1-5
廊下に立っていた大神官さまが、私を見上げてにっこりと笑う。
「使うだなんて……施しに慣れさせてはいけないとおっしゃったのは、大神官さまですよ?」
親がいないイコール可哀想ではない。
よって、本人に、自分は『親がいない可哀想な子』なんだって意識を植えつけてはいけない。
そして、『可哀想な子』は施しを受けて当たり前だという認識を与えてはいけない。
子供の――孤児院にいるうちはともかく、孤児院を出たあとはそれではやっていけないから。
親がいてもいなくても、人生とは自分自身の力で切り開くもの。幸せも同じ。自身の力でもってつかみ取るもの。
それを教えていかなくてはいけないのだと、大神官さまは仰った。
そう――。その大神官さまの教えがしっかりしているからこそ、私が『(パンを)また焼いたら持ってきてもいいかな?』と言ったとき、年長のアニーやリリアは戸惑った表情をしていたのだ。彼女たちは、タダでもらうということをあまり良いことだと認識していなかったから。
「だからですよ。上手に労働をお作りになる。これで先ほどの『おいしいパン』は、施しではなく労働の対価として得たものとなりましたね」
大神官さまがそう言って、パチパチと拍手する。
「いつもながらお見事です。あなたがあの悪逆非道で名高いアシェンフォード公爵令嬢だとは……。本当に人の噂とはあてにならないものですね」
「……いえ、そんな……」
噂が正しいかと言われたら少し疑問ではあるけれど、でも別に間違ってもいないと思う。だってアヴァリティアは悪役令嬢で、私も二年前のあの日まではシナリオどおり行動していたわけだから。
悪逆非道って言うと、少し言葉が過ぎるような気がしてしまうけれど――ヒロインに身分が下の者から話しかけてはいけないとか、王族や貴族の殿方に軽々しくボディタッチしてはいけないとか、立場をわきまえて身分の序列や礼節を守るようにくどくどと説いて、執拗に強制し、それ以外にもアヴァリティアという婚約者がいる王太子殿下への馴れ馴れしい振る舞いをキツい言葉で咎めて、いちいち邪魔していたのは――ヒロインからすれば立派な『悪』よね?
アヴァリティアの取り巻き令嬢たちがアヴァリティアを隠れ蓑にして虐めを行っていたのも事実。それを――シナリオが変わってしまうのが怖くて見て見ぬふりをしていたわけで、そこはやっぱり『悪』よ。間違いなく。
「大神官さまは誤解をしてらっしゃいます。私は良い人なんかじゃありませんよ。だってこれは、あの子たちのためじゃありませんもの。すべては私のためです」
私は首を横に振って、唇に人差し指を当てて微笑んだ。
「口コミに勝る宣伝はありません。だったら――成功の鍵は、あの子たちが握っていると言っても過言ではないと思いません?」
つまり、そう――。
「私は私のために、あの子たちを利用しているのですわ」
幼く無垢な子供たちを自身の欲望のために利用するのは『悪』でしょう――?
「ふふ、そういうことにしておきましょうか」
大神官さまが笑みを深める。
「みなさまの分も神殿のほうにお届けしてありますので、ぜひ食べてやってください。よければ、次に来たときにでも感想を聞かせていただけるととても助かります」
だから、これもただの寄付じゃない。私のお店をいい形でスタートさせるための先行投資だ。
「ええ、ご相伴にあずかりますよ。とてもおいしそうでしたのでね。感想もお約束しますとも」
「やった! ありがとうございます!」
私はにっこり笑って、深々と頭を下げた。
「じゃあ、あの子たちと一緒に町でパンを配ってきますね。二時間ほどで戻ります」
それだけ言って駆け出す私を、大神官さまはヒラヒラと手を振って見送ってくださった。
「いってらっしゃい。あなたに主神ソアルのご加護がありますように」
◇*◇
「いや~! 満足満足~!」
心がほこほこと温かい。家へと帰る足取りも弾む。
すでに森の中は真っ暗。今日は夜明け前に起き出してパン作りをしたから、当然疲労もかなりのものになっているはずだけど――テンションが高いせいかいっさい感じない。
あのあと、町で孤児院の子たちと一緒に、子供たちを中心にミニバターロールを配ったんだけど、これが予想を上回る大好評だったの!
みんなの『おいしい!』て笑顔が本当に最高だった!
そこまでは予想の範疇だったんだけど、大半の子供たちが『家族にも食べてほしいから、どこで手に入るか教えてほしい』って言ったのは少し予想外だったかな。
このパンは私が焼いたもので、近くお店をやる予定だと伝えたら、ほとんどの子が『そのお店の情報を教えて』と言ってくれたから、パンと一緒にチラシも配るといいかもしれない。
あとは――あんなにも家族にも食べてほしいと思う子がいるなら、その場で食べる用とは別に、袋詰めパンも配るといいかも。お持ち帰り用ね。
あ、どうせ袋詰めするなら、数種類のパンを入れるといいかも。ミニバターロールだけじゃなく、スライスしたバゲットと……いや、バタールにする? コッペパンもいいよね。
はじめてバターロールには驚いていたけど、案外すんなりと受け入れてくれたから、子供たちに配る用のパンはもう一段階奇抜なものにしてもいいかもしれない。
となると、次は――。
あれこれ考えながら歩いていた――そのときだった。樫の木の下になにか大きなものがいるのを視界の端に捉えて、私はビクッと身を弾かせた。
「え……?」
なに? 獣?
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