第21話

「那奈、逃げろ! こいつはもう人殺しを楽しんでいるだけだ! 俺のことはいいから、逃げろ!」

「大丈夫! 私は幽霊だから! 田川は私のことが見えてないの!」

 まずい。やはり、那奈の精神状態は錯乱している。このままでは那奈も一緒に殺されてしまう。最低でも、それだけは避けなくてはならない。

「おい! 馬鹿なこと言ってねえで逃げろって!」

「本当だよ!」

「馬鹿! こんな時に冗談言ってる場合かよ!」

「おめえ、いつも思うけど、独り言すげえよな。まあいいや、とりあえず死ね!」

 田川は俺の方へ向かって歩いてきた。もう最後だ。俺は那奈の言葉を信じることにした。現実的に那奈が幽霊であるなどということはありえないはずだが、合コンに那奈なんて来ていないと言ったことや、刑事が電話番号も住所も那奈のものと確認できなかったことや、何より想像上の彼女、と言った時の那奈の反応を考えれば、話のつじつまが合うし、那奈が嘘を言うとは思えなかった。そういえば田川も、那奈のことは完全にスルーだし、俺が那奈に話しかけると独り言だ、と言う。これは那奈のことが眼中にないのではなくて、本当に見えていないのかもしれない。ただ、それを知ったところでどうする。もう関係ない。俺は死ぬだけだ。

「おらあ!」

 ぐさっという音がした。終わった。死んだ。間違いなく、死だ。目を閉じてしまっていたので、刺されたのはてっきり俺だと思っていた。しかし、なぜか痛みを感じない。目を開けると、俺の目の前には那奈が立っていた。そして、那奈の脇腹にはナイフが刺さっていた。

「ああ! だから言ったのに!」

「私、幽霊だから自由自在に見えるようになったりできるんだ!」

 那奈の脇腹からは一滴も血が出ていない。それに、少しも痛がる素振りを見せず、那奈は笑顔で喋っている。信じられない。俺は驚きのあまり、言葉を発することが出来なかった。

「え、え」

 どうやらようやく田川にも那奈の姿が見えるようになったようで、驚きを隠せないようだった。当然だ。自分は夢でも見ているのか、なんて思ったことだろう。田川はしばらく呆気に取られていた。

「お、おめえは、多恵の元カレの妹の」

「そうよ! 千葉有希。何人も人殺ししてるのに、よく覚えてられるね」

「なんでだよ、おめえは前に殺したはずじゃ」

「雅人を守るために、幽霊としてこの世に戻ってきたの。これ以上私や私の家族みたいな被害者をを守るためにね」

「千葉、有希? 那奈、那奈じゃない?」

 那奈は、那奈ではなかったというのか。千葉有希。それが、彼女の本当の名前らしい。頭の整理が追いつかない。

「そう。ごめんね雅人。今まで騙してて。私は、田川に殺された、吉川多恵の元カレの妹なんだ。最初は二度と私たちみたいな被害者を生まないように、化けて出たの。雅人を守るためにね。だけど、最初雅人のこと見たとき、どきどきした。幽霊なのに変な話だよね。それで、付き合って、雅人のことを知れば知るほど、どんどん雅人のことが好きになっていった。だめだとわかってても、止められなかった。でも、最初こいつから襲われた時、雅人は私をかばってくれた。本当に雅人のことは愛してるよ。今度は私が雅人を守る番だ。雅人の前では、私はいつまでも平沼那奈だからね!」

「那奈、消えかかってる。なんか、体が透明だよ」

「うん。二回も死んじゃったらもう流石に消えるしかないよね。神様とはクリスマスの日までって約束したけど、もうお別れだね」

 那奈は笑って言った。しかし、後ろ姿しか分からないが、泣いているようにも見えた。背中がひくっひくっと震えている。

「雅人、クリスマスの約束、守れなくてごめん。でも、今までありがとう。本当に、本当に楽しかったよ」

 那奈は消えた。跡形もなく消えた。俺の返事も、待ってくれずに消えた。田川はついに動きを止め、ただ茫然とするばかりだった。俺は夢でも見ているのかと我を疑ったが、悲しみだけはたしかに胸の中にあった。溢れる涙を抑えることが出来なかった。

 ぱん、と銃声が聞こえた。そしてぞろぞろと警察官たちが入ってきた。田川はばたっと頭から血を流して倒れた。即死だということは、後で分かった。

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