第22話 古都子ちゃんの覚悟

 上半身の次は下半身について教える。


「走るときは踵がお尻に当たるくらい上げて、膝を前に突き出すように走るんだ」

「かかとをお尻、膝を前に突き出す……」

「やってみて」

「は、はい。ひゃうっ!」


 走り出すと古都子ちゃんは三歩目で転んだ。


「大丈夫か!?」

「難しいです」

「意識しすぎると余計走りづらいよな。自然に走りながらちょっと意識する程度でいいんだ」

「はい。やってみます」


 俺の教え通りに踵をお尻に近付けて走っているのだが、なんだかちょっとコミカルな動きになってしまう。


「上半身も忘れずに」

「そ、そうでした! はい!」


 二十分ほど練習していると、動きも少し滑らかになってきた。

 とはいえ意識しすぎているので、速度は全然速くなっていない。


「段々よくなってるよ。ちょっと休憩しよう」

「せっかくコツが掴めてきたのでもう少しやります」

「汗だくだろ。休憩しながら少し頭を整理しろ」


 タオルを渡すと古都子ちゃんはジィーッと見詰めたのち、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。

 せっかく努力する姿に感心していたのに台無しである。


「おい、バカ。やめろ。それは未使用だから匂いなんてないぞ」

「いえ。志渡くんの鞄の中の香りがします」


 変態の本領発揮だ。

 まあこの方が彼女らしくて、ちょっとだけホッとするけど。


「やっぱり私にリレーは無理ですね。体育祭の日は休もうかな」

「そんなこと言うなよ。まだ体育祭まで時間はあるだろ」

「いいんです。中学の時もクラスメイトから『体育祭の日は休め』って言われてましたから。お前がいたらクラス対抗で負けるからって」



 古都子ちゃんは頭からタオルを被って顔を隠しながら呟く。

 タオルの中から鼻をすするような音が聞こえた。


「お、おい。泣くなよ。そんな最低な奴の言うこと、気にするな!」


 タオルを剥ぎ取ると古都子はタオルをスンスンと嗅いでいた。

 もちろん涙など一粒も流していない。


「泣いてたんじゃないのかよ!」

「タオルを頭から被って鼻腔いっぱいに志渡くんの芳香を楽しんでいただけです」

「紛らわしいことをするな!」


 古都子ちゃんは叱られてるのににへらと笑う。


「だいたい泣くわけないですよ。実際私がいない方がクラスは勝てるんですから」

「自分をそんなに卑下するな。そういうのは癖になる」


 強い口調で言うと、彼女の顔からヘラヘラとした笑みが消えた。


「自分は駄目な奴だって貶めて自己憐憫に浸るのは楽だ。けどそんなことしてたらいつか本当に駄目になっちまうんだ」

「でも実際駄目な奴ですし」

「そんなことない。本当に駄目な奴は自主練なんかしないし、俺に教わって必死に練習なんかしない」


 俺の指摘に古都子ちゃんは気まずそうに目を伏せる。


「最近みんなと少しは目を合わせて話すようになったし、会話にもついていこうと努力してる。俺はそんな古都子ちゃんがすごいって思ってる」

「わ、私がすごい? ないない。そんなことあるわけないです」

「キモいだとかウザいだとか言ってくる奴に気を遣って縮こまる必要なんてない。そんなことをしたってそいつらは古都子ちゃんのことを助けたりはしない」

「逆らったら怖いじゃないですか! 助けてくれないなんて知ってます。でも従わなかったら何をされるか」


 古都子ちゃんがはじめて心の奥底の感情を見せてくれた気がした。


「意外と何にもしないよ。俺も転校ばっかでイジられ続けてきたけど、無視してやった。そうすると大抵は興味をなくしてイジらなくなってくるものなんだよ」

「え? そうなんですか?」

「そういうもんだ。中にはそれでもイジってくる奴もいるけど、そんな奴は無視だ。だいたいそういう奴はみんなと仲良さそうにしてても、実際は嫌われている場合が多い」


 俺の経験談を教えると、古都子ちゃんはすくっと立ち上がった。


「どうした?」

「休憩は終わりです。また練習します」


 そういうと彼女はまた不格好に走り出す。

 俺のつまらない体験も古都子ちゃんを動かす力になってくれたなら嬉しい。


「もっと手を振って。ほら脚も速く動かす!」

「こうですか? ふぎゃっ!?」

「うわ、大丈夫か?」


 どうしてそんなにすぐに転ぶのだろう。

 俺の教え方がよくないのかもしれない。


 全校生徒下校の時間まで二人での特訓は続いた。


「よし。今日はここまで」

「教えてくれてありがとうございました」

「役に立ってるといいけど」

「あ、あのっ……お願いなんですけど」


 古都子ちゃんは緊張した顔で俺を見る。


「また特訓してもらってもいいですか?」

「ああ、もちろん。いくらでも協力する」

「やった! ありがとうございます!」


 古都子ちゃんは喜びながら抱きついてくる。

 小学生並みの体格なので、失礼ながら子どもにじゃれつかれている感じだ。


「その代わり体育祭の日に休むなんて二度と言うなよ」

「はい! もちろん!」


 古都子ちゃんは俺の胸に顔を押し付けてスハスハ言っている。


「あと匂いを嗅ぐのも禁止な」

「それは無理です! ご褒美がないと頑張れない体質なんで」


 前向きになっても、やはり古都子ちゃんは古都子ちゃんだ。





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