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ああ、そうか。この世界のパンはかなりしっかりとした塩味だもんね。砂糖が高価っていうのもあるけれど、長期保存に向く味付けになっているから。
孤児院の子供たちは柔らかさにばかり意識がいってたみたいだけど、ほんのり甘いってところも実はかなりの驚きポイントだよね。
私は戸棚からパンかごを取り出し、アレンさんの前に置いた。
「その料理に使ったのは、このパンです」
「っ……!? 白い!?」
籠の中には、自慢の自家製レーズン酵母で焼いた角食――四角い食パン。
アレンさんは唖然として口を開け――それから「触ってもいいですか?」と確認すると、角食に手を伸ばした。
「うわ……! 柔らかい……! ふかふかだ! これがパンですか!?」
「そうなんです」
「こんなパンがあるんですか……」
心底驚いたといった様子で呟いて――アレンさんはふと手の中の角食を見つめた。
「あの……この一枚、食べてみてもいいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。バターかなにかつけますか?」
「いえ、このままで。このまま食べてみたいです」
アレンさんがそう言って、角食を小さくちぎって口に入れる。
「これは……! クロックムッシュとまた歯ごたえが違いますね! すごく柔らかい! しかも、ただ柔らかいだけじゃなくて、なんて言うか……水分を多く含んでいる感じがします……」
アレンさんが目を丸くして、手の中の角食をまじまじと見つめる。
「そして、やっぱりほんのりと甘い……」
さすがに語彙力が子供たちとは違う。そして、もしかしてアレンさんは味覚が鋭いかもしれない。
感想がすごく的確だ。
「こんなパン、食べたことがありません! これはいったい……」
「それは私が焼いたパンなんです」
問いに対して答えになっていない言葉だったけれど、アレンさんが息を呑んで私を見る。
「あなたが!?」
「はい、近くお店を開こうと思ってるんです」
アレンさんが「お店を?」と言って、手の中の――最後一口だけ残っている角食を見つめた。
「王都にですか? このパンなら爆発的に売れるでしょうね。それこそ貴族専門のお店なら利益も出しやすいかと……」
「いえ、この町にですよ」
「は?」
予想外の言葉だったのか、アレンさんがパチパチと目を瞬いた。
「え? でも、お値段がかなりするのでは……」
やっぱりそう思うんだ。子供たちも一番にお値段を気にしてたよね。
「いいえ。たしかにいつものパンよりは少し高くなるかもしれませんが、毎日の食卓に欠かせないものにしたいので、町のみなさんが出せないようなお値段を取るつもりはありません」
「は!? それで採算が取れるんですか!?」
「ええ。その計算です」
二年間かけた石釜の開発費とか、砂糖の仕入れルートの開拓とか、そういったものまで含めると少し時間はかかるだろうけど、でも売れさえすれば何年かで回収はできると思う。
「このパンが、安い……?」
「はい。実は、普通のパンよりも材料費が大幅に高いってことはないんです」
これは本当。実際、小麦粉で作った無発酵パンは紀元前四千年ごろに――その生地を発酵させて焼いたパンは紀元前三千年ごろの古代エジプトにすでにあったと言われている。
それがギリシャへと渡って――ワインの製造技術でもってさらに改良がされて、バターや牛乳、果実などを加えたリッチなパンも作られはじめるの。これが菓子パンの起源ともいわれているわ。
それから、パンはローマ帝国へ。ローマではあちこちに製パン所が作られて、パンの大量生産もはじまったの。
そのころのパンは、この世界の罰ゲームパンとさほど変わらない、塩味のキツい硬いものだったらしいんだけど、その材料自体は今と大きく違わないの。それこそ古代エジプト時代からほとんど変わってない。
じゃあ、現在のパンはどうやって生まれたのか。いったいなにが昔と違うのか。
大きいのは、十七世紀になって、微生物が発見されたこと。そして十九世紀になって、微生物の研究が進んで発酵のメカニズムがあきらかになったこと。それによるイーストの開発。
それによるパンの焼き方の変化と、オーブンの技術躍進よ。
つまり、発酵の極意としっかりしたオーブンさえあれば、中世ヨーロッパのようなパンしかないこの世界でも、現在の日本と変わらないパンが焼けるってわけ。
「…………」
よほど信じられないのか――アレンさんが絶句したまま、目の前のクロックムッシュとパン籠の角食を交互に見つめる。
まぁね? わかるよ。この世界のパンしか知らなかったら、これが同じ材料からできてるなんて思わないよね。不思議で仕方ないよね。
でも、本当なのよ。むしろ、材料がほとんど変わらないからこそ、なんとかしたかったの!
せっかくの材料を、あんなマズい罰ゲームパンを作るために消費してほしくなかったのよ!
「…………」
――不思議といえば。
私はふと唇に手を当てて――アレンさんの向かいの席に座った。
「あの、アレンさん。私も一つ質問していいですか?」
「え? あ、はい。もちろんです。どうぞ」
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