第2話

 この日は、二人で映画を観に行った。話題になっている、サスペンス映画だ。那奈は恋愛ものがいいと反対したが、どうしても観たい映画だったので押し切った。上映時間のぎりぎり前に行ったので、二つ並んで空いている座席は最前列しかなかった。那奈はそれを口実に、やっぱり恋愛映画にしようと主張したが、俺はどうしても諦めきれなかった。少し嫌だったが、最前列のチケットを二枚、券売機で買い、話題のサスペンス映画を観ることに決めた。結果、殺人鬼役の俳優の迫力満点の演技に圧倒された。まるで本当に人を殺したことがあるのではないかと疑ってしまうほどのものだった。上映が終了した後も、あの俳優のセリフや仕草が脳にこびりついて離れなかった。大満足で映画館を後にした俺は、那奈を連れて近くのカフェに入った。そこで思う存分、映画の感想を語った。いつも二人で行く、雰囲気がお洒落なカフェ。なかなか一人では入りづらい。那奈と一緒でなかったら、おそらくこういう店に入ることはないだろう。

俺が映画に満足していることを伝えると、那奈は俺とは正反対の感想を持っていた。

「グロいだけであんまり面白くはなかったかなー」

「ええ? マジ? もしかして那奈って、怖い系苦手なの? お子様だねえ」

「そんなんじゃないってば!」

 笑いながら否定する那奈に俺は畳みかける。

「だってさ、さっきのネットニュース、めっちゃびびってたじゃん」

「え、あ、ああ」

 那奈の表情が微妙に変わる。本当に苦手みたいだ。

「じゃあさ、もし私が殺人鬼に襲われたら、守ってくれる?」

「もちろん!」

 そんな質問には、即答できる。胸を張って言った。当たり前のことである。約束だよ、と言って、指切りを何度も交わした。その後、再び会話は盛り上がり、二時間ほど談笑し、解散した。

 帰宅してテレビをつけると、ネットニュースで見た脱走犯のことで話題は持ち切りだった。田川庄次郎という男は俺の記憶にはないが、昨年、元交際相手の恋人とその家族を殺害して死刑判決を受けていたらしい。現代の日本では毎日のように殺人事件のニュースが伝えられる。だから、こんな残虐な事件を起こした男のことも、関係のない世間一般の人間はいちいち覚えていられない。すべてが、他人事である。こういったニュースは、自分が当事者でない限り、人は滅多に関心が湧かない。九州にいるのならば流石に東京までは逃げて来ないだろう。だからというのもあり、なかなか関心が湧かないのだ。が、ニュースを観ていると、さっき観た映画の殺人鬼役の俳優を思い出して思わず鳥肌が立った。あんなのが現実にも存在していると思うと、身の毛がよだつ。もしも外で出くわしたら、卒倒してしまうに違いない。勢いよくテレビの電源を消し、リモコンをクッションの上に放り投げると、ベッドに倒れこんだ。布団にもぐり、スマホを手に取って那奈に電話をかける。

「雅人? どうしたの?」

「いや、特に用事はないんだけどさ。ちょっとまだ話したりなくて」

「はは、何それ。さては映画の内容思い出して怖くなったんだな?」

「ばれた?」

 電話越しに大きな笑い声が聞こえる。情けない気分だ。

「お子様だねえ」

「ああ、言ったな!」

「へっへっへ。昼間のお返しだよ!」

那奈の明るい声を聴いて、少し心が和らぐ。那奈と深夜まで通話で話すことで、この日は恐怖から逃げることが出来た。

 翌朝、昨晩恐怖に震えていた自分が馬鹿みたいに思えるほど気持ちよく目を覚ました。よくあることだ。夜になると人は些細なことでいちいちくよくよする。それが朝になると、昨晩自分はどうしてこんなことで悩んでいたのだろう、という気持ちになってしまうのだ。俺は、意識がはっきりすると早速那奈に電話をかけた。この日も会う予定があったからだ。

「あ、もしもし那奈? 十一時に新宿でいいんだっけ」返事がない。電波が悪いのかと思い、もう一度聞いてみる。

「那奈?」

「えっと、ごめんなさい。今日はなんだか風邪気味で。急な連絡になっちゃってごめんね」

「え、マジ? 大丈夫? 最近急に寒くなってきたしね。風邪薬買って、那奈ん家行くよ」

「本当? ありがとう。でもいいよ別に。気を遣ってくれなくても」

「いいっていいって。遠慮すんなよ」

那奈の家に急いで行くと、彼女は案外元気そうで、風邪の症状もなかった。せっかく買った風邪薬が無駄になってしまった。

「なんだ、意外に元気そうじゃん」

「へへ、ごめんね。今日は家から出たくなくて」

「なんだそれ、寒いからか。ひっでえ」

 俺が笑って言うと、彼女も頷き、笑った。この時、俺は那奈の意外に我儘な一面を知ることが出来て良かった、くらいに思っていたのだが、これ以降、不可解な出来事が起こり続けた。那奈はその後、続けて三回も同じことをやった。もちろん、いずれの時も風邪などひいていなかった。今まで那奈と付き合ってきて、彼女には誠実な印象を抱いていたので、なんだか不思議だった。何か理由があるのかもしれない。そこで、思い切って、俺は彼女に訳を問い詰めてみることにした。

「那奈、なにかあったの?」

「特に何もないよ。ごめんね」

 即答された。いや、そんなはずはない。絶対に何かしらの理由があるはずだ。那奈は何か隠している。ひょっとすると、俺に対して思うところがあるのかもしれない。俺が強引にサスペンス映画を観ることに決めたのを根に持っているのだろうか。流石にそんな些細なことではないと思うが、いずれにせよ何か理由があってこのような行動を取っているとしたら、絶対に有耶無耶にしてはならない。不満というものはため込むと、いつか二人の関係に亀裂が生じてしまう可能性だってある。

「もしかして、恋愛映画観れなかったから?」

「はは、そんなこだわりないって!」

「そっか。そうだよね。でもまあ、俺に何か不満とかあったりしたらちゃんとぶつけてね。悪いところがあったら直すから」

「そんなんじゃないよ」

「だったら変だろ! 今まで那奈がこんなちゃらんぽらんなことしたことなかった! 正直に思ってること言ってくれよ!」

 少し、口調が強くなってしまった。しかし、ここで曖昧なままで終わらせてしまってはいけないとも思った。引き下がるわけにはいかない。むきになっている俺を見て、那奈は、困惑の表情を浮かべていた。俺は那奈から本心を聞き出すまで、妥協する気はない。やがて那奈も観念したようで、ため息をついた。

「実は、私の元交際相手なの」

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