第20話 クレマチスの花々

「リラ、どうして泣いているの?」

「殿下が、三日も寝ていたからです。このまま目覚めなかったらどうしようかとずっと、心配で、不安だった」

「三日も? もしかして、リラはずっと、私についてくれていた?」

「もちろんです。……ルーカスの傍を離れたくなかったら」

「そうか……リラ、迷惑をかけた」

 リラは小さく首を横に振った。

「こうして目覚めてくれたからいいよ」

 ほほえみかけると、ルーカスの手がリラの目尻に伸びてきた。そっと、やさしく涙を拭ってくれる。


「きみは、立派だね。どこまでもあるじ想いの騎士だ」

 ルーカスの口から『騎士』と言われて、どきっとした。

 リラは、こほんと咳払いを一つすると、姿勢を正した。


「殿下。わたし、殿下のことが好きです」

 リラが告白すると、ルーカスの目が大きく見開かれた。彼は瞳を泳がせたあと、「ああ」とほほえんだ。

「親友としてか。ありがとう」

 

「……いや、殿下。ありがとうじゃなくて」

「俺も好きだよ」

 ルーカスは、いつものようにさわやかな笑みを浮かべた。

 やっと想いを伝えたのに、本人にちゃんと伝わっていないことは、恋愛経験が皆無のリラでもすぐにわかった。

 

「わたしは、ルーカスのことが好きだ」

「リラ、無理はしなくていいよ。気を遣われると悲しくなる」

「遣ってない」 

 どうしたら気持ちを表現できるんだろう。伝わるんだろうと考えていると、部屋のドアを強く叩く音が耳に届いた。


「リラさま、大変です! 外、見られましたか?」

 ナタンのあわてる声にリラは立ち上がった。一番近くの窓から外を見る。

「うわ。なにこれ。蔓が……伸びている」

 地上から伸びた蔓が、一晩で、二階にあるリラの部屋まで伸びてきていた。

 見渡すかぎりの地面や壁が、蔓によって、緑色に染め上げられていた。


「まるで意思のある、生き物のようだ」

「蔓が、いきなり異常に伸びはじめたんです。このままでは、この城は、いえ、この国は蔓にすべて覆われてしまいます!」

 ルーカスは、ドアに向かった。


「ナタン。総動員で、蔓の除去を」

「え、その声、ルーカス殿下ですか?」

 リラがドアを開けてあげると、ナタンが転がるように部屋に入ってきた。

「殿下、回復したんですね。良かったです……!」

「すまない。昏睡していたようだ」

 ルーカスを見つめるナタンは涙目だった。

「ナタン。話はあとだ」

「殿下、待って」

 ルーカスがそのまま出て行こうとするのを、リラは止めた。


「ルーカスさまは三日間眠っていたんですよ。いきなり無理してはいけません」

「国が一大事だというのに、まだ寝ていろというの?」

 ルーカスはリラに向かってほほえむと、静止を無視して部屋の外へ出た。リラとナタンはあわてて追った。


「殿下、どこへ行かれるんです?」

「見張り台の塔だ。蔓が王都のどこまで伸びているか、確かめに行く」

「塔ですね。ついていきます」

 リラの申し出にルーカスは首を横に振った。

「塔には、ナタンと行く。リラは、すまないけど、蔓の除去作業を指揮して、手伝ってあげて」

「いいえ。わたしは殿下の傍を離れたくありません」

 外の蔓が伸びていくように、ルーカスの身体を這う呪いの蔓も、じりじりと伸びている。

 ルーカスが渋い顔で思案していると、ナタンが「では、こうしましょう」と割って入ってきた。


「塔にはお二人で行って下さい。私が蔓の除去を指示して、手伝って参ります」

「ナタン殿、良い案です。ルーカスさま、そうしましょう」

「……わかった・リラ、行こう」

「はいっ!」

 ナタンとはそこで別れ、リラとルーカスは塔に向かって駆け出した。


 二人は一旦外に出て、クレマチスの庭園へ向かった。庭を抜ければ、王都を見渡せる高い塔がある。

 中庭のクレマチスも生育がよく、リラの背丈を超えるほどだった。ただ、どれもつぼみで咲いていない。


「ルーカス、大丈夫?」

 胸を押さえながらルーカスは足を止めてしまった。首の蔓の紋様が、さっきよりも多く巻き付いている。

「少し、休みましょう」

 東屋に着くと、ルーカスを座らせた。

 リラは、ハンカチを取り出すと、ルーカスの額と頬の汗を拭っていく。

「こうしていると、幼いころ、初めて木登りをした時を思い出すね」

「わたしも今、それを思い出していました」

 ルーカスはハンカチを持つリラの手をつかんだ。

「リラは、出会った時からかっこよかった。きみの騎士として成長していく姿は眩しく、戦う姿を見るのが楽しみだった。きみと出会って、王になる覚悟ができた」「私も、ルーカスと出会って、騎士になると決めた」

