第16話 隣国の姫

 翌日、空が明るくなるより先に目覚めたリラは、数週間ぶりに甲冑を身につけた。重さ、可動域の狭さが懐かしく、心地いい。


「リラさま。本当に、この格好で過ごすおつもりですか?」

「もちろん一日中。せっかく王妃教育もなく、護衛の許可が下りているんだ。着るよ。着つくしてやる!」

「……がんばって下さい」

 リラは、「マデリン、声援ありがとう」と伝え、さっそくルーカスを護衛するために彼の部屋へ向かった。


 隣国の姫を迎えるためか、すでに城内の警備は厳重だった。騎士団長に護衛すると伝えると、最初こそ驚いていたが、人員不足で助かったと、快く受け入れてくれた。

 朝食を済ませたルーカスの背後をリラは黙ってついていく。

 頭から足の先まで、甲冑を付けていたが、ルーカスには気づかれているみたいだった。ときどき視線を感じる。しかし、話しかけてこない。

 

 ルーカスの護衛をしているあいだに、あっという間に昼を過ぎた。

 隣国の姫の到着は、夕方過ぎだった。

 どこまで続くんだ? と思えるほどの長い騎馬隊の列が城の前で停まる。


 白を基調とした豪華な箱形馬車から降りてきたのは、シャルロット・エヴァンス王女だ。

 軽くウエーブがかかった赤い髪は腰ほどまである。透けるような白い肌に大きな目。瞳の色はローズ王太后と同じ、赤だ。

 ルーカスに向かってやわらかな笑みを浮かべると、慣れたようすで、なめらかなカーテシーをした。


 ――ああ、これこそ、本物の姫。

 彼女をエスコートするルーカスを、リラはすぐ傍で見守る。

 おとぎ話の主人公たちみたいな美男美女で絵になる。すぐにドレスを破ってしまうと自分とは違う。


 ――もしも、このまま姫との縁談がまとまったら、わたしはどうなるんだろう。 


 ルーカスの今後を考えれば、隣国との関係は良好にしておいたほうがいい。

 リラという存在が、邪魔になったりしないか、彼の傍に居続けられるのだろうかと不安が過ぎった。

 

 護衛のため、ルーカスとシャルロット姫の後ろをついていく。会話も弾んでいる。


「シャルロット姫、どうぞ中へ」

 応接間に姫が先に入っていく。ルーカスは部屋に入る前に振り返った。


「シャルロット姫と大事な話がある。全員、外で待機」

 内心「え?」と思った。通常の護衛なら、中まで入る。しかし、リラを含む護衛すべてが部屋から追い出されてしまった。


 大事な話は、およそ一時間続いた。

 

 

 一日の護衛を終えて自室に戻ると、マデリンが待ち構えていた。兜を取って、手の甲で汗を拭う。


「お疲れさまです。リラさま。湯浴みの準備、整っておりますよ」

「わかった。すぐに入る」

 久しぶりの護衛任務で疲れたリラは、甲冑を脱ぐと、さっそく浴槽に肩まで浸かった。


「リラさま、お手伝いいたしますね」

「ありがとう、マデリン」

「だいぶ、お疲れのようですね」

「……わかる?」

「ええ。いつもの覇気がございません。リラさまの体力が男以上だということは、この私、もう存じ上げています。お疲れは肉体的なものというより、精神的なものでしょう?」

「マデリン、正解だ。すごい」

 リラが驚くと、彼女はにこりと笑った。

「ゆっくりと疲れを取ってくださいませ」と言いながら、リラの髪を濡らしはじめた。浴槽に浸かったまま、ぼうっと天井を見つめる。


「念願の殿下の護衛は、イメージと違いましたか?」

 濡らしたリラの頭皮をマッサージしながら、マデリンが聞いてきた。

「殿下の護衛任務は今回が初めてじゃないよ」

 これまでの騎士訓練で、何度が模擬同行をさせてもらっている。

「では、任務で失敗でもされましたか?」

「任務は滞りなく終えた」

「……差しでがましいかとは思いますが、私で良ければお話を聞かせて下さいませ」

 リラは目を閉じたまま、ゆっくり口を開いた。


「今日来たお姫さま。とても、可憐だった」

「カルディアの姫ですね。国一の美女で有名です」

「そうなんだ? わたし、そっち関係疎くて、彼女が白くて豪華な馬車から降りてくるところは、神々しくて、有名な画家の絵画を見ているようで、見入ってしまった」

 自分と違って、優雅な所作と、かわいらしい彼女の姿がリラの脳裏に浮かぶ。


「姫を見て、殿下の横に立つ人はわたしではなく、彼女が相応しいと思った」

「リラさまはとてもすてきですよ。凜とした花のように美しいです。自信を持って下さい」

「別にわたしは、彼女と美しさを競うつもりはないよ」

 リラはマデリンに苦笑いを向けた。


「殿下と姫、出会ってすぐ、二人きりで部屋に閉じこもって密談をはじめてしまったんだ。私たち護衛を追い出しててその……なんの話をしているんだろうって、気になっただけ」

