第6話

「吉川多恵さん、ですか」

 はあ、と気のない返事をする俺。なんで多恵のことを知っているのかなんてもはや興味もなかったので、そっけない態度をとってしまったが、それでも刑事は俺のベッドの脇に立ったまま、置いてあるパイプ椅子にも座らず、しっかりと俺の目を見つめて話した。

「昨日あなたを襲ったのは、ニュースでもやっている例の脱走犯、田川庄次郎です。あなたを襲った動機はおそらく、以前と同様、交際相手のことでかと。まったく、とんでもない野郎だ」

「やはりそうでしたか。でもニュースで見た顔と全然違いました」

「整形してるんです。目立たないように整形に整形を重ね、今では元の面影もないほどに。奴が行った美容整形外科は受付事務を含め皆殺しにされている。自分で証拠をまき散らして、頭の悪いやつだ!」

 刑事の言うことは、どこか間違っている気がする。あいつはそんなことを気にするようなやつではないのではないか。なぜならあの時、ただ、俺を攻撃するのを楽しんでいるだけにしか見えなかった。あいつの顔を見たとき、全身に戦慄が走った。正気を感じなかったからだ。やつには、人間の血が通っているのだろうか。狂っている。

「でも、なんでやつはそこまでして人を殺しまくるんでしょう? かつての恋人の新しい交際相手に嫉妬して人殺しをしたのに。関係ない美容整形外科の人たちまで殺すなんて」

「精神が錯乱しています。だから、もはや見境などつかなくなっている。あの男は、プロボクサーの端くれだったんです。周りの人間からは、将来を期待されていたようだ。なのに、なんたってあんなに狂っちまったんだ!」

 病院だというのに、声が大きい。興奮しすぎている。刑事は顔を歪め、眉間に皺を寄せる。こんな顔をして睨まれると、なんだか自分が責められているような気分になる。

「昨日、あの男を追いかけていった警察官の一人は、返り討ちにあって、殴り殺されました」

 淡々とした口調とは裏腹に、話している内容はかなりショッキングだ。俺だったら、人の死をこんなに淡々とは語れないだろう。刑事という職業をやっていると、人はこうなってしまうのだろうか。あるいは単純に、この刑事に人間らしい心が欠落しているのか。

 それにしても、警察官を殺すなんて、とんでもない奴だ。いくら元プロボクサーだって、警察を腕力でねじ伏せるなんて、聞いたことのない話である。

「これから退院したら、谷川さんのお宅には警備を敷かせていただきます」

「ありがとうございます。そういうことでしたら、那奈の方もしっかり守ってください」

「ん? 那奈?」

 なぜか刑事は不思議そうな顔をしている。いったいどういうことだ。どうしてそんな反応になるのだ。俺は何か、おかしなことを言っただろうか。

「谷川雅人さん、どうやらまだ頭の傷がまだよくないようですな。まずはしっかり安静にしておいてください」

 そういうと刑事はゆっくりと病室を後にした。俺はむっとした。俺が頭を殴られ過ぎておかしくなったとでも言いたいのか。まったく、失礼な話である。

この刑事とは、もう二度と会うことはなかった。刑事が田川に殺害されたことは、病院のテレビのニュースで知った。

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