第6話 蒼山さんとの思い出の坂
放課後になると帰る支度を終えた蒼山さんが、僕の席へとやって来る。
「帰ろう、志渡くん」
「あ、うん」
特に照れるわけでもなく、変にテンションが高いわけでもなく、ごく普通に誘ってきた。
まるで付き合って数ヶ月経過した本当の恋人のようだ。
よくこの子たちは何事もなかったかのように彼女として振る舞えるよな。ある意味感心する。
吹奏楽部の練習する音や、運動部の弾んだ掛け声を背にして校門を出た。
「なんで俺が三人ものよく知らない女の子と付き合わなきゃいけないんだって顔してますね」
「そこまでは思ってないよ。でもみんなすごく可愛いし、美人だし、なんだか申し訳ないなって」
「確かに桃瀬さんはアイドルみたいに可愛いですし、美羅乃さんはグラビアアイドルくらいセクシーで綺麗ですもんね」
蒼山さんは淡々とそう言った。
ちょっとムッとしているようにも見える。
「蒼山さんだって美人だよ」
「フォローありがとうございます。でも大丈夫です。身の程はわきまえているんで」
「……怒ってる?」
「いいえ。怒ってません」
蒼山さんは相変わらずの無表情なので機嫌が分からない。
でも絶対怒ってるだろ、これ。
「人を容姿で判断するようなことを言ってごめん」
「だから怒ってませんから」
蒼山さんは少し戸惑った様子のあと、僕の手を握ってきた。
「えっ!?」
「私は表情が乏しいのでよく怒ってると思われがちですが、滅多に怒ったりはしません」
蒼山さんはほんの少し頬を染め、恥ずかしそうに視線を泳がせた。
か、かわいいっ……!!
心拍数が一気に跳ね上がってしまう。
普段クールなくせに時おりデレてくるのは反則だろ……
手を繋いだまま数メートル歩いたが、それが限界だったのか、蒼山さんが恥ずかしそうに手を離してきた。
「く、九月なのに暑いですね」
何事もなかったように天気の話をしてくる。
甘えるのに失敗したクール女子の見本のような言動だ。
恥ずかしいなら、はじめから手を繋いだりしなきゃいいのに。
「暑いのは嫌い?」
「そうですね。寒い方がましです」
「俺もそうかな。って冬になると夏が恋しくなるんだけどさ」
「この島は温暖なので冬もそれほど寒くないそうですよ」
そのひと言が脳内の記憶の鍵をかちりと開けた
「思い出した。そういえばそんな説明を入学式の時に聞かされた記憶がある」
「記憶が戻ったんですか?」
「少しだけ。たまにこうして断片的に思い出せるんだ」
その記憶に関連付けて他のことも思い出そうとしてみたが、ぼんやりと脳内が霞んで何も思い出せなかった。
「記憶がなくなるって不安ですよね」
「そりゃまあ……」
「人って記憶がすべてですもんね。自分が自分であると認識するのも、記憶があるから。人との繋がりも、生きるための術も、勉強も、みんな記憶がなければどうしようもない」
「ほんと、そうだな。記憶をなくして、はじめてその大切さを思い知らされた」
失って大切なことをはじめて知るとは、まさにこのことだろう。
大きな坂道の十字路に来ると、蒼山さんは不意に立ち止まった。
「どうした?」
「この坂のことも、きっと志渡くんは忘れちゃってるんですよね」
蒼山さんは遠い目をして、坂の上を見上げる。
なにか僕との思い出の場所なのだろうか……?
一台の自転車が坂から下りてくるのを見て、記憶が鮮明に甦る。
「あっ……」
そうだ。
この坂は見覚えがある。
「蒼山さんが猛スピードでこの坂を下ってきたんだ。ハンドルをヨロヨロさせて。そして途中で転んで、僕が駆け寄った」
思い出したことを伝えると、いつも無表情な蒼山さんが珍しく驚いた顔になった。
「思い出したんだですか?」
「まだぼんやりとだけど。鞄とかスマホが飛び散らかって、蒼山さんの膝から血が滲んでて……」
「そう。志渡くんが慌てて助けに来てくれたの」
「そのときなにか衝撃的なものを見た気が……なんだっけ? 確かオオサンショウウオのゆるキャラの『なにか』だったんだけど」
「パ、パンツが見えちゃったことは忘れたままでいいんです!」
蒼山さんが真っ赤な顔で怒る。
「ご、ごめん」
記憶が戻ったことが嬉しくて、つい喋りすぎてしまった。
蒼山さんは恥ずかしそうに顔を赤くして怒っていた。
ていうか、こんな知的で固そうなのに、そんなキャラクターパンツ穿いてるんだ……
意外すぎる。
「あれがきっかけで私と志渡くんは仲良くなったんです」
蒼山さんは咳払いをして、仕切り直すようにそう告げた。
すでに表情はいつも通りのクールなものに戻っている。
「そうなんだ……でもごめん。そこまではまだ思い出せない」
「謝らないでください。この坂のことを思い出してくれただけで、十分ですから」
蒼山さんは坂の頂上の、さらにその先を見詰めるように遠い目をしていた。
その坂を上った方に蒼山さんの家はあるらしい。
僕の家はその坂を上らず、右に曲がった先だ。
「それじゃ、また明日」
蒼山さんに別れを告げて歩き出そうとすると、不意に手を握られた。
「家まで送ります。だってその方が少しでも長く、一緒にいられますから」
「お、おう……そうか」
「迷惑、でしょうか?」
相変わらず表情に変化は感じられないが、声色が少し緊張していた。
感情に揺らぎがないように見える蒼山さんだけど、顔に表れないだけでちゃんと緊張したり、喜んだりしているんだと気付いた。
「だったら俺が蒼山さんを家まで送るよ」
「そうですか。ありがとうございます」
今のは喜んでいる。
少し語尾が弾んでいるのでわかった。
と、そのとき──
「ん?」
振り返ったがそこには誰もいなかった。
「どうしました?」
「いや、今視線を感じた気がしたんだけど……」
蒼山さんも不思議そうに辺りを見回す。
「誰もいませんよ」
「だよな。気のせいか」
前にもこんなことがあった。
なんだか気味が悪い。
「さあ、行きましょう」
蒼山さんが歩きだし、俺はその後ろをついて急な坂を上っていった。
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