第9話 雪山とテント泊

 北方の大地は底冷えする。まだ初冬に差し掛かったばかりの今日このごろであってもそれは変わらない。


「ふぅ、ふぅ。それにしても中尉殿、手足が冷えますね」

「あまり汗をかくと風邪を引くからな。無理はするなよ」

「はい。お心遣い感謝します」


 少しだけ息を乱しつつ、それでもしっかりと着いてくるエスメラルダは優秀な軍人だ。自身の体重の三分の一近い荷物を背負いながらも雪中行軍に文句一つ言わないのだから、まったく歳の割に随分と大人なものである。


「しかし……少尉の言う通り、やけに寒いな。異常気象ってほどじゃないが、例年よりも冬将軍の到来が早いのかもしれない」


 毎年この時期になると、下界にも霜が降りるようになる。山の上ともなれば一足先に雪景色だ。流石にこんもりと積もるほどではないが、薄っすらと地面を覆うほどの雪が積もるようになるのがちょうど今頃の時期の筈だった。

 にもかかわらず、だ。今回起きた暴走魔獣の件。その直接の原因は雪崩であると推測されている。

 まだ崩壊するほど雪が積もっていない筈の時期に、雪崩。その違和感の正体こそが目の前の、見渡す限りの銀世界だった。


「雪山ってのはっ、歩きにくくて仕方がない! 体力だって奪われるし、進軍速度も落ちる。冬季は戦線が停滞するのも納得だな」


 膝まである雪を長靴で踏み分け、ずいずいと山の上へと歩みを進める俺達。基本的には俺が少し前を歩き、エスメラルダにはその後ろをついてきてもらうというスタイルを取っている。おかげで彼女の体力の消耗は少なく済んでいるわけだが、それにしたってハイキング日和にはほど遠いことに変わりはない。


「今日中に村まで辿り着けますかね」

「まあ、無理だろうなぁ」


 エスメラルダの疑問は至極もっともだ。地図を見る限りにおいて、現状の移動ペースではまだ少なくともあと丸一日はかかる。当初の予定よりも大幅な遅延だ。


「まあ、焦らず行こう。無理に急いだところでそこまで所要時間が変わるわけでもないし、いたずらに体力を消耗するだけだ。いざ現地に着いた時に疲れて戦えません、では本末転倒だろう」

「ですね。私も体力の温存に努めます」


 実に素直で良い子のエスメラルダである。基本的に上官の言いつけには従う彼女ではあるが、どうも俺に対してだけはやけに素直な節があるエスメラルダだ。いったいなぜそこまで懐かれているのかはわからないが……きっと、での一件が多大なる影響を及ぼしているんだろう。

 思い出したくもない酷い戦いではあったが、あの戦いがあったからこそ彼女は今ここにいるのだ。


「……とはいえだ。もうあと数時間で日が暮れる。それまでにこの地点には辿り着いていたい。消耗を極力抑えつつ、少しだけ急ぐぞ」

「わかりました」


 地図上の一点を指し示しつつ、俺はエスメラルダを急かす。雪山において、風雨を凌げるキャンプ地というものはまさに生命線である。野営地の選択をミスすればそれだけで簡単に命を落とすのが冬の山という場所だ。魔獣がいなくても充分に脅威というわけである。



     ✳︎



「ちょうど良さそうな窪みを見つけました。これを少し弄ってむろにしてやれば、多少は過ごしやすくなると思います」


 比較的緩やかな斜面に到達した俺達は、早速野営地を見繕うべく行動を開始。ややあって、エスメラルダが教本通りのサバイバル術を駆使して実に理想的な岩陰を見つけ出した。

 人が隠れるのに充分なサイズの岩と、長年の風化で凹んだと思しき地面。なるほど、ここに枝や蔦、枯れ葉などを敷き詰めた上で持ってきたテントを張ってやれば、急場凌ぎではあるがそこそこ立派な野営地が設営できそうだった。


 ただ、一つだけ気にかかる点がある。


「これ、二人分のテント張れるか?」

「……それは難しいかと」


 そう、確かにひと二人が収まる程度には充分な広さを持つこの窪みではあるが、二人分のテントを張れるかといえばそうではない。年頃の少女と大人の男である俺が同衾するのであればともかく、健全な距離を保つとなればいささか手狭にすぎると言えよう。


「あの、もし私のことを気遣ってくださるというなら、お気になさらないでください。私は中尉殿と同じテントでも全然大丈夫です」


 事情を察したエスメラルダが遠慮がちにそう申し出てくれた。だが、そう言われたからといってはいそうですかと頷けるほど俺もデリカシーのない男ではない。


「いやいや! いくら軍務とはいえ、流石にそれはコンプライアンス的にも問題があるだろう。俺はどこか別の場所を探すから、少尉は気にせずここを使えばいい」


 一人でも多くの人手が欲しい軍にとって、外聞の悪い話はできるだけ少なくしておくに越したことはないのだ。よしんば新兵を獲得できなかったとしても、世論の理解を得られる状況を作っておくのは重要である。「働きやすい職場です」とアピールするのは大事なのだ。


「お言葉ですが、中尉殿。軍務だからこそ許容されうることもあるのではないかと。それにもし別行動の結果、はぐれたり魔獣に襲撃されたりでもしたら目も当てられません。ここは同じテントを使うべきだと意見具申します」


 生真面目な顔で主張するエスメラルダ。彼女の言はもっともだ。およそ軍務に忠実な士官であれば、誰もが頷けるだけの説得力を持っている。

 そして俺は曲がりなりにも士官教育を受けた技術士官であった。ゆえに理性と感性とが競合しあった結果、俺は渋々首を縦に振る。


「……わかった。まあ、事情が事情だからな。仕方がないこともあるか。少尉の意見を採用しよう」

「ありがとうございます。それでは早速、テントの設営に取り掛かります」

「俺も手伝おう」


 こうしてなし崩し的に同じテントで一晩を過ごすことになってしまった俺達。普段であれば年頃の異性と同衾ということでワクワクドキドキものなんだろうが、悲しいかな。ここは命の危険と隣り合わせな冬の雪山である。

 ドキドキを抑えようとしたら、心臓ごと止まってしまいかねないような過酷な場所なのだ。テンションが上がろう筈もない。


「そっち持ってくれ」

「はい」


 黙々とテントの設営作業に取り組む俺達。冷たい風が頬を叩き、指先がかじかんで紐を結ぶのにも苦労する。薄暗いせいで結び目がよく見えない。もうじき日が暮れようとしていた。





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