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 でも、フランスでは辛いものが苦手な人が多いからカレーは流行らなかったし、現在ではカレーソースはあるけれど、それってクリームソースにカレー粉で香りをつけたってものがほとんど。

 ほかのヨーロッパの国でも、あまりカレーは食べられていなかったはず。


 ああ、そっか……。『エリュシオン・アリス』のモデルは十九世紀半ばのヨーロッパだもんね。イギリスだけのブームは反映されていない可能性が高い。

 ってことは――たまたまリリアが知らなかっただけじゃないのかも。この世界の人は、そもそも辛い料理に馴染みがないのだとしたら。


 私は思わず頭を抱えた。


 う、嘘ぉ~っ! 私にとってカレーパンは定番中の定番。絶対に作るつもりだったのに!


 どうしよう! 完全に盲点だったかも!





          ◇*◇





 玄関扉を叩く音に、私は顔を上げた。


 あれ? 珍しい……。私の家は森の中だ。普段、人がやってくることはほとんどない。

 私は首を傾げて、作業の手を止めて玄関の扉を開けた。


「アレンさん!」


「こんにちは」


 爽やかな風に、クセのないシルバーブロンドがサラリと揺れる。


 前回のボロボロで傷だらけの甲冑姿ですら魂を抜かれるほど美しかったけれど、白を基調とした聖騎士服をビシリと着こなしたアレンさんはもう神がかり的に神々しい。


 アレンさんが穏やかに目を細め、深々と頭を下げた。


「連絡もなしにお邪魔してしまい、申し訳ありません。一刻も早くお礼をしたくて……。その節はたいへんお世話になりました。アシェンフォード公爵令嬢」


 えっ!? わざわざお礼を言いに来てくださったの!? こんなところまで!?


「いえいえ、当然のことをしただけです。私たちの暮らしは、聖騎士さまによって守られているのですから。いつも本当にありがとうございます」


「いえいえ、そんなことはありません。アシェンフォード公爵令嬢が助けてくださらなかったら、どうなっていたことか。本当にありがとうございました。ささやかながら御礼と、飲んでしまったポーションをお持ちしました。どうか受け取ってください」


 アレンさんが小さな革袋とポーションの瓶を差し出す。――これは遠慮せず受け取るべきかな。じゃないと、『いえいえ』の応酬が続いちゃいそう。


 私は小さく肩をすくめて、それを受け取った。


「そんなかしこまらないでください。元、ですし。どうぞ、気軽にティアと呼んでください」


「えっ……? いいのですか? 愛称で呼んで……」


 アレンさんが驚いた様子で目を見開く。


 まぁね? 愛称呼びは、貴族の常識では家族や婚約者、恋人など、ごくごく近しい人――親しい人のみに許されるものだからね。戸惑うのもわかる。でも、私はもう公爵令嬢じゃないわけだし。


「ええ、構いません。むしろ、そのほうが嬉しいです」


 にっこり笑って言うと、アレンさんもなんだか嬉しそうに唇を綻ばせる。


「では、ティア――」


「ッ……!」


 瞬間、心臓があり得ない音を立てて跳ねて、私は慌てて顔を伏せた。


 待って! 愛称呼びにアレンさんの笑顔がプラスされると、ものすごい破壊力なんだけど!

 そ、そっか! アレンさんの超絶作画な顔面を計算に入れてなかった! 私、早まったかも!

 心臓が爆発するかと思った! いや、もう半分爆散したかも! だって今、尋常じゃないぐらいバクバクいってるもん!


「ティア? どうかされましたか?」


「い、いえ! なんでもないです! ええと……あ! お食事はされましたか? 今、ブランチを作ってるところなんですけど、よろしければ一緒にどうですか?」


「ありがとうございます……。その……実は、外までいい匂いが漂っていて……とても気になっていたのです……」


 顔が真っ赤になってしまったことに触れられないようアタフタと話題を変えると、アレンさんが少し気恥ずかしそうに苦笑する。

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