第15話 胸にくすぶる感情
「最近、王都内の蔓もすごい速さで伸びているという報告がある」
ルーカスは神妙な声で言った。
「蔓の生長は、ここだけに留まらず、王都にまで広がっているの?」
リラは目を見張った。
「殿下の呪いと、なにか関係が?」
「関係か、おそらくあるだろうね……みんなに申しわけないと思ってる」
呪いの蔓が伸びれば、自分の命が脅かされる。それなのに、当の本人は国民のことを案じていた。
「殿下は、宰相殿と意見が対立していると聞きました」
「誰に聞いた?」
「ナタン殿です」
リラは、「詳しい内容は知りませんが」と付け加えた。
「サイモンとは、有意義な意見を交わしているだけだよ」
まくっていた袖を伸ばしながらルーカスは、リラに笑顔を向けた。
「そうやって、笑顔の下に苦労を隠さないで下さい」
「別に、隠しているつもりはないよ。リラ、とにかく座って。紅茶を飲もう」
ルーカスは眉尻を下げながらリラを見つめた。
「私は騎士ですが、殿下を少しでも支えたい、負担を減らしてあげたいと、不相応かもしれないけど思っています」
リラは椅子ではなく、地面に片膝を立てて座った。
「殿下は自分のことを言わなさすぎる。わたしに心配かけたくないと思っているんだろうけど、幼い頃からの付き合いじゃないですか。困っていることがあるなら言ってほしい」
リラは、胸にくすぶる感情をありのまま伝えた。
「リラ、椅子に座って」
「ご命令ですか?」
「私の正妃だからだ」
ルーカスはリラの腕をつかんだ。
「困っていることがあるなら言っていいんだよね。だったら、私の正妃として、振る舞ってほしい」
向けられる眼差しは真剣だった。リラは、ぐっと眉間にしわを寄せてから椅子に座り直した。
――正妃、か。
リラはついさっき、サイモンに王太子妃としての立場を見つめよと忠告を受けたばかりだ。
自分でも正しいことを言われていると、わかっているのに、胸のもやもやが消えてくれない。
「殿下はわたしを騎士にするという約束を反故にするつもりですか?」
いつも朗らかな表情の彼が、珍しく強張った。
「殿下は、子作りの件も、ごまかしたままだ。呪いのことも、調査の指揮をとらせてくれないどころか、わたしが聞くまで教えてくれない」
「時期がきたら頼むつもりだった」
「時期とはいつ? そのあいだに呪いが、蔓が伸びているじゃないですか」
「リラ……」
「言ってもらえない自分が悪いのはわかってる。殿下にとって自分の存在が、ちっぽけなのが悔しい」
これは八つ当たりだ。心配しているのに、頼られないことが情けない。
彼を責めてはだめだと思うのに、一度あふれ出すと、止まらなかった。
「わたしは、騎士としてもっとルーカスの傍に仕えたい」
言葉を発した瞬間、胸に痛みが走った。目を見開き固まっているルーカスから視線を逸らす。
言ったあとに気づいた。殿下に、望みすぎていると。
リラは騎士ではなく、王太子妃として過ごすうちに、彼を支えたい、もっと頼られる特別な存在になりたいと以前よりも強く、思うようになっていた。
王太子妃としての振る舞いは中途半端なのに。
――騎士の勤めは、主を支え、盾となり矛になること。それなのにわたしは、支えたい、負担を減らしたいと言ってしまった。殿下の親友にでもなるつもりだったのか。
リラは自分の自惚れを知って恥ずかしかった。
「……出過ぎたことを申しました。忘れて下さい」
「リラ、私の中できみという存在はちっぽけじゃないよ。むしろ、大きい」
首を振ると、今度はルーカスが立ち上がった。リラは、ぎゅっと抱きしめられた。
「リラが、私を大切に思ってくれるのは嬉しいよ。けどね、私だってリラが大切なんだ」
「殿下、離して下さい」
距離を取るために手を伸ばすと、その手をつかまれた。
「内政のことは言わなかったんじゃない、言えなかったんだ。リラに心配かけたくないのはもちろんだけど、不慣れなところとか、かっこ悪いところは見せたくなかった。リラの問題じゃない。私がいたらなかっただけだ」
「殿下はこれまで、王太后に阻まれて、内政に口出しできなかった。不慣れなのはあたりまえです。わたしは、ルーカスのこと、かっこ悪いなんて思わない」
リラは睨むようにルーカスを見つめた。
「リラの、使命感が強いのは知っている。それを利用して傍にいてもらっていることも自覚している。不便ばかりかけて、満足に、騎士としての務めをさせてあげられなくてすまない」
ルーカスの顔から笑みが消えていた。
笑みで壁を作られるのがいやだった。けど、こんな悲しい顔をさせたかったわけじゃない。
かける言葉を探して視線を下げていると、ルーカスのあたたかい手が頭に触れた。
「これからは、呪いの調査と騎士の務め、両方好きにしていい。だから、出過ぎたとか言わずに、これからも思ったことは言ってほしい」
ゆっくりと、顔を上げた。いつものほほえみは消えたままだ。ただ、リラをまっすぐ見つめてくる。
「リラは、子どもの頃から私を王子扱いせずに、対等に意見を言ってくれる。ありのままの自分を認め、受け入れてくれたリラが好きだ」
リラの頭をぽんぽんとなでてから彼は、手をゆっくりと離した。
「ルーカス……」
ごめんなさい。と言いかけて、やめた。
ぐっと、奥歯をかみしめると、リラは下を向いた。
「紅茶、すっかり冷めてしまったね。風も出てきたし、そろそろお開きにしよう」
席を立ったルーカスに続き、自分も立ち上がる。
「そうだ」と言って、ルーカスは振り返った。
「話があってリラを呼んだんだ。先に私の口から言っておく」
「……なんでしょうか」
ルーカスはリラに向き直った。彼はもったいぶるように時間をかけてから口を開いた。
「明日、急遽隣国から姫が来る」
「姫? 外交ですか?」
「ああ、外交だ。目的は、私の妃候補として」
リラは目を見開いた。
――殿下は、わたしを正妃にと望んでくれたが、側妃を持たないとは言っていない。
心臓がどくどくと嫌な音をたてる。
「どこの、姫様ですか?」
「隣国のカルディアだ」
――ローズ王太后の出身国だ。
「姫をわたしの妃に推薦したのは王太后だ。姫に万が一があってはならないし、彼女に不快や不敬があってはならない。夜の渡りは、しばらくできないと思う」
リラはぎゅっと手を握ると、頭を下げた。
「かしこまりました」
「リラの王妃教育も中止にする。きみは望みどおり、護衛騎士として務めるといい」
淡々と説明する彼の声を頭を下げたまま聞いた。
「承知しました」と伝え、そのままの姿勢でいると、ルーカスは、静かな声で言った。
「リラとお茶ができて楽しかった。ありがとう」
しばらくしてからリラは顔を上げた。振り向かず、クレマチスの庭園を抜けて去って行くルーカスの背を、黙って見送った。
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