第5話 恋人のスケジュール表
朝、目覚めると記憶が少しだけ回復していた。
とはいえ通学路やその途中にある店など、どうでもいいことをおぼろげに思い出しただけだ。
肝心の交際関係などはなに一つ思い出せていなかった。
ただそれに関してはいつまで経っても思い出せない可能性がある。なぜなら事実無根のことは思い出しようがないからだ。
「桃瀬さんと付き合っているというだけであり得ないのに、蒼山さんに加え、美羅乃さんとまで付き合ってるなんて、常識的に考えてあり得ない」
俺が記憶を失っていることをいいことに彼女だと名乗り出るなんて、いったいこの島はどうなってるんだ。
しかも恋愛のトラブルで突き落とされた可能性があるなんて……
男女比1:160の世界は実に恐ろしい。
「よし。ひとまず摩耶と相談して、今後どうしていくか決めよう」
教室に入ると全員の視線がこちらに向く。
僕の姿を確認するや否や、桃瀬さんが駆け寄ってきた。
「おはよう、志渡くん。病院はどうだった? 記憶は戻った?」
「いや。ほんの少し思い出したこともあるけど、まだ全然思い出せていないんだ」
そう答えると桃瀬さんは一瞬寂しそうに目を伏せてから微笑んだ。
「大丈夫。ゆっくり思い出していこう。私も協力するから」
「うん、ありがとう」
本当に彼女だったのかは置いておいて、桃瀬さんは意外といい人なのかもしれない。
「お礼なんていいよ。彼女として当然のことだし」
桃瀬さんはニッコリと笑ってガッツポーズをする。
こんなに心配してくれるなんて、やはり本当の彼女は桃瀬さんなんだろうか?
「ちょっと、桃瀬さん。彼女はあなただけじゃないでしょ」
昨日港で遭遇した美羅乃が微笑みながらやって来る。
ヤバッ……
明日から修羅場の予感しかしない……
だが、
「あ、そうだった。ごめんね」
予想外にも桃瀬さんはテヘペロが如く、自らの頭をコツンと叩いて舌を出す。
「へ?」
「昨日、志渡くんがいない間にみんなで話し合ったの。そしたら美羅乃ちゃん、蒼山さんも志渡くんと付き合っていたって名乗り出たんだ」
委員長の蒼山さんが感情を隠した顔で頷き、桃瀬さんの隣に立つ。
え?
なに?
今から殺されるの?
「誰が本当の彼女か分からないから、ひとまず三人とも彼女ってことでまとまったの」
桃瀬さんがにっこり笑ってそう言った。
「えええええええぇぇー!? よくまとまったな、その話し合い」
「あたしが提案したんだ。誰が本当の彼女なのかは志渡の記憶が戻るまで待てって。今はそれどころじゃないからね」
摩耶が自慢げに手を上げる。
さすがは俺の親友だ。頼りになる。
「取り敢えずあたしの方で適当にスケジュール表を作ったから。これを元に順番に彼女になって」
摩耶さんが三人に紙を配る。
「順番?」
「そう。たとえば今日のお昼休みは桃瀬、下校は蒼山、明日のお昼は美羅乃って感じ」
「なにそれ!?」
「その方が不公平がなくていいだろ」
摩耶があっけらかんとそう言う。
三人の彼女を遠ざけるんじゃなくて、むしろ近付ける提案をしてどうするんだよ!
「ちょっと待って下さい、摩耶さん。これ、放課後はだいたい摩耶さんなんですけど」
蒼山さんがスケジュール表を見ながら、冷ややかに指摘する。
「そりゃそうだろ。記憶を失う前、あたしはいつも志渡と過ごしていたんだから。むしろ昼休みや下校を譲ってるんだから感謝して欲しいくらいだ」
摩耶さんはしれっとそう言うが、三人の自称彼女はジトーッと摩耶を睨んでいた。
お昼休み。
まるでホテルの施設のように綺麗な多目的ラウンジのテーブルに、僕と桃瀬さんが並んで座っていた。
「はい、志渡くん、あーん」
桃瀬さんは卵焼きを僕の口許に近付けてくる。
「じ、自分で食べれるよ」
「卵焼き、嫌いだった?」
「そうじゃなくて、恥ずかしいから」
ラウンジには当然他にも沢山の生徒がいて、僕たちにじろじろと視線を向けていた。
「記憶を失う前はずっとこうしてたんだよ?」
「それは嘘だ。もしそうなら僕と桃瀬さんが付き合っているってみんな知ってるはずだ」
「えへ。バレれちゃった?」
えへ、じゃねぇよ。
桃瀬さんは舌をペロッと出して笑う。
あざとい感じもするポーズだけど、彼女がすると違和感がないから不思議だ。
「あ、でも、私と志渡くんが付き合っていたっていうのは本当だからね」
「この流れで言われても信用できないな」
「あ、ご飯粒ついてるよ」
桃瀬さんは僕の頬に触れ、米粒をパクッと食べた。
「いや……まだお米を食べてないのにご飯粒つきようがないし。自分で米粒つけて自分で取って食べるマッチポンプ式『ひょいパク』はやめて」
「細かいこと気にしないの」
「全然細かくないと思うけど」
苦笑いしながらお弁当の唐揚げを齧る。
「うわっ、ウマっ!? なにこれ!」
「へへー。でしょー? 頑張って作ったんだ」
「料理上手なんだね」
「私が料理できないって思ってたでしょ?」
「そこまでは思ってなかったけど、こんなに上手だとは思わなかった」
しょうが、にんにく、醤油、みりん、ゴマ油、それからなんだろう?
なにかひとつの味が突出しておらず、複雑に絡み合って絶妙な味付けになっていた。
「昔から料理はしてたから。私と付き合うと美味しい料理が食べられるよー」
桃瀬さんは得意気に笑う。
正直こんな美味しいものが食べられるなんて、一人暮らしの男子には夢のような話だ。
こんな美少女の彼女がいて、しかも美味しい手料理まで作ってくれる。
そう考えると、案外ここでの暮らしも悪くないかも。
置かれた立場も忘れ、そんなことを考えてしまっていた。
(いや、ダメだダメだ。冷静になれ、俺っ!)
桃瀬さんは俺を突き落とした犯人かもしれない。
もしそうならば、今度は毒殺されかねないぞ……
天使のように微笑む桃瀬さんを見ながら、俺は心を落ち着けさせていた。
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