第20話

病院から脱出し、早速行方不明になっているらしい。なんでも、昏睡状態で命も危なかったはずがいきなり起きだして看護師、それから見張りの警察官を殺して病院を脱出したそうだ。このニュースは、日本中を震撼させた。当たり前だ。田川はいったい、何人、人を殺したら気がすむのだ。いや、何人殺そうが気がすむことはないのだろう。ただ一人、俺を殺すまでは。

例の刑事から、早速電話が入り、俺は再び自宅待機を命じられた。再び警備を送るから家から出ないようにと電話で言われた。その直後だった。玄関のドアが物凄い音とともに取り外されたかと思うと、田川が薄ら笑いを浮かべながら部屋に侵入してきた。早い。ついさっき、速報のニュースが流れたばかりだ。まだ警備の警察ももちろん来ていない。相変わらず、田川は情報収集が早い。逃げ回っている身で、どこからそんな情報を仕入れることが出来るのだろうか。もっとも、そんなことはもはやどうだっていい。俺たちはついに殺されるかもしれない。いや、確実に殺される。そう感じたのは、田川の目の血走り具合が、今までの比ではなかったからだ。那奈が悲鳴をあげるが、お構いなしだ。

「おめえ、こないだはよくも半殺しにしてくれたなあ。きっしっし。今度は、遊ばない。おめえをぜってえに殺す」

 田川は、猛牛のように鼻から息をふん、ふん、と荒く吐いている。眉間に皺を寄せ、恐ろしい顔になっている。相当興奮しているようだ。こうなっては、手がつけられない。

「田川、お前はどうしてそんな簡単に人を殺せるんだ」

 あまりの恐怖に、声が震えた。もうどうせ最後だ。俺は、田川がなぜ殺人鬼になってしまったのかが知りたい。知ったところでどうしようもない。知ったところで今まで田川がしてきたことは正当化されないが、理由もなくこんな怪物が自然発生するなんて、信じたくなかった。以前調べたボクシングの件でも、なんでもいい。とにかく、こんなやつは相当特殊な事情がないと生まれない、そう思いたかった。

「人を殺すのが、楽しいんだよ」

 きっしっし、と気持ち悪い顔で笑いながら、田川は答えた。俺の望みは絶たれた。田川が質問に真面目に答えてくれなかった。もしも俺が殺された後に田川が逮捕されようが、また同じような化け物がこの世に出てくる可能性が少しでも、あるということだ。俺のような被害者がまた生まれる可能性がある。それだけはあってはならないことだが、もはや俺にはどうすることもできない。なぜなら俺は、間もなく殺されるからだ。

「ねえまだあ? むかつくからさっさとやっちゃってよ」

 田川の背後から、女の声がする。声とともに田川に続いて部屋に入ってきたのは、なんと多恵だった。俺の頭の中にはクエスチョンマークが浮かんだ。どうして多恵が、田川と一緒にいるのだ。そうだ。なぜ田川が多恵と一緒にいるのかは謎だが、田川が脱走してから多恵と接触を取り続けてきたとすると、今まで田川に俺の居場所を教えていたのはおそらく多恵だろう。ストーカー気質の多恵なら、やりそうなことだ。

「た、多恵?」

「雅人も馬鹿だね。私とよりを戻してれば殺されずにすんだのに」

「どういうことだ!」

「雅人! あいつよ! 吉川多恵よ! あいつが田川に命令して、雅人のことを狙わせてるの!」

 那奈が叫んでも、二人とも反応すらしない。やはり、ターゲットはあくまでも俺のようだ。しかし、那奈の言うこともよくわからない。あまりに絶望的な状況に、混乱してしまっている。

「おい、那奈、どういうことだよ。なんで知ってるんだ?」

「おい! ひとりでごちゃごちゃうるせえぞ! 死ね!」

 田川はコートからナイフを取り出した。那奈が再び悲鳴をあげる。

「はやくやっちゃってよ」

 多恵は楽しそうだ。狂っている。自分が何を言っているのか分かっているのか。

「多恵、お前、そんなの人間じゃねえよ!」

「あら、じゃあ今からでも私とよりを戻す? そしたら許してあげるけど」

「ふざけんな! 卑怯だ!」

 状況が上手く飲み込めない。田川の元交際相手は那奈ではなかったのか。現実、俺の部屋に多恵がいて、多恵や那奈がああいったことを言っているということは、どうやら田川の元交際相手は那奈ではなく、多恵だったようだ。衝撃的な真実である。今まで、俺が間違えていたということだ。刑事の言うことが正しかったのだと、この時思った。

田川は俺たちの会話を黙って聞いていた。そして話が終わると後ろを振り返り、多恵に話しかけた。

「あいつの言う通りだ。たしかにお前は卑怯だ。前の時も、お前の彼氏が構ってくれないからって俺に彼氏の家族ごと殺させた。なのに世間では、俺がお前の彼氏に嫉妬して殺したことになってた。罪は全部俺が被った。お前はお咎めなしだ。今回も同じだ。お前は自分勝手すぎる。今までお前の虜になっていたせいで言いなりだったが、もう頭にきたぜ。死ね!」

 そう言うや否や田川は持っていたナイフを勢いよく多恵の方に向けた。俺は目を疑った。多恵も予想外の展開に、驚いているようだ。

「ちょっと待って! 私の言うことが聞けないっていうの?」

「俺がお前の言うことを聞いて何になる?」

 田川はにやにやしながら多恵のことを見ている。多恵の顔が一気に青ざめていく。

「聞いてるんだから答えろよ。俺が納得のいく答えを出せたら、殺さないでやるよ」

 それでも多恵は何も言わない。言わないというより、言えない、言葉が見つからない、といった様子だ。顔面蒼白とはこのことである。

「わかった。今から三つ数えてやるから、それまでに答えを出せ。でないと、お前は死ぬことになる」

「待ってよ! ちょっと待って!」

 叫びながら多恵は頭を抱え込んだが、田川は聞き入れない。きっしっし、と笑い、楽しそうにカウントダウンを始めた。

「ひとーつ、ふたーつ」

 みっつ、と言い終わらないうちに、田川は持っていたナイフで多恵の首を切り落とした。動きが素早くて、一瞬何が起こったのか、俺にはわからなかった。

多恵の体から血が噴き出し、やがて首が床に落ちる、ごとっという嫌な音が鳴る。その光景を見て、吐き気が襲ってくる。ついさっきまで息巻いて喋っていた人間が、頭と胴体を切り離された状態で目の前に転がっている。正気の沙汰ではない。田川はもはや、多恵のことなどどうでもよくなっていたのだ。人を殺すことができればなんでもいい。そんな狂った獣と化している。こうなってくると、俺だけでなく那奈の命も狙われるだろう。それだけは許さない。絶対に那奈を守る。

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