第13話
この日は、昼寝中に刑事がアパートに訪ねてきた。初めて見る刑事だ。
「谷川さん、怪我の具合はどうですか」
「少しは良くなりました。心配してくださってありがとうございます。それより、僕が田川に狙われている理由って、ご存じですか」
「当たり前じゃないですか。彼女さんの交際相手だからでしょう」
この刑事も、先日のスキンヘッドの刑事ほどではないが、こちらも人相が悪く、風格がある。
「那奈のことも、こういうふうに守っていただけませんか?」
刑事の顔つきが変わった。険しかった表情が、なんだか間の抜けたものに変わった。
「那奈? 吉川多恵さんなら警備をつけていますが、那奈とは誰で?」
「は? 多恵?」
馬鹿か。正真正銘の馬鹿だ。多恵なんて関係ないのに、前に殺されてしまった刑事も同じことを口走っていたが、刑事のくせにそんな情報も把握できていないなんて、言語道断である。しっかり仕事をしてほしい。
「僕の交際相手ですよ! 多恵は前の恋人! 関係ないですよ?」
「はあ? んな馬鹿な。吉川さんには確認を取りましたが」
刑事は焦ったような顔で言った。
「それ、嘘です。嘘ついてます。多恵とはもう、別れました」
「そうだったんですか。では、その那奈さんの連絡先を、まずは教えてください」
刑事は、頭を掻きながら帰っていった。俺はこの時、田川がなかなか捕まらない理由の一つとして、日本の警察の能力が低いのではないかと疑わずにはいられなかった。
家に引きこもり始めて一週間ほど経ったある日、田島から電話があった。田島と話すのは入院していた時以来だ。今までは電話で話すことなんてほとんどなかったが、先日の会話が盛り上がったからだろうか。少し、田島との距離が縮まった気がする。
「もしもし雅人? 今ってまだ家にいるの?」
「うん、アパートも引っ越した。殺人犯が捕まるまでは外にも出れないし、家に人も呼べない。警察の人が玄関の外と窓の外にいて守ってくれるからある程度は安心ではあるけどね」
ある程度、という言葉を外にいる警察官に聞こえないように、小声で言った。そういう生活、不便だな、と田島は心の声を漏らした。
「寂しいとは思うけど、腐るなよ。殺人犯が捕まるまでの辛抱だ。そしたらまたさ、合コンに誘うからさ。楽しみにしてなよ」
「あ、田島、そのことなんだけどさ」
そろそろ流石に、那奈のことを話さないといけないと思った。今ならゆっくり喋る余裕もあるし、田島は幹事だったから那奈のことも知っている。喜んで食いついてくると思った。
「那奈? 誰?」
「え? 那奈だよ。平沼那奈」
「こないだの合コンにそんなやつ来てないぞ」
「えっ」
俺の頭の中が、クエスチョンマークでいっぱいになる。そんなはずはない。俺は那奈と、合コンの時に向かいの席で知り合った。田島は酔っていて覚えていないのだろう。あるいは、記憶力が悪いのか。そのことを指摘すると、猛烈に反論された。
「いやいや、おかしいおかしい。那奈なんて人いなかったって。お前何言ってんだよ。だってほら、俺幹事だから全員の名前ちゃんと覚えてるし、それに、グループラインだって作ったろ。見てみろよ」
そうだ、と思い、一応、合コンの時のグループラインのメンバーに目を通す。おかしい。那奈の名前がない。何度確認してもない。退会した形跡もない。頭が混乱した。俺はもしかして、酔っていて合コンのメンバーではない、たまたま来ていた那奈に声をかけていたのか。それにしてもおかしい。そんなはずはない。後で那奈に確認してみよう。
「とにかく、俺は今、平沼那奈っていう女性と付き合ってるんだ」
田島は電話の向こうでうーん、と唸り、何やらもごもごとつぶやいていた。そして、言いにくそうに俺に尋ねた。
「雅人、頭の怪我はまだ大丈夫なのか?」
田島との電話を終えた後も、なんだか腑に落ちない部分があったので、俺はすぐにでも那奈に確認してみようと思った。スマホを再び手に取った瞬間、警察署から電話がかかってきた。先日の刑事からだった。
「谷川さん、先日は警備をつけていたにも関わらず、怪我を負わせてしまい、こちらとしては不甲斐ないばかりです。改めて、お詫び申し上げます。あと、そういえば谷川さんが教えてくれた那奈さんという方の電話番号、存在しませんでしたよ」
全身が凍り付く。さきほどの田島とのやりとりと合わせて考えると、なんだか気味が悪い。俺は今まで夢でも見ていたとでもいうか。それとも田島の言う通り、頭の傷がまだ治っていないというのか。いやいや、そんなはずは絶対にない。番号を伝え間違えたのかもしれないと思い、もう一度、番号を確認してみる。
「たしかにその番号にかけてみたんですがね。谷川さん、あなた、本当にその女性はいるんでしょうね? 想像上の彼女とかじゃないんですかい」
少しかちんときた。俺のことを殴られ過ぎて頭がおかしくなったとでも言いたいのか。
「そんなわけないじゃないですか! だいたい、那奈が僕の想像上の彼女だとしたら、僕はなんで田川から狙われてるんですか!」
もっともなことを言ってやった。そのつもりだった。が、刑事の返答はまったく想定外のものだった。
「それは、吉川多恵さんの元交際相手だからでしょう。この前も話しましたが、彼女の住まいにも警備はつけてますよ」
「だから多恵は関係ないってえの!」
思わず大声を出してしまう。これでは近所迷惑だ。興奮してはいけないと、すぐに我に返った。それでもこの刑事の頓珍漢具合には、腹が立つ。電話越しに、刑事のため息が聞こえる。それがまた、俺の心を苛立たせた。
「谷川さん、もうしばらく頭を休めてください。平沼那奈さんの件はわかりました。念のため、彼女の住所も教えてください。警備をつけますから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます