第19話 プライベートレッスン

 今日の放課後は蒼山さんの家で勉強となった。

 これは蒼山さんの彼女ターンというわけではなく、俺の学力の問題が理由だ。


 元々それほど頭がよくなかった上に、記憶喪失になってしまったのだから授業についていくのもやっとの状況だ。


 蒼山さんの家で行う理由は、一学期の復習からするのであれこれ資料が必要だという理由である。


「散らかってるけど気にしないで」

「お邪魔します」


 蒼山さんの家は白とグレー、そして黒の家具で統一されていた。

 彼女らしい落ち着いた雰囲気である。

 女子特有の甘い香りもなく、石鹸の爽やかな香りと微かなお香の匂いがした。


「あまりキョロキョロ見ないで。恥ずかしいから」

「ごめん」


 蒼山さんは少し恥ずかしそうに俺を睨んだ。


「今日は恋人としてではなく、クラス委員長として勉強を教えるだけだから厳しくしますよ」

「お手柔らかに」


 その言葉に嘘はなかった。

 恋人ターンの時のような優しさや微かに見え隠れする可愛らしさはなく、厳しい指導が続く。


「そこ、さっきも同じ間違いしてましたよ」

「え? あ、ここもさっきと同じ方程式使うんだ。分からなかった」


 誤答を消していると蒼山さんは「はぁ」とため息をついた。


「志渡くんは計算というより問題文を読む読解力に難があるようですね」

「こんな紛らわしい書き方する方がおかしいんだって」

「それはそうです。問題を作る方は引っかけようとわざとしてるんですから。騙されてると思って構えないといけないんです」

「なんか嫌だよな、そういうの」

「志渡くんは素直に信じすぎるんですよ」


 数学の話なのに人生について指摘されたような気分になる。

 言われてみればそうなのかもしれない。

 彼女だと名乗る人が三人も現れ、否定しきれずに全員と付き合っている。


 更にはご主人様だと名乗る人の下僕にまでなってしまっていた。

 ストーカーの女の子の推理を聞き、なるほどと頷いているのも問題だ。


 もっと疑ってかかった方がいいのだろうが、それもなんだか寂しい話だ。

 やはり俺は人を信じてあげたい。


「すいません。言い過ぎました」


 蒼山さんが少し申し訳なさそうに頭を下げる。


「いやいや。ケアレスミスが多い俺が悪いんだし」

「勉強を教えていると、ついキツい口調になってしまうんです。中学生の頃も同じように厳しく指摘して、友だちから煙たがられてました」

「それだけ真剣に教えているってことだろ」

「私の場合、教えることに酔ってしまっているんだと思います。相手のことも考えず、押し付けるような言い方になってしまうんです」


 想像以上に蒼山さんは落ち込んでいた。

 俺が理解できないバカなだけなのに、なんだか申し訳ない。


「そんなに自分を責めるなよ」

「嫌いになりましたか?」


 蒼山さんは少し瞳を潤ませ、不安げに眉をハの字にさせる。


「そんなわけないだろ。厳しさが蒼山さんの優しさなんだって分かってるから。理解して欲しいから、つい厳しくなるんだろ?」

「志渡くんは優しいんですね。気を遣ってくださり、ありがとうございます」


 蒼山さんは寂しそうに微笑んだ。


「お世辞じゃないって。少なくとも俺は感謝してる。理解度の低い俺に根気よく勉強を教えてくれてありがとう」

「なんか無理矢理褒めてない?」


 蒼山さんは疑り深い目で俺を見る。

 なかなか懐かない猫のような瞳だ。


「そうやって感謝を素直に受け止められないところは蒼山さんの悪いところだな。別にいいだろ。他の人はどうか知らないけれど、俺は感謝してるんだから」


 俺の素直な気持ちを伝えると、蒼山さんは急に立ち上がった。

 そして俺の両脚を割って、その中にすぽっと座る。


「おい、なんの真似だ? 今日は恋人じゃなくて勉強を教えるモードだったんじゃなかったのか?」


 蒼山さんの後頭部に話し掛けると、くるっと振り返った。

 その顔は真っ赤だった。


「今は休憩時間です。だから恋人モード」

「なんだよ、それ。ずいぶんと勝手だな」

「勉強ばかりでも効率は上がりません。知ってました? 人間の集中力はだいたい十五分が限界なんですって。短い休憩を入れながら十五分づつ勉強するのが効率いいそうです」

「十五分に一回、俺の前に座るつもりかよ?」

「理論上はそうなりますね」


 甘えるときでさえ理屈っぽいなんて、蒼山さんらしい。

 でも十五分に一回こんなに密着していたら、俺の理性の方が持たないだろう。

 みんな無責任にぐいぐい来るけど、俺だって十五歳の健全な男子だということを忘れないで欲しい。


「後ろからギュッて抱き締めてください。なにかを抱き締めると脳内が活性されて集中力が上がるそうです」

「それは嘘だろ」

「バレましたか?」


 蒼山さんはくるっと振り返っていたずらっぽく笑う。


「それくらい分かるわ。バカにすんな」


 蒼山さんは普段はクールなくせに、意外と甘えたがりなのかもしれない。



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