第11話

 夜、夢の中に田川が出てきた。はじめは那奈と一緒に公園で散歩している夢だった。最近の非日常的な毎日とは正反対の、平和な夢だ。キャッチボールをする親子や楽しそうにかけっこをする少年たち、そして犬や猫や鳩、といった動物を、二人で眺めながらゆっくり歩いていた。するといきなり田川が物陰から俺たちの前に飛び出したかと思えば、那奈を殴りつけた。殴られた那奈の体はそのまま宙に飛び上がり、間もなくして天空の彼方へ姿を消した。驚きのあまり思わずうわあっと叫んだ俺は一目散に逃げたが、やはり夢の中でも田川には敵わない。正面に回り込まれ、殴られて空高く吹っ飛ばされた。吹っ飛ばされたタイミングで、眠りから覚めた。夢だとわかるとほっとしたが、全身にはひどく汗をかいているし、寒気がする。恐ろしい夢だった。夢で良かった。それと同時にこのようなことは、絶対に現実にしてはいけないと思った。何があっても、俺は那奈を守り抜く。自分自身にそう誓った。

興奮と不安と緊張のせいで、その晩はそれ以降、一切眠りに着けなかった。俺は普段ほとんど夢を見ないので、余計に怖く感じた。田川に襲われたことが相当大きなトラウマになってしまっている。

 翌日、友達が見舞いに来た。田島という名前の、俺が那奈と出会うきっかけになった合コンの幹事だった男だ。

「雅人、大丈夫? 俺のこと、わかる?」

「ばーか。田島雄太だろ?」

 田島は笑って頷いた。

「それにしても、病室の前に警察がいてびびったよ。パクられるんじゃないかって」

「ははは、なんでだよ。田島は別になんにも悪いことしてないだろ」

 田島はまたにひひ、笑った。たばこのせいで黄色くなった、並びの悪い歯が目に入る。俺は思わず視線を下に落とした。

「ていうかさ、昨日、あいつから電話あったよ」

「あいつ?」

 聞き返した後、すぐに誰のことを言っているのか気づいた。あいつとは、おそらく多恵のことだ。田島もバイト先が同じだったので、今でも繋がりがあるのだろう、だいたい、俺は田島とそこまで親しいわけではない。しかし、田島がいなければ俺は那奈と出会えていない。合コンに誘ってくれたことは感謝しているが、あれ以降、連絡を取っていなかったので、合コンで俺が那奈と仲良くなったのも、もしかしたら知らないのかもしれない。知らないとしたら、別に知らなくてもいい。俺と田島は、その程度の関係だ。

「多恵だよ。雅人と仲直りして、よりを戻したいってさ」

「うん。こないだ電話あった。だけど、そんな気にはもうなれないよ」

 そうか、まあそうだよな、と言って田島はベッドの脇のパイプ椅子に腰を下ろした。そしてしばらく何か考え込んだように腕を組み、うつむいていた。どうやら、話題を一所懸命探しているらしい。無理もない。俺と田島の共通の話題なんて、ほとんどないからだ。田島とは、通っている大学も違う。だから、交友関係においても、共通の知人は多恵くらいしかいない。

「傷、大丈夫か」

 俺は曖昧に頷いた。大丈夫とは言い切れないからだ。現に、俺は今、殴られ過ぎて酷い顔をしている。少し見れば大丈夫ではないことくらいわかるはずだ。何もかける言葉が見つからないのなら、無理しなくても良いのに。気を遣ってくれなくても大丈夫だと言いたい。

 しばらくの間、沈黙が流れる。何か喋っていないと、眠ってしまいそうだ。昨晩あまり眠っていないせいで、ひたすら眠い。失礼だとわかっていても、思わずあくびが漏れてしまう。

「なんだ、あくびなんかして。眠れてないのか?」

 意図したわけではないが、結果的に今のあくびが田島に対する話題提供になったみたいだ。それなら、良かった。俺の失礼なあくびも、報われるというものだ。

「まあな」

「そっか。病室だしな、傷とか、精神的ダメージとかもあるだろうし。でもさ、あんまり考えすぎても体に良くないぞ」

「まあ、そうだよな。気を遣ってくれてありがとう」

「でも、どうして雅人が襲われたんだ?」

 この問いには、答えないことにした。答えようとすると、どうしても自分が田川の元交際相手と付き合っているからだ、と言わなければならなくなり、那奈のせいにしているみたいで嫌だからだ。それに、今このタイミングで俺に彼女ができたことを告白する気分にもなれない。

 俺が田島の質問を無視したせいで、田島は困ったように頭を掻いた。気まずそうな田島を見て少し申し訳ない気持ちになり、今度は俺の方から話題をふってみた。

「前やった合コンでさ、田島はいい人見つかったの?」

「いや、全然だめだった。大人数だったから、あんまり喋れなかった」

 照れくさそうに言う。思わず吹き出してしまった。

「シャイかよ! 田島らしくないな!」

「う、うるせえ。よし、雅人、雅人が退院したら、リベンジするぞ」

「わかったわかった」

この話題をきっかけに、田島との会話は盛り上がり始めた。案外楽しかったが、三十分ほど話したところで、田島は用事があるから、と俺に別れを告げた。そしてお大事に、と言って、病室を後にした。田島が去った後の病室は、しんとしていてだだっ広く感じた。俺はまた、窓の外を眺め、時間を潰すことにした。外の世界は平和だ。俺も早く、窓の外の平和な世界の一部分になりたいと思った。

やがて退院した俺は、アパートを引っ越した。田川が捕まってない以上、あのアパートに俺が住んでいては非常に危険だと、刑事に警告されたのだ。

新しい住まいでは、警察官が四人ほど、部屋の外を警備してくれることになった。また、俺が襲われたことはニュースにもなっていたので、大学の講義も特例措置としてオンラインで受けさせてもらえることになった。ただ、ひとつ、刑事から出された条件としては、念のため家に人を呼ぶな、ということだった。当たり前といえば当たり前だが、那奈としばらく会えなくなるのはやはり寂しい。それでも、田川が捕まるまでの辛抱。そう思ってひたすらこの生活を耐え忍ぶしかない。新しい住まいでは、布団とテレビ以外、何も家具を置かなかった。セッティングする気力が湧かなかったからだ。

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