第3話 模擬戦と昔話

「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 翌日。日が高くなってから起き出すという軍人にあるまじき所業を毎度のごとく俺が敢行すると、きっちりと皺一つない軍装に身を包んだエスメラルダが部屋の前で待機しているところに遭遇した。


「もしかしてずっと待ってたのか?」

「はい。上官より遅くに起きるなど、あってはなりませんから」


 実に素晴らしい心掛けだ。およそこの駐屯地に飛ばされてくるような人間とは思えないほどの社会性である。

 だがその上官たる俺は自由気ままな技術士官まどぎわぞくなのだ。前線で精神と寿命を擦り減らしていた頃ならばともかく、今の俺は割と好き放題に過ごしても文句を言われない素敵な身分である。ラッパの音で飛び起きるのが日常だった士官学校時代の自分が見れば、助走をつけて殴りかかってきてもおかしくないような体たらくだ。

 だがそんな駄目な上官の姿を見ても、エスメラルダは特に不満など覚えている様子もなかった。真面目な、というよりは無機質な真顔でただじっと俺の顔を見上げてくるだけである。

 エスメラルダの背は小さい。そう言うと語弊があるように思われるのでもう少し詳しく注釈をつけ加えると、体格の良い男ばかりの軍隊では未成年の少女はたいへん小柄に見えるのだ。

 彼女自身は取り立てて成長が遅いほうというわけでもあるまい。年齢相応の背丈だと思う。だが俺は平均的な成人男性くらいの身長があるし、大人の男と少女とではやはりどうしても目線の高さに違いが出てきてしまうものなのだ。


「わざわざ待機してくれていたところ、言いづらいんだが……」

「構いません。なんなりとお申し付けください」

「飯を食わせてくれ。腹が減っては戦もできん」


 戦なんぞ願い下げであるが、向こうから挑んでくるのだから仕方がない。せめてまともに動けるように、食欲が無くても無理矢理メシを腹に詰め込むことを士官学校では散々に叩き込まれたものだ。

 おかげで朝から肉類を含むスタミナのつく食事を腹いっぱい食う習慣のついた俺である。これも若さゆえの特権だろう。自慢ではないが、俺だってつい数ヶ月ほど前に二〇代になったばかり。まだまだ若いのだ。


「では野外演習場をランニングしてきます」

「あまり根を詰めすぎてバテるなよ」

「はい。お気遣い痛み入ります」


 そう言うが早いか、エスメラルダは駆け足で屋外へと去っていった。まるで嵐のような奴だ。

 遠ざかってゆく結わえ上げられた金髪を眺めながら、なんとなしに俺は昔、実家の近所で飼われていた大型犬を思い出した。エスメラルダは小柄だから、あの大きな犬と比べてもそこまでサイズ感に違いがない。元気に跳ねる金髪が駆ける犬の尻尾に重なって、少し微笑ましく見える。


「あまり待たせるのも悪いか」


 俺も彼女に倣って、駆け足で食堂へと向かう。今日はエスメラルダがどれだけ動けるのかをしっかり見るつもりだから、しっかり量を摂る必要があるだろう。

 無駄に豊富なメニューの中からグリルチキン定食を選んだ俺は、珍しく軍人らしい早食いでもって速やかに食事を済ませるのだった。



     *



「待たせたな、少尉」

「いえ、謝罪には及びません。軽くウォーミングアップもできて丁度良いくらいでした」


 本当、上官の機嫌をうまいこと取るものだとつくづく思う。世が世なら、この対人スキルだけでそれなりの階級にまで出世できたかもしれない。だが昨今の時勢を鑑みるに、今の我が軍にそれを求めるのは期待外れなのは間違いない。今の軍が必要としているのは結果を出せる有能な人材であって、ゴマすりが上手な詐欺師ではないからだ。


「アルトマイヤー少尉。俺はお前の士官学校時代の記録を貰っているから、だいたいの能力には目星がついている。とはいえ指導する以上は、一度しっかりとこの目でお前の実力を確認しておきたい」

「はい」


 直立不動の姿勢で素直に俺の言葉に頷くエスメラルダ。俺はそんな彼女の正面へと移動すると、上着を脱ぎ、ややラフな格好になってからだらりと脱力して言った。


「今から模擬戦を行う。少尉は自分が使えるありとあらゆる技術でもって、俺に致命傷を与えるべく攻撃してこい。武器は流石に木製のものだが、体術で遠慮することはないからな」

「それは……その、よろしいのでしょうか。いかに訓練といえど、上官相手に本気で攻撃するというのは……」


 逡巡するエスメラルダだが、俺はきっぱりと言い切る。


「上官命令だ。殺す気でかかってこい」

「はい」


 モラトリアム学生の補講じみてはいるが、これだってれっきとした上層部の要請に基づく訓練なのだ。手を抜くなど、まかり間違っても許されるものではない。もし手を抜いて指導がなあなあになり、エスメラルダが何の成長もできなければ、飛ぶのは俺の首なのだ。

 むろん比喩表現などではなく、前線に飛ばされて文字通りに首どころか全身が千切れ飛ぶ運命を辿ることだろう。何しろ、今の軍には結果の出せない無駄飯喰らいを養っておくだけの余力など無いのだから。


 エスメラルダの目が据わり、彼女の体幹がやや前のめりに倒れる。心臓を隠すように右半身を前に出したエスメラルダは、右足に体重を掛けているように見えた。


 ————落ちる。そう錯覚するほど速く、エスメラルダの上半身が沈み込んだ。否、錯覚などではない。本当にのだ。

 むろん足はしっかりと地面についている。そのままエスメラルダは踏みしめた反動で、一気にこちらへと迫ってきた。体重を利用した、無駄のない突撃行動である。訓練で最初に習う基礎的な格闘術だ。基礎とはいうものの、これを完璧にこなせる兵士はそう多くない。基礎とはすなわち合理を突き詰めたものの公式化であって、基礎がしっかりしていればかなり強くなれるものなのだ。


「なかなか速いな」


 だが、それで動じるほど戦闘に不慣れな俺ではない。こちとら前線帰りの元第一〇三独立魔法大隊員である。一応は「エリート集団」などと形容されていた一〇三大隊に所属していたというのは、自慢ではないがそれなり以上には強いことの証明でもあるのだ。

 別に望んで所属していたわけではないのでまったく嬉しくもないのだが、第一〇三独立魔法大隊で鍛えられ、あの戦いを生き残ったというのは伊達ではない。

 俺は一つ、深い息を吸って吐くと、突進の勢いのままに突き出されたエスメラルダの右拳をふんわりと包み込むように握って衝撃を和らげ、手首を掴み上げる。そのまま彼女の勢いを利用するようにグイと右腕を引っ張りながら足払いを仕掛けてやれば、エスメラルダはいとも簡単に俺の斜め後方へと吹っ飛んでいった。


「あっ!」


 ドサリと重たいものが落ちた音がする。咄嗟に受け身を取れたことは評価に値するが、足下が疎かになるようではいけない。

 ……だが、近接格闘戦におけるだいたいの実力はこれで把握できた。俺相手に一本取ることはできなかったが、これだけ動ければ並大抵の兵士相手にはほぼ一方的に勝利できるだろう。まだ一五の少女にしてはかなり上出来だ。流石、士官学校の教官殿が褒め称えるほどである。


「……悔しいです」

「まあ、負けた悔しさを糧にこれからも訓練に励むことだな」

「そうではなくて、中尉殿に追いつけない自分が悔しいのです」

「はあ」


 立ち上がり、尻に付いた土埃をパンパンと払い落としながら、エスメラルダはとんちきなことを言う。


「あの戦場で、私は中尉殿の凄さを目にしております。だから私は軍人になろうと思いましたし、必死で勉学にも励んできました。……それなのに、こんな辺境の駐屯地なんかに飛ばされるような体たらくです」

「……士官学校でも、その不名誉な通称は有名なんだな」

「あそこにだけは死んでも行きたくない、と前線志望の同期が喚いておりました。結局彼は先の国境紛争で二階級特進したそうなので、本望でありましょう」


 どうやら、エスメラルダも来たくてこの駐屯地に赴任してきたわけではないらしかった。確かにこの第八九〇戦術研究班————通称「はぐれ駐屯地」に好んで着任したがる人間なんて俺かディートリヒの奴くらいだと思っていたが、こうまでも直接的に批判されると駐屯地の人間としては少しだけ気に障るところがないわけではない。


「中尉殿だって、本当は凄い御方なのに。なぜこのような辺境に身を置かれるのですか。あなたはこんなところで燻っていい存在じゃない筈です」

「……俺はもう前線なんて懲り懲りなんだよ。敵の襲撃や砲弾の雨に怯えることなく、平穏に研究ができればそれが一番良いんだ」

「……」


 それほどまでに、あの戦場は酷いところだった。同じ人間が相手だとは信じたくないほどに凄惨な地獄がそこにはあった。

 取り付く島もない俺の様子に、エスメラルダはどこか不服そうに沈黙する。だがそれ以上、彼女が踏み込んでくることもなかった。そのあたりの分別が付いているところを見るに、やはりエスメラルダは相当に優秀なんだろう。魔法が苦手だというのが実にもったいない。


「よし。それじゃあ次は魔法の確認だ。お前が苦手だという魔法だが……どう苦手なのか、どうして苦手なのかをチェックしていくぞ」

「了解です」


 気分を切り替えて、魔法の訓練に取り掛かる俺達。さて、エスメラルダの教官曰く「致命的」とまで酷評せざるをえない魔法だ。いったいどれほどのものなのか、しかとこの目で確認する必要があるだろう。




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