第10話

 那奈が喜びを露にする。当然のことだ。さっきまでの崖っぷちの状況に、絶望していたはずだ。そんなところに警察官が来てくれるなんて、俺たちはまだ神に見捨てられていなかったようだ。

「おめえ、そんなチャカでこの俺をやれると思ってるんか? ああ?」

 田川は一切動じない。警察官のことなんてお構いなしに俺をひたすら殴り続ける。

「お、おい! その人を離せ! でないと撃つぞ!」

 田川の体がぴくん、と反応する。そしていきなり俺のことを離し、玄関の方にいる警察官のもとへ駆け寄ると、思いきりその警察官の顔面を殴りつけ、次に腹を蹴り上げ、失神させた。そして倒れた警察官から銃を奪い取ると、彼のこめかみに一発、狙撃した。

「ひどい!」

 那奈が叫ぶ。ショッキングな光景を目の当たりにし、思わず吐き気を催した。那奈の叫び声など、田川にはまるで聴こえていない。田川は倒れている警察官を何度も狙撃した。

「きっしっし、こいつは面白えや」

 そういって銃を俺の方へ向けた。その瞬間だった。

「待てこら!」

 なんと、機動隊が部屋にぞろぞろ入ってきた。部屋の中にも五、六人ほど入ってきたが、外にもいるようだ。アパートの外が騒がしい。驚いた。こんなことは前代未聞だ。実際、俺は初めて生で機動隊を見た。たった一人の殺人犯のために、機動隊が出動するなんてことが、今までにあったのだろうか。物凄い光景だ。頑丈に装備した機動隊員たち。もしも事情をまったく知らない人がこの様子を目にしたら、まさかたった一人の殺人犯を相手にしているとは思わないだろう。ただ、田川の前では事情が違う。警察官が一人や二人で向かっていったのでは、危険極まりない。

「銃を捨てろ!」

 一人がそういうと、田川はちっと舌打ちした。そして銃を捨てた。案外聞き分けが良い。良かった。終戦だ。機動隊の一人が近づいてくる。そして銃を拾い上げようと屈んだ。すると田川はその隙をついて玄関とは反対側の、窓の方へ走っていった。そしてそのまま、窓ガラスを体当たりして破壊し、飛び降りていった。那奈がまた、ひゃっと、驚きの声を出す。ここはアパートの三階だ。死ぬことはおそらくないだろう。部屋の中には窓ガラスの破片が散乱している。

 機動隊の人たちが窓から下を見下ろす。俺も力を振り絞って起き上がり、下を見てみた。やはり、田川の姿はなかった。直後、再び俺は病院へ搬送されたのだった。先日、搬送された時と同じ病院。病室も同じだ。病室内には俺以外に入院患者はおらず、病室の外には警察官が数人、警備を行っている。俺は窓の外をなんとなく眺めることで、一日を費やした。都会の綺麗な街並みを、忙しなく車が行き交う。暗くなってくると、街灯がつく。街は休むことを知らない。平常運転だ。俺が殺人犯に襲われて大怪我したことなんて、世間一般の人たちには関係ないのだろう。俺が生きている世界とは、まったく別にある世界みたいだ。

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