第8話

 退院して那奈の家に顔を出してみた。那奈は俺の痛々しい姿を見て悲鳴をあげた。何度ももう大丈夫だと言っても、私のせいだと言って聞かない。

「那奈、悪いのはあの殺人鬼だよ。俺たちは被害者だ。当たり前だけど」

 そういうと、那奈はたしかに、とつぶやいて大きく息を吸った。

「もう、うちにはこないで」

「え? なんでだよ。那奈は関係ないって言ったじゃんか。俺なら大丈夫だから。それより那奈を一人にしておくほうが心配だ」

「いいから!」

 あまりの剣幕に一瞬怯んだ。怯んで、何も言葉を返せなかった。那奈がここまで声を張り上げたのは初めてだった。今回の事件に関して、相当自分を責めているのだろう。だがしかし、本当に那奈は悪くないし、俺は那奈が心配だ。警察すら殺してしまうあの殺人鬼のことだ。本当に何をしでかすかわからない。那奈なら、田川の気性を多少は知っているだろう。だからこそ必死になるのかもしれない。

「私が、雅人の家に行くよ。ほら、田川が殺そうとしているのは雅人だから。私は狙われないし、それに」

 言いかけて、那奈は一旦大きく深呼吸をした。そして、なんだかわけのわからないことを口にした。

「私の、使命だから」

「は? なんて?」

「ううん、なんでもない! だからさ、今日はもう帰ろっ? 一緒に」

 那奈が久しぶりに笑顔を見せてくれたのは嬉しいが、それはあくまでも人工的なものだったし、何より使命、というセリフが気になった。なんだか不気味で、鳥肌が立った。田川が殺そうとしているのは那奈ではなくてあくまで俺だと彼女は言ったが、そんなことは誰も言っていない。保証はどこにもないのだ。しかし、それをいくら説いても、那奈は聞く耳を持たなかった。

 それから、那奈は毎日のように俺の家に来た。俺の家に来たところで一緒にすることといえば、ご飯を作って一緒に食べたり、映画を観たりするだけだったが、それはそれで楽しかった。好きな人と一緒に過ごすことが出来ればなんでも楽しいものだと改めて実感したが、それが一週間、一か月と続くと段々飽きてくるし、もっと二人で色んなところに出かけたいという気持ちにもなった。俺と那奈の居場所は既に田川に知られているかもしれないということはわかっていたが、それでもやはり、家にばかりいるとストレスもたまる。たまには外出しても、大丈夫なのではないだろうか。しかし、そう思っている旨を那奈に伝えると、那奈は反対した。

「それは危ない考えだよ。犯人が捕まえるまで待とうよ。危ないから家にいてくれって、警察にも助言されてるんでしょ? 大学も休んでるんだし」

 その通り。正論だった。田川が捕まらないことには、俺たち、少なくとも俺の命は危ない。田川が憎い。憎くて、恐ろしい。先日のことを思い出すと、心なしか頭が痛む。精神的なものからくる頭痛か、あるいは殴られた痛みか。いてもたってもいられなくなってテレビの電源を入れる。ちょうど夕方の、ニュースの時間帯だった。いくらザッピングしても、田川逮捕の知らせはない。まったく、警察はなにをやっているんだ。一、三、四、五、六、七、一、三、四、五、六、七、八、と狂ったようにザッピングしていると、やがて那奈にリモコンを取り上げられた。

「雅人! なにしてんの。落ち着いて」

 落ち着いて、と言われても、そう簡単に落ち着けるものではない。人間の感情というものは、そんな単純ではない。田川が逮捕されれば、田川さえ逮捕されてくれれば、元の日常が戻ってくるというのに。田川の馬鹿野郎。田川の馬鹿野郎。田川の馬鹿野郎。俺は思いのたけをぶちまけようと思った。

「だって田川が!」

「俺がなんだって?」

「え?」

 那奈と同じタイミングで声のするほうへ振り向くと、そこには不敵な笑みを浮かべながら田川が立っていた。

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