第18話 秘密の訪問者

「リラさま? どうかされましたか?」

 リラのルーカスを呼ぶ声を聞いて、マデリンが部屋の中へあわてて入って来た。


「殿下の意識が、反応がない……!」

 マデリンはルーカスを見て、顔をしかめた。


「これは、呪いではありませんか?」

 リラはぱっと顔を上げて、彼女を見た。

「マデリン、これが呪いだとわかるの?」

「はい……。実際に見るのは初めてですが、聞いたことがあります」

 探しても見つからなかった呪いについての情報を、身近にいる人が知っていて驚いた。


「なにを知っている? どうしたらいい? どんな小さなことでもいい。教えて」

「ルーカスさま、意識がないんですよね。ずっとですか?」

「さっきまではしゃべっていた」

 マデリンは「失礼します」と言いながら、ルーカスの左手に触れた。

「呼吸は……安定していますね。脈は少し早いようです」

「突然、クレマチスの蔓の呪いが、鎖骨や首まで伸びて、そしたら苦しみだした」


「呪いの紋様が『クレマチス・カルディア』ですね。思った以上に、強い執着ですわ」

「どういうことだ?」

「クレマチス・カルディアは、品種改良を繰り返されてきた花です。蔓植物の中でも、強健で毒性も強い。木々を這いのぼり、周囲の枝葉を完全に覆ってしまう、侵略種です」

「侵略種。だから、呪いに遣われたのか。殿下はわたしを庇って呪いを受けた。けど、もともと殿下を狙った呪いだったんだろうと言っていた」

 マデリンも「私も同感です」と頷いた。


「マデリン、殿下の呪いを解くことができる?」

「申しわけございません。私の知っている知識はここまで。呪いの作り方や解呪は詳しくないんです……」

 マデリンは苦しそうに顔を歪ませながら頭を下げた。

「解けないのなら、殿下はこのまま目を覚まさないのか?」

「いつ目を覚ますのかは、わかりません。ですが、少々調べてみます」

「私も調べるのを手伝う」

 リラが立ち上がろうとすると、それをマデリンは止めた。

「リラさまは、殿下が目覚めるまで傍にいて差しあげて下さい」


 リラはルーカスを見た。確かに苦しんでいる彼を置いてはいけないと思い、座り直した。


「もしかしたら、ですが、リラさまが傍にいることで呪いは解けるかもしれません」

 リラは眉間にしわを寄せた。

「私が殿下の傍にいることで呪いが解けるのなら、もうとっくに解呪しているだろ」

「それもそうですね……やはり、ちゃんと調べてみます」

「マデリン、頼む」

 リラは彼女に向かって深く頭を下げた。

「ルーカスさまが早く目覚めることをお祈りしております」

 マデリンも深く頭を下げると、急いで部屋を出て行った。

 

「ルーカス。早く起きて」

 肩に触れ、そっと揺すってみる。だけど反応はない。

 ――深く、眠っている。


『……リラは、嘘つきだ』

「本当に、嘘じゃないのに……」


 呪いが、こんな形で急変するとは思わなかった。数刻前まで笑っていた。今目の前に起きていることが信じられなくて、リラの手は小さく震えていた。


 ――きっと、大丈夫。こないだも一晩で目覚めた。朝になれば目を覚ますはず。


 金色に輝く蔓の紋様を見つめながらリラは、不安を必死に胸から追い払った。


 朝になれば起きる。そう願ったが、翌日になってもルーカスは目を覚まさなかった。


 太陽が高く上りはじめると、リラの部屋のドア前は高官たちが集まり、騒がしくなった。


「リラさま。どうか部屋をお開け下さい! 殿下に会わせて下さい」

 どんどんとドアを叩く音が部屋中に響く。それでもルーカスは目覚める気配がない。リラはしかたなく、内側からドアの向こうにいるナタンに大声で話しかけた。

 

