうだな」


 明日の昼過ぎ、遅くとも夕方までには村落に到着するだろう。こちらから村周辺の山林を巡回するのは明後日以降になる予定だ。どのくらいの数のキルソードカリブーが村の近くに跋扈しているのかにもよるが、もし向こうから襲ってくるならば遭遇戦に発展する可能性は充分に高い。


「不安か?」

「少し」


 そりゃまあ、そうだろうな。

 俺は小さく嘆息した。気丈に振る舞ってはいるが、エスメラルダはまだ年端もいかない少女なのだ。まだ若いとはいえ、一応は大人である俺とはやはり覚悟も胆力も違う。

 巻き込まれただけのを除けば、今回の任務はエスメラルダにとって実質的に初めての戦闘となるのだ。これで緊張しないほうがおかしい。


「中尉殿のおかげで最低限の魔法は使えるようになりました。模擬戦だって何度もこなしているので、戦闘の技量に不安があるわけでもありません。それでも少しだけ怖いと感じる自分がいます」


 眠いからなのか、若干不明瞭な声音で呟くエスメラルダ。俺はしばし逡巡してから、寝返りをうって彼女のほうを振り返る。


「……」


 エスメラルダの小さな背中が震えていた。寒いから、ではあるまい。


「……いざとなったら俺が守ってやる。お前はお前の力を全力で発揮してくれればそれでいい」


 そう伝えて背中を優しくポン、と叩く。あまりしつこくやると犯罪になってしまいかねないので、あくまで軽くだ。

 するとエスメラルダは少しだけ安心したのか、震えを収めてそのまま規則正しい寝息を立て始めた。


「……俺も寝るか」


 明日は早い。日の出とともに行動を開始する予定だ。あまり夜更かししすぎるのも良くないだろう。

 背中に柔らかい温もりを感じつつ、俺も眠りへと落ちていくのだった。



     *



「少尉。気をつけろ、キルソードカリブーの群れが近くにいるかもしれない」

「……はい!」


 翌日。日の出とともに行動を開始した俺達は、昼過ぎには件の村落周辺に到着しようとしていた。

 だが、もうあと一時間ほどで着くかどうかといったところで俺は違和感に気づく。森がやけに静かなのだ。いくら虫どもが死に絶え、動物達が冬眠する冬とはいえ、鳥や鹿など何らかの生き物の気配はする筈なのだ。

 にもかかわらず、風と枝が揺れる音以外には完全に無音。いくらなんでも流石におかしい。まるですべての生物が死に絶えた地獄のような、悍ましさすら感じる静けさだ。


「あれを見ろ」

「あれは……生き物の付けた傷ですか?」


 俺達の視線の先にあるのは、大量の鋭い切り傷で樹皮が剥がれかけた痛々しい木の幹だ。しかもそんな状態の木は一本だけではない。ぐるりと視線を巡らせれば、いたるところに似たような木が寒々しく立っていた。


「キルソードカリブーのマーキング跡だろう。ここは既に奴らの縄張りの中なんだ」

「かなり数が多いように見えますが……」

「群れと言っていたしな。一頭や二頭では済まないだろうな……」


 一頭だけであれば何とでもなる。エスメラルダ一人でもうまいことやれば無傷で倒せるだろう。遠距離攻撃技とはそれだけアドバンテージが大きいのだ。

 だがそれが二頭、三頭と増えていけばどうなるかは少々怪しい。ましてやこれだけの数の傷ついた木々である。一度に一〇頭が襲い掛かってきたとしても不思議ではないだろう。


「いつでも魔法を発動できるよう、常に意識を張っておけ。近いぞ」


 生物の気配が少ないのはなぜか。

 それはきっと、キルソードカリブーの群れに食われたか、はたまた戯れに惨殺されたからに違いないのだ。


 真っ白な視界の端に、場違いな赤が掠めた気がした。振り返ってもう一度目を凝らせば、雪の大地に咲く赤い花。魔獣ではない野生動物達の成れの果てが、物も言わずただ横たわっている。


「っ……!」


 息を呑むエスメラルダ。俺も危うくただならぬ雰囲気に呑まれかけて、そこで前線帰りの本能がけたたましく警報を鳴らした。


「少尉、戦闘準備!」

「は、はい!」


 肌にピリピリと突き刺さる強烈な視線と殺気。弾かれるように振り返れば、俺達の右後方には怪しく光る無数の目と、雪の白さを反射して眩しく輝く刃の森が乱立していた。


「お出ましか。団体さんとは賑やかなことだな」

「か、軽く一〇頭以上はいるように見えますっ……」


 魔力コンデンサを起動して、いつでも魔法を放てる状態でスタンバイしたエスメラルダ。俺もまた右手で抜刀し、左手で魔導散弾銃ショットガンを抜き放つ。


「連中には、こちらを見逃してくれるつもりは無いらしい。先制攻撃、行くぞ。合図と当時に全力で『魔弾』を放て」

「はい!」


 コンデンサから最大量の魔力を供給し、特大の『魔弾』を生成するエスメラルダ。俺もまた銃撃魔法により貫通力を強化した銃を構え、連中の群れを広く射程に収める。

 鼻息荒く俺達を取り囲まんと少しずつ移動するキルソードカリブーの群れ。殺気を抑えるつもりはないらしい。蹄で地面を引っ搔きながら威嚇してくる。このままでは取り囲まれるのも時間の問題だろう。どうせ逃げられない上に逃げる意思もないのだから、敵が分散するのは歓迎するが、とはいえ完全に囲まれて退路を塞がれるというのも戦術的には避けたい。なればこそ、戦端はこちらから開く必要がある。


 俺は深呼吸を一つして覚悟を決めると、散弾銃の引金を引いた。

 魔力で強化された散弾が音速で飛び出し、コンマゼロ数秒もしないでキルソードカリブーの群れを直撃する。

 散弾の一発一発は小さく、殺傷力も大きくはない。だが比較的至近距離にいたカリブーは首筋を大きく抉られ、もはや助からないほどの大怪我を負っている。遠い場所にいた個体もまた目潰しを喰らってろくに状況の確認ができていないような状態だ。


 今がチャンスである。


「……今だ、撃て!」

「はいっ、————『魔弾』っ!」


 激しく回転しながら撃ち出される特大の『魔弾』。一抱えはあるその魔力塊は、球技選手の全力投球にも劣らぬ剛速球でカリブーの群れの中心部へと到達し、一瞬遅れて大爆発を引き起こした。






————————————————————

[あとがき]


 あけましておめでとうございます。今年も常石作品をぜひよろしくお願いします。



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