 肩まで湯に浸かっていたリラは、のぼせそうで少し上体を起こした。


「最近、分をわきまえない態度ばかりだったと反省した。騎士は、主の命を守ることが第一だ。そして、王太子の彼のすることや、考えていることをとやかく言う権利はない。命令のままに動く。今回も、騎士道に乗っ取っただけなんだけど……」

「二人きりでお話をされたのが、リラさまはいやだったんですね」

 マデリンの言葉に、胸がざわついた。

「こんな感情を抱くなんて、おかしいよね」

「リラさま、私はおかしいとは思いません」


 マデリンはリラの髪を浴槽の外に出して、丁寧に洗い流していく。

「殿下に気持ちを向けられていやですか?」

「いやというか……熱い視線を向けられると、落ち着かなくなる」

「ほほう」

「触れられたり、距離が近いと、息を止めてしまう」

「息を? それは大変ですね」

「こんなこと、今までなかったから、困る」

「まあつまり、殿下が気になってしかたないんですね。初々しいことで」

「……マデリン。話を聞いてくれるなら、もう少しまじめに聞いて」

 リラは振り返り、侍女をじろりと睨んだ。

「リラさまのお気持ちが育っているようでなによりです」

「どこがなによりだ。こっちは、苦しいっていうのに」

「リラさま。よく言っているじゃないですが、相手にどう見られ、思われようが関係ない。大事なのは、自分がどう思うか。なんでしょう? 王子に向かって不適切かもしれませんが、お二人、見ていてほほえましいです」

 彼女はやさしい笑みを浮かべた。

「ほほえましい、か。残念だけど、もう見られないよ。彼の横には姫が立つだろう」

「リラさま、寂しいならそうおっしゃって下さいね」

「……寂しくなどない」

「顔に書いてあります」

「書いた覚えはない」

 マデリンは娘を見る母親のように、やさしく笑った。

「リラさま、殿下のことがとてもお好きですものね。隣国の姫に殿下が夢中にならないか心配なんですね」

「……確かにわたしは殿下のことを尊敬している。けれど、後半の心配とは?」

「殿下の心が離れないか、不安なのでしょう?」

「不安? 殿下の気持ちは殿下の物だ。それに、彼女と婚姻を結ぶほうがメリットだらけだ」

「だけどいやなんでしょう? リラさま、それは嫉妬です」

「嫉妬、なんか……」

「リラさまは殿下に恋しているんです」

「違う」

 思わず否定したが、マデリンは眉尻を下げながらほほえんだ。

「のぼせたから出る」

 リラは、居たたまれなくなって、話を打ち切った。


 身体を洗ったあと、リラは一人で涼みたいとマデリンに伝えた。髪も自分で乾かすから大丈夫と断る。

 マデリンは「ちゃんとしっかり拭いて下さいね」と念を押した。

「マデリン、さっきは、わたしの話を聞いてくれてありがとう。少し、すっきりした」

 彼女はやわからくほほえむと「良い夢を見て下さいね」と言った。寝台以外の明かりを消して部屋を出て行った。


 寝台に腰掛け、布で髪を挟んで乾かしていく。

 窓の外を見ると夜空にはきらめく星が見えた。

 金色の月がない。


「今日は新月か」


 リラは夜空に向かって手を伸ばした。

「やっと、傍にいられるようになったのに、な……」

 

 伸ばせば届く距離にいたのに、今は遠く、姿すら見えない。

 リラは、自分の手のひらを見た。

 ルーカスとは何度も手を繋いだ。彼の体温を思いだしていると、せつなくなった。

 

『二人きりでお話をされたのが、リラさまはいやだったんですね』


 ――嫉妬、か。

 これが恋というものなら、なんて面倒な感情だろう。


「任務に、支障が出るじゃないか」

 仮に、マデリンの言うとおりだとしても、自分の気持ちを伝えることはできないと思った。


 騎士になるためにここへ来た。今さら、好きだなんて言えない。発言をころころ変えるのは騎士道に反するからだ。そもそも変えたところで、隣国の姫には敵わない。


 夜空の星々を見ながら、シーツの上へ横向きに倒れる。

 窓から吹く柔らかな風が心地良い。


 朝が早く、一日護衛で疲れていた。瞼が重くて、リラはそのまま意識を手放した。


「リラ、起きて。髪も乾かさずに寝ては、風邪をひく」


 寝坊したと思い、ぱっと目を開けたが、部屋はまだ暗いままだった。リラを起したのはマデリンではなく、愛しそうに自分を見つめるルーカスだった。

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