「殿下の看病なら、手が足りている。無断で王太子妃の部屋へ押し入ると極刑だからね、ナタン殿!」

「リラさま、一瞬でいいです。お目通りを」

 宰相のサイモンも珍しく声を荒げている。リラはぐっと奥歯をかみしめた。


 ルーカスの呪いの紋様は、右頬にまで広がっていた。侍女や他の文官たちに見せるわけにはいかない。

 ――サイモンとナタンだけ部屋に通す? いや、犯人が誰かまだはっきりしていない。だめだ。今は誰も、ルーカスに近づけたくない。


「殿下はわたしに任せて。ナタン殿とサイモン殿は、殿下の容体が外部に漏れないように尽力して下さい。お願いします」


 二人はしぶとかったが最後には、「殿下を、頼みます」と言って、立ち去った。


 ルーカスは丸二日間、眠り続けた。

 三日目の朝はいつになく天気がよく、マデリンは窓を開けた。

 風が、花の香りを部屋の中へと運ぶ。


「こんなに長く、陽の下に出ないのは、いつぶりだろう」

「リラさまは、お風邪とかもひかれないのですか?」

 マデリンの質問に「最近はひいても一晩寝れば治る」と答えた。


「昔、ルーカスが我が家に預けられていた時、同時に熱を出したことがある。二つの寝台を隣同士並べて、どっちが先に治るか、競争したことがあるよ」

 マデリンは「すてきな思いでですね」といいながらも、せつなそうに顔をゆがめた。


「マデリン、呪いのことはなにかわかった?」

 リラの質問に、マデリンは首を振った。

「古い文献を当たってみましたが、手がかりはありませんでした」

「そう。……調べてくれてありがとう」

「リラさま、殿下の容体について箝口令を出しておりますよね。どうしてもお話してはいけませんでしょうか?」

「話すって、誰に?」

「術について、詳しい者です」

 リラは、顎に手を置いて考え込んだ。


「ルーカスさまの呪いについては、殿下自身が口外を禁じている。目覚めないと許可は難しい」

「……そうですよね」

 マデリンは残念そうに肩を落とした。

「ちなみに、術に詳しい人って、誰?」

「協力していただけるかわからないので、誰かはお答えできませんが、殿下の政敵ではありません」

 術に詳しい者で、リラの頭に最初浮かんだのは王太后だった。だが、マデリンはリラ付きの侍女。王太后に聞ける立場ではない。


「わかった。いいよ。誰かは知らないけど、マデリンを信じる」

「ありがとうございます。では、さっそく相談して参ります」

「お願い。でもくれぐれも、内密に。他の者に知られないように細心の注意を払って」

「かしこまりました」

 朝に出かけたマデリンが戻ってきたのは、昼下がりだった。


 彼女はフードを深く被った小柄な人を連れてきた。術者だという。


「初めまして。ようこそお越し下さいました」

 リラが紳士のように胸に手を当てお辞儀をする。術者は頭のフードを外した。

 自由になった赤色の髪がふわりとこぼれた。


「こんにちは。リラさま」

 にこりとほほえみを浮かべたのは、隣国の姫、シャルロットだった。


 リラは驚いて、マデリンを見た。

「術者って、まさか、シャルロット姫?」

 マデリンは頷いた。

「リラさま。遅くなっても申しわけございません。取り次ぐのに時間がかかってしまいました。シャルロットさまを殿下の妃に推しているのは、皇太后さまですが、姫は敵ではありません。殿下のようすを見て、急いだほうがいいと判断したので、姫に来ていただきました」


 シャルロットはすっと、リラの前へ進み出た。

「リラさま、わたくし、実は術を使って占いができるんです」

 リラはシャルロットに「占いを?」と聞き返した。

「はい。簡単な未来予知くらいですが、他にも術への勉学に励んでおりました。殿下がかけられたクレマチスの呪いについても、知っています」

 彼女は眉尻を下げながら、にこりとほほえんだ。


「マデリンから話を聞いて、じっとしていられなくてご訪問させていただきました。ルーカスさまは、やっぱり、呪いをかけられて、いらっしゃったのですね」

「やっぱり?」

「以前、ご本人にお訊ねしたのですが、呪いのことをお認めにならなかったの」

 

 シャルロットがこの国に来た時、一時間近く、部屋に籠もって話していた。内容は呪いの件だったらしい。

 ルーカスは、自分の弱みを他国の姫にたやすく言う人ではない。

 ――でも、その話をするためになぜ私まで部屋を追い出されたのだろう。

 気になることは他にもある。だが、今はそれよりも、殿下の容体だ。姫は敵ではないと、信じるしかない。

 リラは姫が武器を持っていないと目で確認すると騎士の礼をした。


「自己紹介が遅くなって申しわけございません。わたしがリラ……オースティンです」

「リラさま。直接お話しするのは初めてですね。ずっと、ごあいさつの機会を探っておりました」


 シャルロットは天使のような笑みを浮かべた。

 本来なら丁重におもてなしをしなければならないが、彼女は非公式にやってきた。無礼を承知で形式的なあいさつは省略すると、リラは本題を切り出した。


「さっそくですが、呪いについて詳しいのなら教えて下さい。早く殿下を楽にして差しあげたいんです」

 シャルロットは、表情を引き締めると頷いた。


「私も殿下の回復を願っておりますわ。症状と経緯については、マデリンから聞きました。リラさま、殿下の枕元では障りますので、ひとまず場所を変えましょう」

「では、バルコニーへ」

 部屋を出て、廊下で立ち話をするわけにはいかない。マデリンにルーカスを頼み、リラとシャルロットはバルコニーへと進んだ。

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