 リラを見つめながらルーカスは目を細めた。


「この世界から戦いをなくすと決めたんだ。王太后には負けない。呪いにも、決して屈しない」

「わたしも同じ気持ちです」

 リラはルーカスの手をぎゅっと握り返した。


「リラ、きみを信じている。だから、これからも騎士として、私の背を守ってくれ」

 呪いで苦しいはずなのに、ルーカスはしっかりとした口調で言った。


 ルーカスの思いに、ちゃんと答えようと思った。リラは彼の手を離すと、片膝を立ててしゃがんだ。頭を下げて地面を見つめる。


「ルーカスさま。わたしはもう、殿下の背を守れない」

「……理由は? どこか、怪我でもしている?」


 顔を上げると、心配そうにのぞき込んでくるルーカスと目が合った。リラは彼に安心してもらおうと、ほほえみながら首を振った。


「わたし、リラ・オースティンは、王妃になるからです」


 彼の目をまっすぐ見て、伝えた。

「ずっと、父みたいに強くなりたかった。騎士になって、殿下を守ることが、わたしの使命だと思っていた。ルーカスの力になれる方法が騎士以外、わからなかったからです。だけど、シャルロット姫と話して気がついた。剣を交えなくても、守れる方法があると」

「それが、王妃?」

 リラは頷いた。


「王妃教育を受け、ルーカスの傍で過ごすうちに気づいたんです。国の命運と責任を、王一人に背負わせて良いんだろうかと。ルーカスの苦しみや悩みは、わたしにも分けて欲しい。一緒にみんなを幸せにしたいって思うようになりました」


 リラは、ルーカスに向かって手のひらを上にして差し出した。


「ルーカスが、好きです。騎士としてあなたを護る。同時に、王妃として共に歩み、この国をもっと笑顔で溢れる、平和な世界へ変えていきたい」


 想いが伝わるように見つめていると、ルーカスはリラの手にそっと触れた。


「リラ。私はリラが好きだ。きみを幸せにしたい」


 ルーカスの声が、少し震えていた。

 リラは、気持ちが伝わるように、彼の右手の甲にキスをした。


「わたしも、ルーカスを幸せにしたいと思ってる」


 ルーカスはリラに手を伸ばすと、抱きしめた。


「リラ、愛している。この先なにがあろうと、それは変わらない」


 心が震えた。ルーカスが愛しくて、リラは彼をきつく抱きしめ返した。

 心臓の音が速く、耳の鼓膜を叩く。

 ゆっくりと、お互いの額をくっつけ合わせると、想いがこみ上げてきて、目の前が涙でにじんだ。

 ほほえむと、ルーカスもほほえみを返してくれた。


 目を閉じて、やさしく唇を重ねた。

 恥ずかしくて目を逸らした刹那、ルーカスの右手の呪いの紋様が強く光りはじめた。


 リラはぱっと顔を上げて彼を見た。

「ルーカスさま、どうしよう。痛みますか?」

「いや、痛くない」


 今までにない強い光だった。呪いがルーカスを殺すのかと焦った。

 でも次の瞬間、ルーカスの蔓の紋様が金色の煙のようにゆらりと皮膚から離れた。立ちこめた光りが次々と霧散していく。

 ルーカスの顔や首に刻まれていた蔓の紋様は、跡形もなく消えてしまった。


「もしかして、呪いが……解けた?」

「うん。そうみたいだね」

「ルーカス、……よかった!」

 跳び上がるくらい嬉しかった。彼に抱きつく。

「リラ、見て」

 言われて周りを見ると、つぼみだったクレマチスが一つ、また一つと、ふわりと咲いていく。

 驚いている間に、自分たちを中心に花開いていく。


「どうして? 呪いが、解けたから?」

「リラ、行こう」

 ルーカスに手を引かれ、咲き乱れる庭を駆けていく。走った傍からクレマチスの大輪が大きく揺れた。

 目的の塔のらせん階段を二人で一気に駆け上がる。

 

 息を切らせながら、塔の端にルーカスと立った。

 目の前に広がるのは、オースティン王国の王都スティンだ。

 地面も建物もすべて蔓で覆われて緑一色だったのが、自分たちの足元を中心に輪が広がるように、赤や白、ピンク色の花が咲いていく。


「きれいですね」

「うん。きれいだ」

 繋いだままの手をぎゅっと握る。


 世界が変わるくらい幸せで、彼に出会えた運命に、感謝した。 


 夕日で空が黄金色に染まる。華やかで美しいクレマチスの花々を、肩を寄せたまま、しばらく眺め続けた。


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