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重ねて言うと、アレンさんはようやく観念したように息をついた。
「……お世話になってもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです!」
その言葉にホッとして、私はにっこり笑って頷いた。
美味しいパンをごちそうしますね!
◇*◇
「う、美しすぎませんか……?」
「は……?」
アレンさんがなんのことだとばかりにパチパチと目を瞬く。
いや、無自覚!? 湯上がり姿の破壊力ったらないんだけど!? 濡れ髪の色気のすさまじさよ! そして、ヨレヨレのシャツを着ていても微塵も損なわれないかっこよさ! どういうことなの!?
無理に誘っておいてなんだけど、あなたはうかつに誰かのお世話になったりしちゃ駄目ですね。こんなの間違いが起きないほうがおかしい。相手がヲタク喪女の私でよかったですね。
「……いえ、なんでもないです。失礼しました。ちょうどこちらもできましたよ」
私はにっこりわらって、ほかほかと白い湯気が上がるお皿をテーブルに置いた。
「自家製ドライトマトのクロックマダムとミネストローネスープです」
クロックマダムとは、クロックムッシュのうえに目玉焼きを盛りつけたもの。
そしてクロックムッシュとは、一九一〇年あたりにフランスのオペラ座近くのカフェで作られたホットサンドウィッチの一種だ。パンにハムとチーズをはさんで、バターを落としたフライパンで両面を軽く焼いたもの。さらにそのうえにベシャメルソースやモルネーソースを盛るのが一般的。
名前は『かりっとした紳士』という意味で、その由来は一説には食べるときに音がして上品ではないため男性専用とされたから。あとは、食べたときのカリッという音(フランス語でクロッケ)からとも言われている。日本でも人気で、パン屋やカフェでよくみられるメニュー。
この『自家製ドライトマトのクロックマダム』は、パンにハムとチーズのほかにドライトマトと生バジルをはさんでバターで焼いて、ベシャメルソースをたっぷりかけて目玉焼きを乗せたもの。
すぐにエネルギー変換される炭水化物――パンとベシャメルソースの小麦粉。卵とハムとチーズ、ベシャメルソースのミルクでたんぱく質もしっかりと。ドライトマトでリコピンや鉄分、ビタミン、生バジルでもビタミン、さらにβ-カロテンやたくさんのミネラル分を補給。
ミネストローネもトマトをはじめとするたくさんのお野菜と豆類を使っているから、たくさんのビタミンやミネラルを摂取できる。――うん、我ながらいいメニューだ。
行き倒れてたんだから、最初はパン粥みたいなあっさりしてて食べやすいものほうがいいかなと思ったんだけど、よく考えたらポーション飲んでるからある程度回復しているわけだし、それなら食べ応えがあって、お腹に溜まって、しっかりエネルギーをチャージできるメニューのほうがいいんじゃないかなって。
「熱いのでお気をつけて」
「ありがとうございます……」
アレンさんは律儀に頭を下げて、椅子に座ると――不思議そうにクロックムッシュを見つめた。
「これって、パン……ですよね?」
「はい、そうですね」
「パンをナイフとフォークで食べるのですか?」
「はい、この料理はとても熱いので」
ベシャメルソースと半熟目玉焼きでベタベタになっちゃうしね。
しかし、どうやらその答えでは納得できなかったらしく、アレンがさらに眉をひそめる。
「パンに食事用のナイフの刃が入るんですか? この分厚さのものをさらに二重にして?」
あ、そっちか。ああ、そうだよね。この世界のパンはナイフとフォークでは食べられないよね。なにかでふやかさないかぎりは。
「大丈夫です、入りますよ、私のパンは特別製ですから」
「特別製?」
「ええ、冷めないうちにどうぞ」
特別製の意味がわからないからだろう。アレンさんはクロックムッシュに戸惑いの目を向けるも、そこはさすが聖騎士さま。出されたものを拒否するような罰当たりなマネをするつもりはないのか、意を決した様子でナイフとフォークを手に取った。
「え……? 切れた……!」
簡単にサクリと切れたことに驚き、アレンさんが目を丸くする。
断面からトロリとチーズが溢れ出て、ベシャメルソースとなんとも官能的に絡まる。
そして、ふんわりと鼻をくすぐるパンの香ばしさとトマトとバジルの香り。
アレンさんはごくりと息を呑むと、フォークを口に運んだ。
「――っ! お……おい、しい……?」
え? 疑問形?
一瞬心配するも――アレンさんはすぐさま私を見上げて、力強く言った。
「す、すごくおいしいです! 白いソースがなめらかで、濃厚クリーミィ―で、熱々トロトロで!チーズも玉子の黄身も熱々でトロリとしていて、でもパンは……信じられないほど柔らかいのに、表面はカリッとザクっとしていて! なんですか? これは!」
あ、よかった。ちゃんとおいしかったんですね。口に合わなかったんならどうしようかと思った。
ですから、パンです。クロックムッシュです。
「ハムとチーズの塩気にトマトの酸味と甘み、バジルの香りが爽やかで……それぞれが濃厚な白いソースと玉子との相性がとてもよくて……おもしろいですね。一口で、こんなにもいろいろな味と食感が楽しめるなんて。こんな料理、はじめて食べました」
そこでいったん言葉を切り、アレンさんはクロックムッシュをまじまじと見つめた。
「なによりパンが……パンがほんのり甘い……? そんなことがあるのか……?」
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