on the seabed

あきらけく

on the seabed

 おまえはどうして、そんなに透明なんだろうなあ





 肌が透き通るようだとか透明感があるだとか、そんな褒め言葉なんかじゃないとすぐに分かった。

 至極真面目にそう呟いた男の顔は、別段興味もないくせに可笑しいものでも見るみたいな、なんだか、無性に苛立たしくて腹が立って悔しくて涙が出てしまいそうになるような、そんな顔だった。






 なんの返事もせずに、なるだけ緩慢な動きで顔を逸らした。迫るほどに重たい鉛色の雲が空を満たしている。寒いな。雪がちらちらとでも降れば、こんなただ寒いだけの朝よりも、よっぽどいいのに。出来るだけ小さく吐いた息は、それでも少し大袈裟に窓硝子を白く曇らせた。






 あの日気まぐれに私へ喋りかけた貴方。なんの輝かしい意図もなく掛けられた声に、勝手に惹きつけられてしまったのは私。あの時もこんな風に、喋りかけたくせに一欠片さえ興味などないような瞳で、驚いて目を見開く私のこと、見つめていたね。






 透明なんかで居たくないよ。私はずっと貴方の色に染まりたかったよ。私のことをなにも、なにも、気付きもしなくて知りもしなくて求めるはずもない貴方の色に。誰の引く手も無いこの腕に、一体なんの色が宿ると言うの。







 ああそうか、わかった


 おまえは海でできているからだ







 気まぐれに近づいてくると窮屈そうに屈んで、頭一つ分低い私の顔を覗き込む。そんな馬鹿なことを言いながら納得したように頷くくせに、大したことではないと、いう風な貴方。目の前で私は、情け無くて死にたくなる程ぼろぼろと、涙がこぼれてたまらないというのに。




 全部、全部つまらない。私がここに居る。貴方がここに居る。貴方の瞳に私が居ない。貴方の心に私が居ない。なにもかも、全部つまらない。




 私に興味などないくせに。そのなんの遠慮も画策もなく触れる無骨な指の、どこを探したって、恋だとか愛だとか、私が望むもの何一つ隠れてやしないくせに。






 そうだよ私は海で出来ている。貴方を思って流した涙で出来た海。貴方が創った海。昏い昏い色の、溺れてしまいそうなほど深くて悲しい貴方の海だ。




 愛してくれ。もう私の殻から溢れて流れ出てきてしまう。この悲しみが私のちっぽけな世界に溢れてなにもかも覆い尽くしてしまう前に、ねえ、どうか貴方が、私の中を埋めてくれ。








 もう戯言を零すことにも飽きたような貴方が、ふいと私から目を逸らして、白く曇った窓硝子を細く撫ぜる。指の跡から結露が流れていくのを、私はただ茫然と見ていた。きっと、きっと、この滴っていく水滴と私の涙と、貴方の中では同じくらいの無価値なんでしょう?






 どうして泣くんだと、その一言できっと、私の地獄は終わったのに。貴方は終ぞ問わなかった。まるで見えていないみたいに。私が流す涙になんの価値もないとでも言うように。私は貴方の、こころの傷にさえなれないようだった。

 もう、水面がどちらなのか、どこへ向かえば息ができるのかも私には分からないほど深く、深く、永遠に暗い場所に沈んでしまったことに、やっと気づく。





 ぶくぶくぶく、さようなら。このまま溺れて楽になれたら一番いいのに、底なしに暗くてもこの海には貴方が満ちている。悲しいよ。寂しいよ。独りはこわいよ。





 けれど、貴方と出会って知った孤独なら、出会わずに居た幸福なんか要らないと私はきっと言うよ。どんなに惨めで愚かでも、こんなに苦しくても、それでも言うよ。透明なままでもいい、あなたの中に私が居なくてもいい、愛してくれなくてもいいから、だから、どうか、どうか、






 冬の海の底で私が泣いていたこと、ずっとずっと、忘れないでね。

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